タグ

情報に関するgitanezのブックマーク (17)

  • IT型情報社会が知っておかなければならないこと: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 前々回の「新しいことばのデザインパターンの追求」までのいくつかのエントリーでマーシャル・マクルーハンのメディア論を取り上げてきています。 『メディアの法則』から『メディア論―人間の拡張の諸相』を経て、『グーテンベルクの銀河系―活字人間の形成』を読みはじめているのですが、読めば読むほど、僕たち日人って、西洋が「情報」というものにどうやって取り組んできた結果、近代から現在に連なる社会を築き上げてきたのかということを、当に表面的にしか理解してこなかったのだなということを痛感します。 近代というのは、人工的な連続性の地平の上に知をアーカイブし編集可能にすることで、富の生産力を向上してきたわけで、それ自体が必然的に伝統を重んじる姿勢を強く内包することになるはずですが、どうも僕ら日

  • バットを持ったまま、守備にはつかないでしょ: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 バットを持ったからといって、ヒットやホームランが打てるわけではありません。当たり前の話ですね。 でも、それがバットのような物理的な道具ではなく、手法や考え方みたいなものが相手だと、途端に、この当り前がわからなくなる人がいます。 バットの振り方がわかっても、相変わらずヒットやホームランが打てないことは理解できるのに、手法の使い方を知るだけでは結果が出ないということがわからない。 いやいや、それ以前に、バットが野球に密接に結びついた道具で、ほとんどそれ以外の用途がないことが理解でき、かつバットをつかうには野球のことも知らないといけないことはわかるのに、ある手法を知る際にそれが使われる場について理解することが大事であることがわからなかったりします。 こう書くと、おかしさはわかって

  • すべてのメディアは人間の機能および感覚を拡張したものである。: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 すべてのメディアは人間の機能および感覚を拡張したものである。 これはマーシャル・マクルーハンのメディア論の根幹をなす考えです。 マクルーハンがいうメディアは、いわゆるや新聞、テレビやインターネットなどを指すだけでなく、言葉や数、道路や車輪、家や衣服を含めたすべての人工物を含みます。つまり、すべての人工物は人間の機能および感覚を拡張するとマクルーハンは考えているのです。 ここで着目すべきは、メディアが人間の機能および感覚の拡張であるとすれば、新たなメディアを使いはじめることで人間そのものが変化するということでしょう。 ずっと前に、このブログで「ものがひとつ増えれば世界が変わりうるのだということを想像できているか」と書きましたし、その考えを中心として、僕は『ひらめきを計画的に

  • アーカイブされるものと流れて消えるもの: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 最近、TwitterのTLを眺めていて不思議に思うことがある。 Twitter上で語られる言葉というのは「書かれた言葉」というより「話された言葉」みたいだと感じるのだ。 内容がそうだというのではない。たわいのないおしゃべりのような内容だから「話された言葉」のように感じるのではない。 TL上を言葉が流れすぎていく、その様が「話された言葉」のように感じさせるのだ。 それと同時に、文字というのは目の前に残り続けるものだという当たり前のことにあらためて驚かされたりする。そこにある言葉。ずっと、そこにあるなんて、という驚きだ。 日常生活での会話のように、Twitter上の言葉は蓄積されることなく、僕の目の前を通り過ぎていく。文字という視覚的な表現を用いた言葉であるのに、それは音声とい

  • 「言葉と意味、ボタンと機能」について考えるためのメモ: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 言葉とその意味の一対一対応。 ボタンと機能の一対一対応。 正しい言葉、正しい操作を選択しなければ、意味・機能を引き出せないというコミュニケーション。それは人間の能力を活かしている?殺している? どうも外化(システム化)の仕方が誤っているのではないかという気がします。 近代は、M・フーコーもいうように、客観化され論理化された事実を、くもりのない鏡のように写し出すことが、言語に要求された。不適切さや不純さや伝達効率の悪さや論理の欠如は、駆逐された。しかしそのかわり、意味の複数の可能性の捨象と、論理的関係への還元が起こった。 インタラクション・システムにおける使いやすさとは? 人間中心設計と認知科学のつながり? 言葉と物のつながり? 言葉とは? 情報とは? 情報デザインとはいうも

