芸術競技については、当時の輸送技術では建築や音楽・文学を除く美術作品の移動に関してスケジュールの調整や品質の管理が難しいことに加え、客観的な基準をもって採点を行うことが困難であり、しばしば恣意的な判定があったのではないかとの批判が生じたこと、参加する選手の多くがプロの芸術家だったことや展示された作品を転売することがアマチュアの精神に反する事などが理由として、1952年ヘルシンキオリンピックで、芸術競技の開催を主催者側に拒否され、芸術競技の開催は終了した[1]。 これらのうち採点に関する問題については、現在のオリンピックにおけるフィギュアスケート、アーティスティックスイミング等の芸術的要素が重視される競技においても議論の的になっている。芸術競技はそうした背景から、近代オリンピックが「世界的な祭典」からより純粋にトップアスリートの競技の場として変貌していくなかでそぎ落とされたものともいえる。