ブックマーク / blog.tatsuru.com (208)

  • 中国はこれからどうなるのか? - 内田樹の研究室

    『月刊日』の2021年2月号に中国についてのロングインタビューが掲載された。いつもの話だけれど、なかなかまとまっているので、掲載されたものの元になったロング・ヴァージョンをご高覧に供したい。 ーいまや中国は米国に次ぐ大国であり、その動向は世界の行方を左右します。現在の中国をどう見ていますか。 内田 まず抑えておくべきことは、中国といっても一枚岩ではないということです。僕たちはどうしても国家には首尾一貫した戦略があって、それを計画的に実行していると考えがちです。でも、実際には、どの国にも複数の政治勢力、政治的意見が併存していて、その時々の内外の環境に適応して、合意形成しているわけです。 事情は中国も同じだと思います。今、中国は東アジアできわめて強権的にふるまっていますけれど、それは中国共産党が長期的な国家戦略を着々と実施しているというより、共産党内部の意見対立や権力闘争を含む様々な国内的な

  • 日本学術会議問題について - 内田樹の研究室

    神奈川新聞のインタビューで日学術会議問題についてコメントをしたものを再録。 日学術会議の新会員任命拒否に対して、多くの学会が次々と抗議の声を上げ、政府と学術団体の対立は収束する気配がありません。 菅政権はなぜ発足早々にこのような政治的緊急性のない事案に手を出したのか。なぜ学術団体からの激しい反発を予測できなかったのか。単に「政治センスが悪い」というのも一つの解ですが、それよりは主観的には合理的な行動のつもりだったと考えたほうが引き出せる知見は多いと思います。 菅政権が最優先する政治課題は「統治コストの最少化」です。どうやって統治コストを最少化するか。前政権の官房長官として首相が学んだのは、反対派の異論をすべて黙殺して、国民の間に政治に対する諦めと無力感を蔓延させるという手でした。 安全保障関連法案でも、特定秘密保護法案でも、国民の過半数が「採決を急ぐべきではない」と意思表示する中、前政

  • 現状分析と展望 - 内田樹の研究室

    ある媒体からメールでQ&Aで現状についてのコメントを求められた。字数が制限されていたので、ロング・ヴァージョンを再録しておく。 1)いま、「こんな社会でいいのか」と多くの国民が思っています。コロナ危機が告発、可視化しているように見える安倍政治の無能ぶり、「新自由主義」の害悪について、どうお考えですか。 安倍政権の無能無策は首相個人の属人的な欠点というのにとどまらず、この政権とその支持層が奉じている「新自由主義」イデオロギーの欠陥が致命的なしかたで露呈したものだと思います。 「新自由主義」イデオロギーの際立った特徴は資源の「選択と集中」にあります。利益の上がりそうなセクターに資源を集中的に投入し、採算の合わない部門は切り捨てる。効率、生産性、費用対効果・・・そういう配慮を最優先させる。けれども、コロナ禍でわかったのは、「選択と集中」戦略はパンデミックのような社会的に危機に対してはまったく役に

  • 隣組と攻撃性 - 内田樹の研究室

    市民たちの相互監視が始まっている。 GWの外出自粛を受けて、県外の車を煽ったり、傷をつけたりする事例が出ている。休業要請に従わず開業している店舗に落書きをしたり、備品に傷をつけたりする人も出て来た。 「こういうこと」ができるのは、「そういうことをしても許される社会的な空気」を彼らが感知しているからである。いまなら「そういうこと」をしても処罰されない、少なくとも「私は市民として当然の怒りに駆られたやったのだ」という自己正当化ができると知ると「そういうこと」をする人たちがいる。 私はそういう人たちをこれまで何度も見て来た。前にも書いたが今度も繰り返す。 私たちの社会は「自分がふるう暴力が正当化できると思うと、攻撃性を抑制できない人間」を一定数含んでいる。彼らがそのような人間であるのは、彼らの責任ではない。一種の病気である。 人間は「今なら何をしても処罰されない」という条件を与えられたときにどの