  • 17歳のための世界と日本の見方―セイゴオ先生の人間文化講義/松岡正剛: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 あー、このが売れてる理由がよくわかりました。屋でたまに見かけて、なんでずっと平置きされてるんだろ?とかなんとなく思ってたんですけど、読んでみて理由がわかりました。 松岡さんのでは一番読みやすく、かつ松岡さんが他ので言っていることがわりと集約されてるんですね、この。 この、買ったのは結構前なんです。この続編にあたる『誰も知らない 世界と日のまちがい』を読んだのが今年のはじめ。それを読み終わるかどうかという時期にこのも買っていたはずなんですね。でも、買っただけでなんとなく読まなかったんですけど。 それがこのあいだ、『山水思想』を読んでみて続けて、松岡さんのを読みたいなと思い、読みはじめたんです。 このは帝塚山学院大学・人間文化学部向けに行われた講義を再編集し

  • そもそも自分を規定する意味は社会的な理由以外にありえない: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 DESIGN IT!ではなく、DESIGN IT! w/LOVEですけど、それはまぁいいとして。 DESIGN IT! では「他人に自分の存在を知ってもらうためには日々自分を外部・社会に向かってアピールしていく必要性を書きましたが、そんなしち面倒くさいこと(僕にとってはもはや面倒なことじゃないけど)をし続けなきゃいけないのは、そうする以外に社会に対して自己を固定化する方法がないからです」と書かれてますけど、私にしてみると「社会に対して自己を固定化する必要なんて無いぢゃん」と感じられてしまうわけです。他人が自分の存在を知ろうと知るまいと、自分が自分であることは揺るがないからね。 「他人が自分の存在を知ろうと知るまいと、自分が自分であることは揺るがない」。 残念ながら、そうだと

  • 情報リテラシー再考:「理解すること」と「感じること」の統合: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 情報というのは、何もテキストで書かれたものだけを指すわけではないと思っています。 画像や動画、音楽なども情報ですし、モノの形や動きもまた情報です。人工物だけが情報を発するわけではなく、自然物もとうぜん常に情報を発しています。 情報とはすなわち、生きるために役立ち、かつ、僕らが知覚できるものはすべて情報なんだと思います。 知覚というと僕らの意識にのぼるものだけを指すようですが、ここでは意識下で僕らの身体が識別し取得していて、生きるのに必要でそれに基づき行動を行っている刺激を、情報と考えています。 意識したもののみを情報と捉えてしまうと僕らの動きは非常にぎこちなくなってしまうでしょう。すべての情報を意識していたらスムーズに活動することなどできません。 踊るときに音楽にあわせてど

  • 形式知と暗黙知(っていうか直接話をきいてやれ): DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 あのね、文書にできる情報、言葉に書き出せる情報ってごくごく限られてるわけですよ。 なんでもかんでもWeb上で情報共有できると思ったら大間違いです。 (ごめんなさいね、今日はちょっとキレたモードですので、言葉が強すぎるところもあるかもしれません。そのあたりはごめんなさい。) よく形式知と暗黙知っていう区別がされますよね。言葉として形式化できる知識と身体で覚えているために形式化がむずかしい知識があるわけです。 で、当然ながらWeb上に情報として載せられるのは形式知のほうだけです。それは暗黙知が言葉にだせないというよりもコンピュータの計算的思考では表現できない生物特有の記憶の仕方がされているからで、その記憶のされ方はまだ解明されていない。とうぜん、解明されていないものがコンピュー

  • 非ニュートン的な科学 - 池田信夫 blog

    ノーバート・ウィーナーは、しばしば「情報科学の父」と呼ばれるが、彼の主著『サイバネティックス』(1948)をいま読むと、むしろ現在のコンピュータとはまったく違うことに違和感を覚える。副題が「動物と機械における制御と通信」となっている通り、ここで彼が情報システムのモデルにしているのは生物である。その第1章は「ニュートンの時間とベルグソンの時間」と題され、ニュートンの可逆的で決定論的な時間に対して、ベルグソンの進化論的な時間概念を情報科学に導入しようとしている。 情報科学の主流になったのは、ウィーナーの考えたような自己組織系ではなく、外部からプログラムとして与えられた命令をメカニカルに処理するフォン=ノイマン型コンピュータだった。それは世界を機械と考え、人間がそれを神のように外からコントロールするニュートン的なシステムである。自然科学のモデルも依然としてニュートンであり、社会科学でも経済学

