はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28
昨日、メールで今日、「在日特権を許さない市民の会(在特会)」の集会とデモが大阪の鶴橋で行われることに抗議して、その直前に緊急の集会とデモが呼びかけられ参加してきました。 在特会の呼びかけは、「許していいのか、北朝鮮の横暴! 在日北朝鮮の横暴!」というものです。もともと大阪でも在日の皆さんが多く生活をしておられる鶴橋に襲撃をかけたようなものであることは明らか。 会場の北鶴ふれあい公園には、緊急の呼びかけだったにもかかわらず、暑い中100名近い人々が集まった。呼びかけたアジア共同行動や釜ヶ崎パトロー ルの会などから次々と想いが語られる。 在日の存在の歴史的な経緯を無視した排外主義の絶叫は、何よりも、60年前の戦争責任、100年前の侵略の犯罪を不問にしたことから起こっている私たち日本人の問題です。しかも、在特会や「つくる会」に見られる歴史のねつ造が、そうした私たち日本人のあり様を開き直るだけでな
一昨年の都知事選のとき、ゲイリブたちが「石原知事は二丁目をつぶそうとしている」というネガティブ・キャンペーンを張り、 「二丁目を守る会」なるものをつくって、石原知事の対立候補である浅野某を一団となって応援したことは記憶に新しいところです。 その後、この「石原都知事が二丁目をつぶそうとしている」という話は、一般ホモに「石原知事はホモの敵である」との印象を与えて、 対立候補である浅野某に投票させるためにゲイリブが仕組んだまったく根拠のないデマであることが判明し、 選挙後、批判に晒されたゲイリブたちは、「二丁目を守る会」を解散し、二度とこの言葉を口にしなくなります。 ところが「マチダタイムス」なるブログを書いているマチダさんというリブ系のブロガーの方は、いまだに石原知事が二丁目をつぶそうとしていると信じているらしく、 「石原は本気で2丁目をつぶそうとしている」 とブログに書いています。 http
higashimoto takashi taka.h77 at basil.ocn.ne.jp 2009年 6月 7日 (日) 18:08:21 JST 前の記事 [CML 000262] JR東日本が水を盗んだ 次の記事 [CML 000268] Fwd: 浅草聖ヨハネ教会の野宿生活者への給食活動 記事の並び順: [ 日付 ] [ スレッド ] [ 件名 ] [ 著者 ] 私はこれまで、旧AMLほかのいくつかのMLに浅草聖ヨハネ教会の野宿生活者や生活困窮者への 「日曜給食」活動について、また同給食活動に対する近隣の方々からの苦情の問題、それに対する 同ヨハネ教会の方々の誠実な取り組みについて、私なりに知っていることをお伝えする2通のメール を発信しました。 ■Fwd: 浅草聖ヨハネ教会日曜給食活動継続のためのお願い(AML 24864 2009年3月4日) http://list.jca
2009年07月12日 ブサンとソウル、政治とアートを往復紀行 2009年6月26日夕方、博多から高速船で三時間にてブサン港着。フェリー乗り場最寄りの駅から地下鉄で30分、チャンサン駅に到着。巨大なアパートメントビルディング群に睨まれながらしばらく迷ったあげく、人に道を聞いたら日本語ができる人だった。彼の親切な案内で、松本哉交流会が開催されているブックカフェ「4月(サーウォル)」に到着(「4月」というのは、1960年4月のことだと思われる)。狭いけれどもなかなか小粋な感じのブックカフェで、「進歩新党」という弱小左翼政党の支持者などの知り合い同士が集まる飲み屋的サロンとして機能している様子。なんでも松本哉氏の『貧乏人の逆襲』は速攻で韓国語に翻訳されて、人気マンガ家のイラストをあしらった装丁で6千部刷られているという。質疑応答など終了後、店の外にテーブルと椅子を並べて飲み会開始。韓国語が喋れな
おすぎ氏の対談集『いまの日本の大問題』(扶桑社)のなかにこんな記述がある。 おすぎ: 古い話だけど、石原慎太郎が参議院議員に当選したときに、私とピーコがソニービルで選挙速報に出たことがあるのよ、ふたりの第一期黄金時代ね(笑)。そしたら、おっかけがいるのよ。ソニービルに、ババアたちが。 そのババアたちが私とビーコに向かって「あんたたちがね」とか言ったわけよ。もっと言わせていただければ、石原慎太郎が入ってくるなり「俺はナマコとオカマは大嫌いだ」って言ったのね。この!と思いながらも「昨日まではあなた、電信柱にまで頭下げてたじゃない」って言ったの。そしたらね、「精神病院の患者にだって一票はあるんだ」って、ひどい差別発言をしたわけよ。これ全部オンエアされたのよ、テレビ朝日だったから。 そしたら上田哲が「石原さん、それは言い過ぎじゃないか」って。彼は一応NHKだから止めたわけ。そしたら、返す言葉で
Sweden moves closer to nursing homes for gays - The Local スウェーデンのストックホルム市で、LGBT向けの老人ホームを作る計画が進められているというニュース。 同市には、10年以上前から「性的少数者のための特別な老人入居施設を作ろう」という計画があったとのこと。経済不況のためなかなか進まずにいたこの計画ですが、最近、市が老人ホームの多くを私営化すると決めたため、営利団体の参入が可能になり、ついにプロジェクトが進展し始めたとのことです。 プロジェクト・リーダーのChrister Fällman氏は、以下のように語っています。 「私たちが望むのは、老人ホームの入居者が、長年面会に来てくれている恋人のことを『あの人は私の恋人だよ』とホームのスタッフに言えずにいるという、今日でも時々起こる事態を回避するということです」 "What we w
