ブックマーク / ameblo.jp/syowa0204 (18)

  • 虹と雪のバラード|思い出の歌

    作詞    河邨文一郎 作曲    村井邦彦 歌    トア・エ・モア 1971年発売 この歌は1972年に開催された札幌オリンピックのテーマソングです。 私は札幌オリンピックを見た記憶があり、この歌も大好きな歌でした。 歌っておられるトワ・エ・モアは他にも沢山ヒット曲がありますが、私はこの歌が一番好きです。 トワ・エ・モア"toi et moi"はフランス語で「あなたと私」の意味だそうです。 今、このブログを読んで頂いてる殆どの方は札幌オリンピックは見ておられないでしょうが、スキーのジャンプで日が金、銀、銅を独占し日の丸飛行隊と呼ばれるきっかけとなった事は聞かれたことがあると思います。 笠谷選手が金メダルをとられました。 また、フィギュアスケートで氷上で尻もちをつきながらも銅メダルをとったジャネット・リン選手も聞かれたことがあるのではないでしょうか。 ジャネット・リンさんは演技中、尻

    虹と雪のバラード|思い出の歌
  • 翼をください|思い出の歌

    作詞  山上路夫 作曲  村井邦彦 歌   赤い鳥   赤い鳥は1969年に結成され1974年までの5年間活躍されたグループで、他にもヒット曲はありますが私はこの歌が一番好きです。   このグループが解散し、メンバーだった夫婦で結成されたのが「冬が来る前に」のヒット曲で有名な「紙ふうせん」で、同じくメンバーだった夫婦と男性で結成されたのが、「フィーリング」のヒットでNHKの紅白歌合戦にも出場された、ハイ・ファイ・セットです。   これは言葉は悪いのですが分裂と言ったほうが分かりやすいと思います、メンバー同士音楽性の違いがかなりあったようです。   現在、赤い鳥のオリジナル・メンバー5人のうち、山潤子さんは無期限休養に入り、現役で歌い続けているのは紙ふうせんの2人だけとなりました。   2015年に東京で開催されたライブでは、紙ふうせんのお二人がが「赤い鳥」として出演し、後藤さんのギター1

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  • 青い瞳のステラ 1962年夏…|思い出の歌

    作詞  水甫杜司  作曲  上綱克彦 歌    柳ジョージ & レイニーウッド 1980年発売   独特のハスキーな歌声と味わい深いギターで人気を集めた柳ジョージ & レイニーウッドは大好きでした、中でもこの歌が一番好きでした。   柳ジョージ&レイニーウッドは「雨に泣いてる」「FENCEの向こうのアメリカ」「さらばミシシッピー」などのヒット曲があり、中でも79年のアルバム「RAINY WOOD AVENUE」はオリコンチャート1位を記録しました。   案外というか、81年暮れの日武道館公演で解散、わずか6年間の活動だったのです。   柳ジョージさんは2011年、63歳で腎不全で亡くなられました。   かなりの酒豪で酒が寿命を縮めたのは間違いないようです。   実は意外ですが、タレントの志村けんさんとは、親交を深めていた時期があったそうです。   訃報が公になった10月14日、志村さんは

    青い瞳のステラ 1962年夏…|思い出の歌
  • オー・シャンゼリゼ|思い出の歌

    作詞 ピエール・ドラノエ 作曲 マイク・ウィルシュ ・ マイク・ディーガン 歌   ダニエル・ビダル 1969年発売   ダニエル・ビダルさんは はフランスの女性歌手で1970年代前半に日で活躍したことで知られています。   私が子供も頃はよくテレビで良く見て、日で活躍されてました。   また、日語の歌詞を付けた盤も出されるなど、しばしば日に長期滞在されていたようです。   当初は歌唱力にやや難があったが、金髪碧眼で日人女性より小柄な事からフランス人形のように愛らしいと形容され、すごい人気でした。   日語の歌のレコードを出すだけでなく、テレビのバラエティ番組にもしばしば出演し、日アイドルタレントの観を呈しました。 人も親日家である事を公言していた。1980年に日の グループサウンズ 「チャコ&ヘルスエンジェル」のメンバーと結婚され、男児をもうけられましたが離婚されまし

