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ブックマーク / www.rekishijin.com (3)

  • ”謎の大王”と呼ばれた「継体天皇」の真実 | 歴史人

    26代天皇・継体天皇は地方出身の人間として初めて天皇へ即位した。異例の経歴の持ち主である。その生涯には、様々な説が飛び交い、謎が多い人物として語られてきた。ここではそんな継体天皇の謎について迫っていく。 ■即位の謎、流浪の謎など、多数の謎を秘めた大王 Q.地方出身の天皇がなぜ誕生したのか? A.仁徳天皇から続いてきた直系の皇子が不在となったため。 後世に八幡大菩薩として祀られる第15代・応神天皇(大王)。その応神から仁徳天皇から武烈天皇まで10代続いたが、25代・武烈天皇には子がなかった。 「男女無くして継嗣絶ゆべし」(『日書紀』)、つまりは仁徳天皇から続いてきた直系の皇子が不在になったというのだ。そこで越前(福井県)の傍系から婿を迎え入れるかたちで、新たな王が生まれた。これが継体天皇である。彼は武烈天皇の姉にあたる手白香皇女を皇后とした。 継体天皇は応神天皇の5世の孫とされる。また稚野

    gogatsu26
    gogatsu26 2024/01/02
    “継体天皇による新王統の成立は事実上の王朝交代であったと思われるが、後世の『日本書紀』でそう扱われていない。それは、その編纂期における天皇家の祖・継体を有徳の君として扱う必要があったからである。”
  • 行商人を装った私娼「提重」 というお仕事【前編】 | 歴史人

    吉原は公許の遊廓である。そのため、吉原の遊女は公娼(こうしょう)だった。 江戸幕府は、吉原以外での売春、つまり私娼(ししょう)を禁じた。しかし、これはあくまで建前であり、実態は野放しに近かった。 江戸の各地には岡場所と呼ばれる私娼街がたくさんあり、公然と営業していた。町奉行所は見て見ぬふりをしていたといってよい。 ところが、天明七年(1787)に松平定信が老中に就任し、断行した政治改革――寛政の改革は、杓子定規そのものだった。私娼は厳禁され、江戸市中の岡場所はすべて取り払われた。 寛政年間の見聞を記した『梅翁随筆』(著者不詳)は、岡場所の取り払いは徹底していたと記したあと―― 夫より町に住て色を売る事あたはざるゆへ、女商人と成り提重へ菓子を入て、屋しきの部屋々々、辻番所に入来り情を商ふと成。此女を提重と異名して大に流行せしが…… と述べている。 来、提重(さげじゅう)は提重箱の略である。

    gogatsu26
    gogatsu26 2023/09/04
    “提重(さげじゅう)”
  • 江戸庶民が愛した寿司の中で、なぜマグロは不人気だったのか? | 歴史人

    屋台の握りすしは、1つ4文(約120円)からと安価であったが、やがて、この絵に描かれている松ヶ鮨のように1つ150文(4500円)もするような高級店ができたという。山海愛度圖會 国立国会図書館蔵 てんぷら、そばと並んで日を代表する料理、すし。すしも江戸時代に人気のあった料理のひとつだった。ところで、すしはなぜ酢飯を使用するのだろうか。 酢飯という酸味のあるめしを使用するのは、もともとすしは、魚を飯の中に付け込んで発酵させ酸っぱくさせた保存だったからだ。大漁の時などにあまった魚をすしにしていた記録が残る。何年も付け込むことで、魚の硬い骨を柔らかくなりまるごとべることができるという。こうしたすしは「なれずし」といい稲作をしているアジア諸国では古くから作られており遅くとも奈良時代には日に入って来た。現在でも滋賀県の名物として売られている「ふなずし」はこうして作られたものだ。 この「なれず

    江戸庶民が愛した寿司の中で、なぜマグロは不人気だったのか? | 歴史人
    gogatsu26
    gogatsu26 2022/03/19
    “「なれずし」、確かに魚は腐らせずに保存できるが、飯はドロドロになってしまうので、食べずに捨ててしまう。飯を捨ててしまうのはもったいないと、室町時代には飯の形が残るうちに取り出して魚と一緒に食べ…”
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