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ブックマーク / saluton.asablo.jp (6)

  • 世界死刑廃止デーにデモをしよう: おさきまっくろ

    10月10日の「世界死刑廃止デー」に大阪でデモをやります。 まだ4月やからちょっと先の話のようやけど、いまから準備せんかったらとっても人が集まらんのやないかと思って。それで、そのお誘いの手紙です。10日は金曜やから、みんながこれる12日(日)にやりたいと思っています。この手紙を読んで「よし、いったろ」と思われた方は忘れんように、手帖に書き入れておいてください。 わたしはこれまで死刑廃止いうて、ほんまにようけ書いてきた気がする。書くだけやなしにけっこう動いた時期もあったんや。けど、いま古びた紙に刷られた自分の文を読み返してみても、同じ内容のくりかえしみたいなことやし、たとえば「死刑」を待ち望んでいるような世間に向けて、改めて「死刑廃止」を訴える説得力ある言葉はでてけえへん。そやから、これはすでに「死刑廃止」を腹に決めてるあなた! に向けての手紙です。(もちろん決めてなくても、「よし、いっぺん

  • 山口英さんの挽歌: おさきまっくろ

    挽歌(2) 二月の真夜中 ふとめがさめて ねがえりをうつと 叔父のねどこはもぬけのからだった うつうつらしながら待っていたが もどってこなかった 北風がぴゅうぴゅうなっていた しだいにむねがどきどきして 便所へいそいだ いなかった うらの納屋へまわってみたら 便所の窓のあかりのなかで 叔父が立っていた なにしてなさると手をかけたら ぐらっとうごいた まだすこしぬくみがあったと 叔母は手をみつめていた わからん なんで死んだんか とんとわからん と眼をふせた たぶん じぶんでじぶんがいやになったんでしょう そういうときがある 男にはある としとった家長にはある ひとの世がいやになったのではない 生きているのがくるしいのでもない いつもだれかにうごかされていたにんげんは さいごにじぶんでうごかしたくなる じぶんのゆびで じぶんじしんを あっちの方へ (一九七〇) * 山口英さんが亡くなったと

  • サッコとヴァンゼッティ、そして……: おさきまっくろ

    長勢甚遠法務大臣の死刑執行命令により、東京・名古屋で3名が殺された。 サッコ&ヴァンゼッティの処刑から、80年。ちょうどその日のこと。(MN) ★ もしこんなことがなければ、私は街角で、どうということもない連中としゃべりあって、一生を終えただろう。 注目されるようなこともなく、ひとしれず、敗北の人生を。 いま私たちは敗北者ではない。 これが私たちの生きた証であり、私たちの勝利なのだ。 寛容のため、公正のため、人間の人間的理解のために、事件を通じてこんな仕事ができるとは、思いもよらなかった。 私たちのことば、私たちのいのち、私たちの苦しみ、そんなものはどうだっていい。 腕のいい職人と貧しい魚売りが、自分自身の人生を生き抜いた。そのことがすべてだ。 最期のしゅん間——それは、私たちのものである。 あの苦悶こそ、私たちの勝利なのだ! (バルトロメオ・ヴァンゼッティ 1927.8.9) *SAC

  • わたしが「電気料金指定日払い」をするわけ: おさきまっくろ

    この前ちょこっと電気料金指定日払いのこと書いたけど、今日はその指定日。毎月遅集料金をとられるぎりぎりの前日に指定して、とりにきてもらうんや。1分前でも1分過ぎでもなく5時きっかり、ピンポーンがなる。 柏崎原発が事故でえらいことになってるけど、日中の原発は、どこでも、いつこの地震に襲われても不思議ではないところにみんな建ってるんや。ようこんなに地震が頻発してる国に原発を建てるなあ——いうのは、もうまえまえから云われてるこっちゃ。そんな危険な原発をなんで建てるか。 経済性にしたって、バカバカしいくらい明白に割りにあわんのやで。第一建設費がべら棒に高くつく。しかも年数がたつにつれて事故が多発するし、修繕費はかさむし(1回の事故で600億とかいう数字やで)それで耐用年数はせいぜい30年やから、みなそろそろ寿命や。(寿命がきた原発を解体するのにどれだけの費用がかかるか!!)それに何万年も放射能を出

    gnarly
    gnarly 2007/07/24
  • あけまして、おさきまっくろ: おさきまっくろ

    年初の挨拶がわりに、なだいなださんがちょうど30年前に書かれた文章を紹介します。(最初のさわりだけやけど) 新しい年をむかえて、噛み締めてみるのにふさわしい文章とおもいます。 2007年1月1日 ウリ‐ジャパン(戦争抵抗者インター日部) ——アナーキストは、なにを求めているのか。 アナーキストの求めるものがなにかを知れば、多くの人は、おそらく笑いだすだろう。いわゆる国家という枠のなくなった社会、法律などというもののない社会、そして指導者などのいない社会をつくりたいというのだから。 なにしろ、歴史の中をくまなくさがしても見つからないような社会だから、目の前にあるものしか信じられない現実家からは、それは人間の空想的産物さ、と片付けられても仕方がない。 とはいえ、歴史はじまって以来、そのような社会がずっと民衆によって夢み続けられてきたのも、現実なのである。 「そんなものは幻想さ」という人がある

  • おさきまっくろ

    ふうさんの大阪時代の仲間が、『水田ふうさんを偲んで』を刊行しました。 8月29日に予定されていた「偲ぶ会」の呼びかけ人一同による、刊行の挨拶文を、以下掲載します。 みなさんへ 体調悪化の深刻な兆しを感じながら、人前ではいつもどおり元気だった水田ふうさんは、ある日不治の病の宣告を受け、それから1年もたたないうちにこの世からいなくなってしまいました。 ふうさんは70年代〜90年代を大阪で向井孝さんと過ごし、その間、関西の多くの仲間と行動を共にしていました。そこで、「水田ふうさんを偲ぶ会」を催すべく準備をしていたのですが、延期やむなしの判断に至ったことは、すでにお伝えした通りです。 その代わりに、当日配付(上映)を予定していたふうさんの思い出の写真や寄せられたメッセージの内容を膨らませて小冊子にすることを企画し、この間作業をすすめてきましたが、ようやく刷り上がりましたので、みなさんへお送りいたし

    gnarly
    gnarly 2006/12/19
    La Nigreco / WRI-JAPAN BLOG.
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