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  • 激しい恋|思い出の歌

    作詞  安井かずみ 作曲  馬飼野康二 歌    西城秀樹 1974年発売   郷ひろみ、野口五郎さんと西城秀樹さんは新御三家と呼ばれ、一世を風靡されました。 私は、この歌が一番好きです。   西城秀樹さんと言えば、歌も良かったのですがテレビドラマ、映画が記憶に残っています。 テレビは「寺内貫太郎一家」という番組で、いつも見てました。   映画は「愛と誠」です。 その頃は梶原一騎さんの全盛期で、「巨人の星」「あしたのジョー」「タイガーマスク」「空手バカ一代」等々沢山のヒットを飛ばしましたが、その中に「愛と誠」もありました。   2010年に51歳で亡くなられた早乙女愛さんは、この漫画のヒロインの名前から芸名をつけられました。   愛と誠は1973年から1976年まで週刊少年マガジンに掲載されていましたが、漫画のオープニングに描かれている言葉があります。   「愛は平和ではない。愛は戦いであ

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  • ポーラー・スター|思い出の歌

    作詞  八神純子 作曲  八神純子・三浦徳子 歌    八神純子 1979年発売   八神純子さんは沢山のヒット曲がありますが、私はこの歌が一番好きです。   その頃、久米宏さんと黒柳徹子さんが司会の「ザ・ベストテン」という歌番組がありましたが、八神さんはヒット曲が絶え間なくあって、この番組の常連だったように思います。   久米宏さんは八神純子のことをいつも「小太り」などと言いいつも彼女をからかっていました。 八神純子さんが涙を浮かべた回もあり、八神純子さんはこの番組に出たくなかったとあとで暴露されてます。   久米宏さんは「ザ・ベストテン」を休養されたことがありました。 それは、彼の愛人が自殺未遂をして、それが公けになりマスコミに知れることとなったからです。   休養が終わってから、今度は中森明菜さんが近藤真彦さんのマンションで自殺未遂をおこし、それでザ・ベストテンに中森明菜さんが出演出

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  • スーパースター|思い出の歌

    作詞   レオン・ラッセル 作曲   ボニー・ブラムレット 歌    カーペンターズ 1971年発売   兄、リチャード・カーペンターと妹のカレン・カーペンターの兄妹デュオです。 カーペンターズの音楽は1970年代を代表する陽性なポップスの象徴であり、ビートルズを越える人気とまで言われるようになり、彼らに匹敵するようなバンドも現れてきませんでした。   日でもすごい人気でして、私はこの歌が一番好きです。 カーペンターズが人気絶頂の時にこの歌が発売され、まさにカーペンターズこそスーパースターなのだと思いました。   表向き明るいポップス・デュオというイメージの裏で彼らがさまざまな苦しみを経験したことはよく知られていますが、最大の問題は精神的な病ともいえたカレンの拒症の問題でした。   カレンは1983年、拒症が原因による心臓発作でこの世を去りました。 32歳という若さでした。そして、こ

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  • 銀の雨|思い出の歌

    作詞  松山千春 作曲  松山千春 歌   松山千春 1977年発売    私の青春時代はラジオの深夜放送が人気がありました。   松山千春さんは最初はオールナイトニッポンの2部(3時~5時)のD,Jをされてました、その後1部(1時~3時)に昇格しました。   私はラジオを聴いてましたので、「季節の中で」がヒットする前から好きで、中でもこの歌が一番好きです。   その当時、北海道の有珠山が噴火して人的被害をもたらしましたが、その噴煙を見て「銀の雨」をつくったそうです。   松山千春さんと言えば鈴木宗男さんと切っても切れない仲です。   2人は北海道足寄町出身で、高校の先輩後輩にあたります。 鈴木宗男さんがが衆院選挙で初当選以降、後に有罪が確定するあっせん収賄事件などで大バッシングを受けても、一途に応援を続けてきました。 今、急に応援する訳では無く、以前からの親交ある鈴木氏が窮地にある時に変

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  • 負けないで|思い出の歌

    作詞  坂井泉水 作曲  織田哲郎 歌    ZARD 1993年発売   ZARDの中でこの歌が一番好きでした、この歌を聴くと当に元気がでたものです。   早いもので、坂井泉水さんが亡くなられて、5月で10年になりました。   1991年にデビューし、2007年に残念なことに慶応大学病院に入院中に、階段から転落したことが原因という理由で亡くなられました。 坂井泉水ファン、ZARDファンにとっては衝撃的な出来事でした。   テレビ等いろいろなメディアがその死を報道しましたが、その理由ははっきりとしないものでした。 その当時の坂井さんの年齢はまだ40歳の若さでした。   もともとテレビに出演したりライブも殆どされなかって、謎めいたグループではありました。   その後いろいろなな報道がなされましたが、私個人としては坂井さんは事故に見せかけて人生に終止符を打たれたのだと思っています。   何故