  • コロナ後の世界 - 内田樹の研究室

    『月刊日』にロングインタビューが掲載された。「コロナ後の世界」について。 ■「独裁か、民主主義か」という歴史的分岐点 ―― 世界中がコロナ危機の対応に追われています。しかしたとえコロナが収束しても、もはや「元の世界」には戻らないと思います。内田さんはコロナ危機にどんな問題意識を持っていますか。 内田 新型コロナウイルス禍は、これからの世界のあり方を一変させると思います。「コロナ以前」と「コロナ以後」では世界の政治体制や経済体制は別のものになるでしょう。 最も危惧しているのは、「新型コロナウイルスが民主主義を殺すかもしれない」ということです。こういう危機に際しては民主国家よりも独裁国家の方が適切に対処できるのではないか・・・と人々が思い始めるリスクがある。今回は中国が都市閉鎖や「一夜城」的な病院建設や医療資源の集中という、民主国家ではまず実施できない政策を強権的に下して、結果的に感染の抑制

  • 沈黙する知性 - 内田樹の研究室

    夜間飛行からもうすぐ『沈黙する知性』というが出る。平川克美くんとの「たぶん月刊話半分」の対談を文字起こしして、大量に加筆したものである。ラジオで聴いたよ、という人もまあ悪いことは言わないから買ってみてください。「悪いようにはしません」(@村上春樹) 以前に「日の反知性主義」というを出したときに集中砲火的な批判を浴びたことがある。とりわけ私が「反知性主義」という語を一意的に定義していないという点を咎められた。キーワードを一意的に定義しないままで恣意的なラベル貼りをするようなふるまいこそ「反知性的」ではないか、と。 申し訳ないけれど、私は「キーワードを一意的に定義してから話を始めよ」というタイプのクレームには原則的に取り合わないことにしている。 というのは、私たちがそれなりに真剣になって議論しているとき、そこで行き交っているキーワードの理解は論者全員において一致していないのがふつうだから

  • 海民と天皇 - 内田樹の研究室

    新天皇の即位の儀式が行われた。 私は天皇制についてはこれを支持する立場をとっている。 その理路は『街場の天皇論』において述べたので、ここでは繰り返さない。 新天皇について私は「網野史学」の系譜に連なる人だと思っている。異論のある方もいると思うけれど、私はそう思っている。 日がそのような批評的知性を備えた天皇を「国民統合の象徴」として得たことを私は例外的幸運だと思っている。 即位への祝意を込めて、「街場の天皇論」に書き下ろした一文をブログに採録する。 海民と天皇 ■はじめに 天皇論について書き溜めたものを一冊のにまとめることになって、その「ボーナストラック」として「海民と天皇」という書き下ろし論考を添付することにした。これまで折に触れて書いたり話したりしてきた話なので、「その話はもう何度も聞いた」と閉口する人もいると思うが、ご海容願いたい。さしたる史料的な根拠のない、妄想に類する思弁であ

  • 韓国メディアからの質問と答え - 内田樹の研究室

    韓国の Kyunghyang newspaper というところからメールで安倍政権の対韓制裁についていくつか質問が来た。英語でのやりとりだったのだけれど、日語訳をここに掲げておく。 質問そのものがたいへん徴候的だった。 それは「日の改憲運動は『アメリカから押し付けられた憲法』を廃絶する目的のものだから、それを推進している安倍は反米のはずである」という不思議な推論である。たしかに海外から見たら「アメリカ的民主主義を否定する親米政権」というのは理解に難いものだろう。だから、今回の対韓制裁も、アメリカが仲裁に入って、韓国側についた場合に、「日国内に反米感情が高まり、それを推力に改憲を進めようとしているのではないか」・・・というような不思議な考えを示してくれた。日では絶対にありえない発想だけれど、それはむしろ「われわれにとっての常識」が「日の外から見たら理解不能」だということを意味してい

  • 廃仏毀釈について - 内田樹の研究室

    昨日の寺子屋ゼミで「廃仏毀釈」についての発表があった。いくつかコメントをしたので、備忘のためにここに書き留めておく。 神仏分離・廃仏毀釈というのは不可解な歴史事件である。すごく変な話なのである。歴史の教科書では「合理的な説明」がよくなされているが(水戸学が流行していた。明治政府が欧米列強に伍するためにキリスト教に対抗して国家神道を体系化するために行った。江戸時代の寺檀制度に増長した僧侶の堕落のせいで民心の仏教から離反していた・・・などなど)、どうも腑に落ちない。 神仏習合というのはそれ以前にすでに1300年の伝統のあるほとんど土着した日の宗教的伝統である。それを明治政府の発令した一篇の政令によって人々が軽々と捨てられたということがまず「変」である。この人たちにとって、千年を超える宗教的伝統というのはそんなに軽いものだったのか? 神仏分離令の発令は慶應四年(1868年)である。「五畿七道

