大伴 古麻呂(おおとも の こまろ)は、奈良時代の貴族。父親については複数の説があり確実なことは不明だが、『万葉集』の「(大伴旅人の)姪胡麻呂」という記述から、旅人の兄弟の子(大伴宿奈麻呂の子)であると考えられる[1]。また、右大臣・大伴長徳あるいは大納言・大伴御行の子とする系図も存在する。官位は正四位下・左大弁。 経歴[編集] 天平2年(730年)大宰帥・大伴旅人が任地で病臥した際に、遺言を受けに大伴稲公と共に九州に赴いている(この時の官職は治部少丞)。天平4年(732年)遣唐留学生に選ばれ、翌天平5年(733年)唐に渡る。帰国にあたって唐人の陳延昌に託された大乗仏典を日本にもたらす[2]。天平10年(738年)兵部大丞を経て、天平17年(745年)従五位下に叙爵する。 天平勝宝元年(749年)孝謙天皇の即位後まもなく左少弁に任ぜられる。天平勝宝2年(750年)再び遣唐使節(副使)に選ば