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宗教とブログに関するgohshiのブックマーク (2)

  • 修辞的疑問と、論法の誠実さ - *minx* [macska dot org in exile]

    ちょっと前のエントリのコメント欄で起きたやり取りについて、id:takoponsさんがコメントを書いている。(追記:お名前を間違えていたので、訂正しました。ごめんなさい。) 私は直前のコメントで、『1つ、確認させてください。macskaさんは、「takoponsは不誠実で失礼な人間である」ということにしておきたいのでしょうか?』と質問しました。この質問に対するmacskaさんからの回答を待って、その後の議論に応じようとしていた可能性は考えられなかったのでしょうか? http://d.hatena.ne.jp/takopons/20080805/1217872800 そうした可能性は考えられませんでした。わたしは、あなたの論法が不誠実だと言っているのに、「いや、自分は自分なりに誠実に議論をしているつもりで、不誠実なつもりはない」と弁解もせずに、「あなたはそういうことにしておきたいのですか?」

    修辞的疑問と、論法の誠実さ - *minx* [macska dot org in exile]
    gohshi
    gohshi 2008/08/05
    "もし「神は本当は存在しないよね」と全員が思ったら、「神の機能」は失われます" 日本の場合ひょっとしたらこれ成り立たないかもしれない。日本人が信仰してるのは「神」ではないのかも
  • ひきつづき「新しい無神論者」エントリへのコメントにお応え - *minx* [macska dot org in exile]

    ひきつづき、家エントリ「『新しい無神論者』の非寛容と、ほんの少しの希望」へのコメントへの回答を続ける。 a-geminiさんは、ドーキンスに関するわたしの記述がミスリーディングだと批判している。「ブクマコメントに一斉お応え」の弁明を読んだうえで、それでも納得がいかないとして次のように言う。 一番変だと思ったのは最初の文書の以下の箇所。 ドーキンスらによれば、肝心なことは理性を尊重し、根拠の無いことを事実だと信仰しないことだという。たとえばスターリンら共産政権の指導者たちはたしかに無神論者ではあったかもしれないが、恐怖政治や個人崇拝の制度を作り、かれら自身が信仰の対象−−理性の審判を受け付けないもの−−となってしまったために間違いをおかした。すなわち対象が神であれ指導者であれ問題なのは信仰であり、理性こそ世界のあらゆる問題に対する答えなのだという。 こうしたユートピア思想と選民思想(自分た

    ひきつづき「新しい無神論者」エントリへのコメントにお応え - *minx* [macska dot org in exile]
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