  • 『真実の終り』 - 内田樹の研究室

    「真実の終わり」(ミチコ・カクタニ、集英社、2019年)の書評をある雑誌から頼まれた。たいへん面白いだったので、すぐに書評を書いた。書き終えてから原稿依頼メールを見たら「800字」とあった。 3000字近く書いてしまっていたので、しかたがないので、短くしたものを雑誌に送った。せっかく書いたものなので、ロングヴァージョンをここに上げておくことにした。 ソーカル=ブリクモンの『知の欺瞞』はフランスの哲学者たちがどうしてあれほど分かりにくく書くのかについての憤激に動機づけられたものだったけれど、『真実の終り』はそれから20年後に何が起きたのかを教えてくれる。 どうして、世界中の政治指導者たちが同時多発に「真実」に対して冷笑的になったのかずっと不思議だった。嘘つきというのはもともと器質的なものである。病的な虚言癖の人間は一定の比率で必ず登場する。だから、「病的な嘘つきがもたらす災厄からどうやって

  • 新元号について - 内田樹の研究室

    新元号についていくつかのメディアから取材があって、コメントを述べた。 どれも短いもので、意を尽くせなかったので、ここにロングヴァージョンを採録する。 ロシア国営通信社『ロシア・セヴォードニャ・スプートニク』の日語版に寄稿したものである。 紙面では短縮されているかもしれないが、これがオリジナル。 最初に、元号に対する私の基的な立場を明らかにしておく。元号を廃し、西暦に統一すべきだという論をなす人がいるけれど、私はそれには与さない。それぞれの社会集団が固有の度量衡に基づいて時間を考量する習慣を持つことは人性の自然だと思うからである。 西暦は発生的にはイエス・キリストの誕生によって世界は一変したという信仰をもつ人々が採用した「ローカルな紀年法」に過ぎない。たしかに利用者が多く、国際共通性は高いけれども、多数であることは、それ以外の紀年法を廃して、西暦を世界標準にすべきだという十分な論拠にはな

  • 能楽と武道 - 内田樹の研究室

    標記のようなタイトルで、ある文化団体のパンフレットに短文を寄せた。 昨日、大槻能楽堂で話した「海民と騎馬武者のコスモロジー」の原型はこちらである。 昨日は口頭発表だったので、あまり文献的な根拠を示すことができなかったが、こちらはテクストなので、典拠が示されている。 武道と能楽の関係についての私の基的はここにある通りである。 武道と芸能 合気道という武道を40年、観世流の能楽20年稽古してきた。いずれも「日暮れて道遠し」だが、この二つの技芸の連関をそれぞれの実践者という立場から語る人があまりいない。この立ち位置を奇貨として、二つの領域の「あわい」から見えるものについて一言書きとめておきたい。 武道と能楽の間には深い繋がりがある。 今でも私たちが容易に手に取るこのできる最古の武道の伝書の一つ、柳生宗矩の『兵法家伝書』は能楽の比喩がたいへんに多い。代表的な箇所を引く。 「あふ拍子はあしゝ、あは

  • メディアリテラシーについて - 内田樹の研究室

    標記の主題についてこれまでに書いたものをいくつか採録しておく。 最初は2007年に書いたもの。話は古いけれど、言いたいことは変わらない。 閣僚の資産公開の記事の中にある閣僚が持っているテレビ局の株が値下がりしてたいへん困っているということが載っていた。閣僚は株の売買が禁じられているので、値下がりしても売ることができず、指を咥えて資産価値が目減りしてゆくのを眺めるしかないらしい。気の毒なことである。 だが、それ以上に驚いたのは、この人が持っているフジテレビの株が過去7年間で293万円から26万円まで値下がりしているという事実の方であった。「テレビはもう終わりなのかな」というため息まじりの感想をその閣僚は述べていた。 フジテレビといえば業界屈指の優良企業のはずである。その株が数年間で10分の1以下にまで値下がりしているという事実を私は知らなかった。もちろん株式欄を熟読している人にとっては周知の

