hajime@hajime0083@fedibird.com @hajime0083 司馬遼太郎が史学を齧ってるとどんな立ち位置かというと、とあるジャンルで二次創作の超大手がいて、その大手が書く本の三次創作がめちゃくちゃ溢れてるので「この設定は原作!(原作にはそんな設定はない)」とみんなが思っており、「そんな設定ないんですよ!!」と原作を読む人が頭を抱えてる状態 2023-11-30 09:52:53
シェイクスピア研究やフェミニスト批評などを専門とする研究者の北村紗衣(きたむら・さえ)さんによる新書『批評の教室 ─チョウのように読み、ハチのように書く』(筑摩書房)。 「批評」を学ぶ大学生のために書かれた本ですが、本や映画、演劇などの作品をより深く理解するためのポイントから実践的な批評の仕方まで、批評の初心者にも分かりやすい語り口で丁寧に解説されており、私たちが本や映画を楽しむためのヒントも満載です。 本を書いたきっかけや「批評」の必要性、作品を味わうときに意識したいことなど、北村さんにお話を伺いました。 なぜ「批評の仕方」なのか? ——『批評の教室』を書いたきっかけを教えてください。 北村紗衣さん(以下、北村):『批評の教室』は、私が2018年に武蔵大学のゼミで行った内容がもとになっています。ゼミではひたすら映画批評だけをしていて、学生の満足度も高かったのですが、カリキュラムの関係で1
北条時行って誰なのか。北条って苗字は知ってる。聞いた事ある。時政?時宗?なんなそんな人が歴史の教科書に出てきたきがする。 豊臣秀吉、織田信長、徳川家康、武田信玄、上杉謙信、伊達政宗くらいならどういうドラマがあったのかだいたいわかる。でもその程度。 日本じゃないけど三国志とかもよくわかってない。諸葛孔明とか劉備とか?四面楚歌って言葉もそこ由来だっけ? 歴史以外にも文学。クソデカ羅生門は羅生門を知らないとその面白さがわからない。 他にも増田に対してブコメで色々な文学作品のパロディである事を指摘している人が沢山いる。 みんな色々な事を知っている。 そういう話題、というか教養。当たり前にはてなで盛り上がる教養が自分には備わっていないことに劣等感がある。 みんないったいいつ興味を持って、何に触れるとそういう教養を身につけられるのだろう。
<ノーベル文学賞候補の「中国で最も論争の多い作家」が説く新型コロナウイルスの経験を忘れる愚かさと恐ろしさ。「中国では発表できない」として、本誌「新型肺炎 何を恐れるべきか」特集(3月10日号)に寄せられたメッセージを全文公開する> 「李文亮のような『警笛を吹く人』にはなれないのなら、われわれは笛の音を聞き取れる人になろう」 ──閻連科 李文亮(リー・ウェンリアン)とは、昨年末から原因不明の肺炎患者の増加に気付いて感染拡大の警告を発したことで処分を受け、その後自らも感染して亡くなった30代の武漢在住の眼科医である。 閻連科(イエン・リエンコー)は、村上春樹に次ぐアジアで2人目のカフカ賞受賞作家で、ノーベル文学賞候補としても毎年のように名前が挙がる、世界中で読まれている中国の作家だ。日本でも『人民に奉仕する』『愉楽』『炸裂志』など少なからぬ翻訳が刊行されており、ファンは多い。中国ではたびたび作
Executive Summary フィッツジェラルド『華麗なるギャッビー』は、当初それほど評判はよくなかったし、フィッツジェラルドも晩年は不遇だった。だが、第二次世界大戦の米軍兵士慰問用の推薦図書に含まれたことで、その命運は変わった。つらい戦場の兵士にとって、この小説は華やかで豊かな夢のアメリカのイメージを喚起する小説として人気を博したのだった。そして、それがフィッツジェラルドの戦後の読者層を確保したことで、彼は再評価されるに到ったという。 華麗なるギャツビー (角川文庫) 作者:フィツジェラルドKADOKAWAAmazon フィッツジェラルドの『華麗なるギャッビー』は、アメリカ金ピカ時代を描いた大傑作で、村上春樹が訳しなおしたりしている。作者存命中は全然売れず、その死後にフィッツジェラルド再評価の気運が高まって大ブレイクを果たしたというのも有名なところ。 村上訳『グレートギャッビー』の
■編集元:噂話板より「三島由紀夫の噂話・思い出話2」 1 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/25(金) 12:28:24.01 引き続き、要望が多数あったので立てました。 前スレ 三島由紀夫の噂 http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/uwasa/1195914213/ 2 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/25(金) 12:36:29.44 (三島事件のあと)あるポーランド人の団体から招待されたときのことが想いだされてくる。 きっかけをつくったのはソルボンヌにおける私の学友、ポニアトスキー(仮名)だった。(中略)長身で赤ら顔の ポーランド人で、つねに微笑をもって語り、その人柄は善意にあふれていた。いつも詰襟に丸首のカラーをしていた。 カトリック神父だったのである。 (中略)事件後ちょうど一ヶ月、クリ
http://blog.tatsuru.com/2009/06/06_1907.phpより。 ムラカミ・ワールドは「コスモロジカルに邪悪なもの」の侵入を「センチネル」(歩哨)の役を任じる主人公たちがチームを組んで食い止めるという神話的な話型を持っている。 『羊をめぐる冒険』、『ダンス・ダンス・ダンス』、『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』、『アフターダーク』、『かえるくん、東京を救う』・・・どれも、その基本構造は変わらない。 「邪悪なもの」は物語ごとにさまざまな意匠(「やみくろ」や「ワタナベノボル」や「みみず」などなど)をまとって繰り返し登場する。 この神話構造については、エルサレム賞のスピーチで村上春樹自身が語った「壁と卵」の比喩を思い浮かべれば、理解に難くないはずである。 このスピーチでは、「邪悪なもの」とは「システム」と呼ばれた。 「システム」はもともとは「人間が作り出した
この項目では、歴史上の人物について説明しています。彼を題材とし、その名が通称ともなっている歌舞伎の演目については「平家女護島」をご覧ください。 俊寛の墓(喜界島) 俊寛(しゅんかん、康治2年(1143年) - 治承3年3月2日(1179年4月10日))は、平安時代後期の真言宗の僧。僧位の「僧都」を冠して俊寛僧都(しゅんかん そうず)と呼ばれることも多い。 村上源氏の出身で、父は木寺(仁和寺院家)の法印寛雅、母は宰相局(源国房の娘で八条院暲子内親王の乳母)。姉妹に大納言局(八条院女房で平頼盛の妻)。 生涯[編集] 後白河法皇の側近で法勝寺執行の地位にあった。安元3年(1177年)、藤原成親・西光らの平氏打倒の陰謀に加わって鹿ヶ谷の俊寛の山荘で密議が行われた(ただし、『愚管抄』によれば、信西の子・静賢の山荘で密談が行われたとされている)。だが、密告により陰謀は露見し俊寛は藤原成経・平康頼と共に
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