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  • サボテンの花|思い出の歌

    作詞  財津和夫 作曲  財津和夫 歌   チューリップ   私は中学生の頃からチューリップが好きで、この歌が一番好きでした。   しかし、何と言ってもこの歌が有名になったのは、1993年のテレビドラマ「一つ屋根の下」の主題歌になったからではないでしょうか。 この歌は財津和夫さんの失恋体験を歌った歌だそうです。   一つ屋根の下は私も見てまして、江口洋介、福山雅治、いしだ壱成、山耕史、そして酒井法子さんも出演してました。   酒井法子さんは2009年に覚醒剤取締法違反で逮捕され、有罪判決を受けました。   薬物で逮捕された有名人を書いてみたいと思います。   田中聖(元KAT-TUN)     2017年大麻取締法違反で逮捕。 萩原健一            1983年大麻取締法違反で逮捕。 井上揚水            1977年大麻取締法違反で逮捕。 小向美奈子          

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  • 横須賀ストーリー|思い出の歌

    作詞  阿木燿子 作曲  宇崎竜童 歌   山口百恵 1976年発売   この歌は山口百恵さんの歌の中では一番好きな歌です。 阿木燿子・宇崎竜童さんのコンビによるはじめての歌で、まさにこの歌はアイドルから決別された歌なのです。   山口百恵さんは中3トリオ(あと桜田淳子さん、森昌子さん)の中でも一番好きで、歌も好きでしたが、テレビドラマの「赤い迷路」「赤い疑惑」「赤い運命」等の赤いシリーズはずっと見てました。   山口百恵さん、三浦友和さんの「伊豆の踊子」「潮騒」は映画館に行ったことは鮮明に覚えてますし、不思議なことにストーリーも鮮明に覚えています。 デビュー当時、山口百恵さんの生い立ちは、母子家庭に育ったとされていました。 しかし、実は認知されていたものの、愛人の子であったという真実の生い立ちを、200万部のベストセラーとなった自叙伝「蒼い時」で明かしています。   そして山口百恵さんは

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  • 別れても好きな人|思い出の歌

    作詞  佐々木勉 作曲  佐々木勉 歌    ロスインディオス&シルヴィア 1979年発売   この歌は100万枚以上を売り上げるミリオンセラーの大ヒット曲で、1980年にはロスインディオス&シルヴィアは紅白歌合戦に出場されてます。   私もスナック等でこの歌をデュエットしますが、この歌を知らない女性は殆どおられません。 まさにデュエット曲の定番ではないのでしょうか。   男と女が別れた場合その殆どが「別れても好きな人」ではないでしょうか。   「会うは別れの始め」という言葉があります。 この言葉ほど人生の無常を表している切ない言葉はありません。   出会ったときから別れは始まっていて、会った人とは必ずいつか別れる時が来ます。 両親、兄弟、親戚、友達、長年寄り添った夫婦でも、必ず人は死にますので別れは必ずやってきます。   「会うは別れの始め」私は、その言葉を、「一期一会」という言葉と対に

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  • 昨日の女|思い出の歌

    作詞  阿久悠 作曲  五十嵐悟 歌   小林繁 1980年発売   私が20歳ぐらいのときにいつも行くスナックがありました。 そこのママは歌がものすごく上手で、いつもこの歌を歌っておられました。   私は「良い歌だな」と思い、それからずっと私のカラオケの十八番になった歌で思い出がある歌です。 今でも歌う機会があれば、必ず歌います。   歌っているのは、元阪神と言えばいのでしょうか、あの江川事件で巨人軍からトレードで阪神に行かれた小林繁投手です。     小林繁さんは巨人軍とのトレードで億という裏金を手にしました。 そして、歌も上手いからレコードを出して歌手デビューもされ、またお金が入りました。   親交のある内山田洋とクールファイブの前川清さんから、「お前なら歌手でっていける、野球やめちゃえ」と言われるぐらいに歌は上手でした。   最初の奥さんと離婚されてから、中森明菜、小柳ルミ子、片

