坂口安吾の「源頼朝」(『安吾史譚』所収)を読んだとき、私は最初、頼朝の前半生(伊豆での流人生活)から後半生(鎌倉幕府の創立)への転回・飛躍が、何か突然の思いもよらない冒険のように思えた。源氏の大将源義朝(よしとも)が平治の乱に負けて京都から逃れ、父(義朝)の一行とはぐれた十三歳の頼朝は遊女屋にかくまわれて潜伏生活をつづける。ところが父、長男悪源太、次男朝長はいずれも「非業の最期」をとげ、「三男頼朝が自然に源氏の正系となった」。やがて頼朝も平家の侍に捕らえられ、「六波羅(ろくはら)へ送られて死罪になる」ところだったが、平清盛の継母の池の尼が頼朝の助命をたのんでくれたため、伊豆への流刑で済むことになる。以後頼朝は伊豆の片田舎でまる二十年間というもの、父祖の菩提を弔うため一日も欠かさずに念仏三昧に日を暮らす。 そんな「無為の二十年」を過ごしていた頼朝が、北条政子との駆け落ちめいた結婚によって坂東