米兵による少女暴行事件に抗議する沖縄県民総決起大会が宜野湾市で開かれてから、21日で25年を迎える。保守、革新を超えた県民の声は日米地位協定の部分的な運用改善や在沖米軍基地返還の日米合意につながった。県議会議長として大会実行委員長を務めた嘉数知賢(かかずちけん)さん(79)=名護市=は「怒りで島が揺れた。ウチナーンチュ(沖縄の人)が団結したときの力は恐ろしいほどに強い」と言葉に力を込める。 大会の1カ月前、嘉数さんは県議会が全会一致で可決した日米地位協定の見直しなどを求める抗議決議を手に外務省を訪れた。当時の地位協定に基づき米側が容疑者の身柄引き渡しに応じなかったため、県民の憤りはピークに達していた。 上京前、大学の先輩である河野洋平外相(当時)に電話し、直接の面談を申し入れた。「大臣が出てきたまでは良かったが…」。河野氏は「重く受け止める」と述べたものの、地位協定の見直しについては門前払