ロハスが何じゃい。 スローライフがどうするんじゃい。 環境保護者がなんで捕鯨船にペンキを投げるんじゃい。 中西悟堂翁が怒鳴っている。 自然を保護するとは、人間を保護することなんだ。 文明にはもともとアフターケアが必要なんだ。 自然を傷めて、福祉なんてする必要がない。 僧職を出て、鳥たちと遊び、ハダカで暮らし、 文明の暴力と闘いつづけた中西悟堂の、 これは「かみなりさま」との誓いの一冊だ。 比叡山に鳥の声を聴きにいったのは小学校5年の夏休みだった。昭和29年(1954)のことだ。簡便なズック鞄に、母が用意してくれた一泊用の薄い毛布やお菓子やおにぎりを入れて、見知らぬ小学生や中学生のグループに仲間入りした。 これが中西悟堂の「日本野鳥の会」主催の探鳥会だということはずっとあとになってわかったことで、そのときは比叡山にはブッポーソーと鳴く鳥がいるというくらいしか知らないままのキャーキャー参加だっ