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  • あの人の手紙|思い出の歌

    作詞 伊勢正三 作曲 南高節 歌  かぐや姫 1972年 発売    「神田川」で有名になったかぐや姫が解散して、2枚組LPレコードの「かぐや姫フォーエバー」が発売されると、人気に火がつきました。   解散が契機になって人気が出てきた珍しいグループでした。   私は中学生でしたが、このアルバムは毎日聴いていました、全ての曲が良いのですがしいて言えば「あの人の手紙」が一番好きです。   そしてその頃はラジオの深夜放送が人気があり、私も南こうせつのオールナイトニッポンを聴いていました。   たしか土曜日のオールナイトニッポンは笑福亭鶴光がD.Jでした。   あの頃は将来どんな職業に就きたいのかのアンケートでD.Jが上位にあったそんな時代でした。   風(伊勢正三と大久保一久)の「22才の別れ」も、イルカの「なごり雪」も元々フォーエバーに入ってる曲です。   今、発売された年を1972年と書き込

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  • ひとりじゃないの|思い出の歌

    作詞  小谷夏 作曲  森田公一 歌    天地真理 1972年発売   昔は学習雑誌の中1コースとか、中1時代とかが人気があり殆どの人が定期購読されてました。 私が小学6年生のとき、中1コースの定期購読をすれば、いろいろなプレゼントがあった中に天地真理さんの等身大ポスターがありました。   私はそのポスターが欲しいので迷わず中一コースを予約しました、そしてそのポスターは2年間ぐらい私の自室に貼っていました。   この歌は天地真理さんの最大のヒット曲で、私も一番好きな歌でした。 テレビドラマの「時間ですよ」にも出演され、「真理ちゃんスマイル」という言葉も生まれました。   その当時テレビを見てて天地真理さんを見ない日はないくらい人気でした、まさに国民的アイドルという言葉は彼女のための言葉でした。   1977年に体調不良で入院され、その後自宅療養をされてたそうでテレビから消えました。  

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  • エマニエル|思い出の歌

    作詞  ピエール・バシュレ 作曲  ピエール・バシュレ 歌   ピエール・バシュレ 1974年   日で1974年に公開された、フランス映画「エマニエル夫人」の主題歌です。 映画はもちろんのこと、この歌も大ヒットしまして、私は「何てフランス語は美しいのだ」と思った曲で忘れられない歌です。   この歌を作ったパリ在住の作曲家ピエール・バシュレは、誰かにこの歌を提供しようと思ったのですが、歌う人がいなかったので自分で歌うことにしたそうです。   すごく、けだるそうに歌ってますがそれがまたいいのです。   この映画の主演女優のシルビア・クリステルは2012年、60歳で亡くなられました。 咽頭がんが発症、その後脳卒中で倒れ、アムステルダムの病院で寝たきりの状態が続いていたそうです。   ちなみにシルビア・クリステルは11歳の頃からのヘビースモーカーだったそうです。 まだ60才の若すぎる最後でした

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  • マイ・メモリー|思い出の歌

    作詞:  Ryu 作曲:    Park Jeong-won 歌      Ryu 2002年 韓国で放映 2004年 日で放映   2004年、日韓国テレビドラマの「冬のソナタ」が放映されました。   韓流ブームとなった作品であり、「冬ソナ現象」と呼ばれるほどの大ブームが日でも巻き起こりました。 その中にいろいろな音楽が流れるのですが、私はこの「マイ・メモリー」が一番好きでした。 わかって頂くためにアップさせて頂きます。   Ryuはこの年の紅白歌合戦に出場されてます、ちなみに冬のソナタの主題歌の「最初から今まで」を歌われました。   私はこの冬のソナタのテレビは観てなかったのですが、そのとき一緒に働いていた女性からVHSのビデオテープのダビングを頼まれたのです。   それが冬のソナタでして、観ているととても面白くてハマってしまいました。   ユジン役のチェ・ジウさんが冬ソナブ

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  • そんな女のひとりごと|思い出の歌

    作詞 木未野奈  作曲 徳久広司 歌 増位山太志郎 1997年に大相撲の関取である増位山が歌いました。 増位山はその後大関に昇進しました。   この歌は私が社会に出て、初めてスナックに行き歌った歌です。   この歌詞の中に「グレーの背広にラークのタバコ・・・」という歌詞がありますが、その頃は殆どの男性がタバコを吸っていまして、私もラークのタバコに憧れたものです。   私は相撲も好きでして、大相撲大阪場所に行ったことがありますが、増位山はアメリカのフォード社のサンダーバードというすごい大きな車で場所入りしてたのが印象的です。   当はこの歌のヒットで紅白歌合戦に出場するのではといわれてましたが、惜しくも出場できませんでした。   この他にも増位山は「そんな夕子にほれました」等ヒット曲が沢山あります。   親方をされてましたが、定年退職後は歌手になられ現在も活躍されてます。   増位山は美男

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