日時:2009年07月11日(土)13時から16時まで (雨天時の振替日は7月20日(祝)です。) 場所:宮下公園内の渋谷駅近くのエリア 渋谷区長からの「ナイキ公園」化の正式発表があり、9月工事着工予定と事態は急変しそうです。そんな中ですが、夏の訪れを感じつつ「宮下公園」でゆっくり過ごそうと「初夏まつり」を開催することにしました。フリマ、ミニライブ、手作りカフェ、似顔絵、、、、など。みなさまのお越しをお待ちしています!!。 ライブ演奏 ウランアゲル、ぬかるみ、他 主催 みんなの宮下公園をナイキ化計画から守る会 連絡先 08065291871(守る会) ▶NoG8 2009 / KEEP IT MIYASHITA PARK (Tokyo) The social cleansing of the homeless in Shibuya, Tokyo (a dubious gentrificat
非公式だが、ミラダに排除の魔手か(6.7. 23:23) ★本日、ミラダに奴らの破壊策動か 非公式情報によれば、ミラダスクォットが本日7日にも破壊される、という。 我々のページを可能な限り確認して抗議の意を示す用意をしてほしい! https://milada.org/ -------------- DEMOLICE MILADY (6.7. 23:23) - PODLE NEOVERENYCH INFORMACI MA ZACIT V UTERY 7.7. DEMOLICE MILADY - SLEDUJTE NASE WEBY - BUDTE PRIPRAVENI VYJADRIT NESOUHLAS! チェコ共和国大使館 Embassy of the Czech Republic in Japan 〒150-0012 渋谷区広尾2丁目16-14 電話:03-3400-8122、03-3
中国の女性やジェンダーに関するニュースを中心に紹介させていただきます。ときに日本の問題も取り上げます。 2024-03 « 12345678910111213141516171819202122232425262728293031 » 今月は「プライド月間」でしたので、LGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー)の人々の活動に関する報告が多くなりました。「プライド月間」とは、1969年6月にニューヨークで起きた、同性愛者らが警察による抑圧に対して立ち向かった「ストーンウォールの反乱」を記念してさまざまなイベントがおこなわれる月間です。 中国におけるプライド月間の活動は、1996年6月、北京のバーで秘密裏にプライド月間の祝賀がおこなわれたのが最初で、2005年6月には初めて公然とレインボー色の凧を飛ばしました。今では30あまりの都市のLGBTの組織がプライド月間をテーマ
在日沖縄人という言い方は、ピンとくるだろうか。私が自分のことを沖縄県出身の日本人ではなく、日本に住む「オキナワン」だと思うようになったのは、つい最近だ。 とは言っても、別に無政府主義者でも独立論者でもない。沖縄島から九州に移り住んだごく普通の会社員。ただオキナワンは大和民族とは違う、歴史的背景や生活文化、社会を取り巻く「共同幻想」が違うということに気づいただけだ。一人のウチナーンチュ(沖縄人)の視点からヤマトンチュ(本土の人)に異議申し立てをしたい。 ▽・・▽・・▽ 話の前に、やや乱暴かもしれないが、歴史をちょっと説明しておく。昔、琉球という小さな国があった。独自の政治・文化圏を持っていたが、明治時代に「日本国」という近代国家ができる時に吸収された。「琉球人」と呼ばれ、アイヌや朝鮮人とともに「二等国民」扱いだった。戦前の徹底した皇民化教育の強化の中で「日本人」という意識を強め、沖縄戦でもお
書評, 奄美大島 | 09:47 | 島からの出港-切れていったカラーテープ昭和50年とちょい。私たち家族は青い海と濃い緑と皮膚をジリジリ差すような陽射しの島を離れ、西郷さんと桜島というイメージでしか知らない本土の土を踏むべく鹿児島港行きの船に乗り込んでいた。少しずつ動き出した船の甲板から見えていたのは、神々しいまでに美しい漆黒の闇をみせる奄美大島の山々だった。神と獣とハブが息をひそめる大島の深い山、そして山に抱かれるように煌々と浮かび上がる名瀬の港の岸壁。 島を離れ、本土に出立する私たち家族のその時の心境を思い起こすと、親類が身を寄せ合って生活していた狭い島から離れることに寂しさを感じながらも、広々とした本土での新生活に対する期待感のようなものが大きかったのではないだろうか。夜遅くに関わらず明るい投光器の照明で浮かび上がった岸壁には大勢の見送り人がおり口々に別れの言葉を叫んでいた。「本土
6/28(日)、BOTHの前には、山谷の共同炊事に行っていました。途中から雨が降ってきて難儀でしたが、そして何より山谷に行く途中で電車に乗り間違えるというトラブルがありましたが、一部分でも参加できて良かったです。 日本各地でホームレスのための「炊き出し」が行われていますが、ここは一方的なサービスの提供ではなく、山谷の労働者や野宿当事者と共に共同炊事を行うというものでした。現場に少し遅れて着くと、思ったよりも大勢の仲間たちで作業をしています。言葉通り「共同炊事」になっていて、良い雰囲気でした。 今回の直接のきっかけは、山谷の運動の内部で女性差別が問題化され、女性差別だけではなく「みんな」で一緒にいられるようにするための試みが「セイファースペース」という言葉で取り組まれているらしいということを聞いたからでした。その辺りのことが「’08-’09 山谷 越年・越冬闘争報告集」には書かれていて、また
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