  • 「情報量が多く更新頻度の高いサイトが信用できる」--ホットリンク調査

    ホットリンクは9月4日、マクロミルの協力により「企業サイトに対する消費者の書き込み意識調査」を実施し、調査結果を公表した。有効回答は103名。 調査によれば、「どのような情報を必要とする際に企業サイトを訪れるか」を質問したところ、「製品(サービス)情報」という回答が78.6%で最も多く、次いで「商品購入」が65.0%、「問い合わせ先」が38.8%だった。 「企業のサイトに掲載されている情報が信用できるか」という質問に対しては、88.3%が「信用できる」と回答した。また、どのような企業サイトであればより信用できるかを質問したところ、「情報量が多いサイト」(77.7%)、「更新頻度が高いサイト」(69.9%)、「製品・サービスの利用者の意見(口コミ)が載っている」(64.1%)という回答が多かった。 「企業サイトに購入を検討している製品(サービス)についての消費者の意見や製品・サービスの利用者

    「情報量が多く更新頻度の高いサイトが信用できる」--ホットリンク調査
  • kajougenron:コンテンツ産業の開発業者化

  • 情報のハイパーインフレーション - 池田信夫 blog

    岩井氏の『貨幣論』など一連の著作をまとめて、当節流行の「語り下ろし」で作った。内容は、ほとんどこれまでのと重複しており、それを読んだ人は書を読む必要はない。逆に、書1冊を読めば、これまでのを読む必要はない。「貨幣は貨幣であるがゆえに貨幣である」「法は・・・」「言語は・・・」という同語反復を果てしなく繰り返す岩井氏のは、もうこれで打ち止めにしてはどうか。 しかも「貨幣はデファクト・スタンダードだ」という書の議論は誤りである。貨幣は、政府によって定められたde jure standardである。特に銀行口座でデジタル情報になった貨幣を複製するコストはゼロに等しいから、事後的には複製することが効率的だが、貨幣を複製することが許されるのは政府だけだ。複製を自由にすると、ハイパーインフレーションが起きて、貨幣の価値はなくなってしまうからである。貨幣は岩井氏のいうような単なる記号ではな

  • マーケティング情報の新しい定義: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 さっき、ふと商品が売れる、あるいは評価されるというのは、どんな条件が必要なのだろうと考えていて、情報って記号や文字、言葉で伝えられるものだけじゃないなとあらためて思いました。 記号や文字だけが情報ではない例えば、ブランドというものを考えてみるとよいのかもしれません。 その価値はどうやってつくられるのでしょうか? 商品そのものの品質。顧客に対するサービス。顧客のあいだや場合によっては競合他社からも認められる評判。店舗のデザイン。パッケージのデザイン。誰もが価値を認めるブランドの理念とそれが実現された姿など。 それらすべてを情報と呼ぶことは間違っていないのではないかと思います。 ブランドが顧客やその他の人と接するすべてがブランドの価値を伝えるための情報と考えることができるだろう

  • 「情報の歴史」を考えるためのmemo: DESIGN IT! w/LOVE

    「やさしさに包まれたなら」のエントリーにLongtailさんからいただいたコメントに、「「やさしさ」への感度が低下は、感度そのものを起動させるインフラの弱体化が原因ではないでしょうか?」と書かせていただいたのですが、インフラの強化のためにはまずきちんとそれが弱体化した歴史をおさえておく必要があると思っています。 その歴史とはずばり「情報の歴史」です。 HII(Human Information Interface)を考えるにあたって、まずは情報の歴史を考える上でのラフスケッチとしてのmemoを残しておこうと思います。 生命情報が出現したのは、生命が発生した約40億年前です。しかし、社会情報が発生したのは、ホモ・サピエンス・サピエンス、つまりヒトという生物種が出現した十数万年前だと考えられます。そして機械情報が発生したのは、狼煙という原始的なメディアをのぞくと、文字が発生した約5000年前と

  • トラックバック 情報は天下の回りもの: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 自分でブログをもっていると、結構悩まされるのがスパムコメントやスパムトラックバックの類いだろう。 幸か不幸か、このブログはそれほど極端に注目されているブログでもなく、アクセス数もそこそこなので、それほどスパムの量は多くないのだが、それでも、コメントやトラックバックがあったというメールが届いたのを見て、実際に見てみると単なるスパムや、スパムとまでは言わないまでもほとんどエントリーの内容と関係ないような(そこは主観も入るのでグレーですが)ブログからのトラックバックだと、正直へこむ。 明らかなスパムはすぐに削除する判断ができるので、その手間がうっとうしく思えるだけだが、意外と困るのはグレーなトラックバックのほう。 基的にトラックバックとは該当するエントリーに関連した情報へのリン

  • Bridge Word

    This shop will be powered by Are you the store owner? Log in here

  • 1