  • 「死と身体」韓国語版のための序文 - 内田樹の研究室

    「死と身体」韓国語版序文 みなさん、こんにちは。内田樹です。 『死と身体』の韓国語版が出ることになりましたので、序文をつけることにします。 『死と身体』は2004年に医学書院という医学の専門出版社から出版されました。どうして、医学系の出版社から僕のが出ることになったのか。詳細はもう昔のことなので、記憶は定かではありませんが、ご縁の始まりだけは覚えています。 2001年に『ためらいの倫理学』というを出して(このは幸いもうすぐ韓国語版が出る予定です)、それがメディアの一部で注目されて、いくつかの媒体から寄稿依頼や取材依頼がありました。その中に医学書院の『看護学雑誌』という媒体からの取材申し込みもありました。依頼状を読むと「インフォームド・コンセント」についてインタビューしたいというものでした。 インフォームド・コンセント? 「医療に際して、患者が医療行為の内容やその効用やリスクについて十

  • 元号について - 内田樹の研究室

    朝日新聞から元号について取材を受けた。 私は西暦と元号の併用という「不便」に耐えるくらいのことはしても罰は当たるまいという立場である。 世の中には「話を簡単にすること」を端的に「よいこと」だと考える人が多いが、私はそれには与さない。 「簡単にするにはあまりに複雑な話」も世の中にはある。それについては「複雑なものは複雑なまま取り扱う」という技術が必要である。 以下は少し前の『GQ』に掲載したものである。少し加筆してある。 019年4月30日に平成が終わって、5月1日から新元号が始まることになる。となると、この年は平成31年生まれと新元号元年生まれが半々混在することになって、ややこしい。お役所の書類も、昭和があって平成があって、新元号もあって、西暦もあると、ますますもってややこしい。いまの時代、元号なんて必要なのか? というのがQで、以下が私の方からのA 元号を廃して、西暦に統一しようというよ

  • 大阪万博という幻想 - 内田樹の研究室

    2025年の国際博覧会の開催都市がもうすぐ決まる。 大阪の他に、アゼルバイジャンのバクー、ロシアのエカテリンブルクが立候補しており、聞くところでは、三都市の競争は「横一線」だそうである。 大阪府知事、大阪市長は世界に向けてのPR活動に熱心だが、国内では招致機運が盛り上がらない。 間近に迫った2020年の東京五輪に対してさえ市民の間に熱い待望の気持は感じられないのだから、そのさらに5年後では気合が入らないのも当然だろう。五輪にしても万博にしても、半世紀前の1964年の東京五輪、1970年の大阪万博の時の国民的な高揚感とそれにドライブされた劇的な社会改造を記憶している世代から見ると、今の日の冷え方はまるで別の国のようである。 今回の万博に国民的関心が高まらない最大の理由は、にべもない言い方をすれば、大阪で万博を開く必然性がないからである。 公式サイトにはこんなことが書いてある。 「万博とは世

  • 外国語学習について - 内田樹の研究室

    2018年6月12日に「文系教科研究会」というところで、私立の中学高校の英語の先生たちをお相手に英語教育についてお話した。その一部をここに掲載する。 ここで論じたのは英語だけれど、言語教育一般について適用できる議論だと思う。 ここ数日、「論理国語」と「文学国語」というカテゴライズをするという話がTLを飛び交っているけれど、それがほんとうだとしたら、それはたぶん言語というものについて一度も真剣に思量したことのない人間の脳裏に去来したアイディアだろうと思う。それはまさに「植民地における現地人への宗主国言語教育」とまったく同型的なものだからだ。 国語教育においても「植民地現地人」に求められる言語能力は同じである。 それは宗主国アメリカに仕え、アメリカに朝貢することで「代官」「買弁」としての地位を保全している日の支配層たちが、同国人の知性の発達を阻害し、日人を愚民化することで、属国日をアメリ

  • 「新潮45」休刊について - 内田樹の研究室

    毎月ある地方紙にエッセイを連載している。今月は「新潮45」休刊について。 すでに二度欄で触れたけれど、その総括のようなもの。 「新潮45」が休刊になった。社告によれば、「部数低迷に直面し、試行錯誤の過程において編集上の無理が生じ、企画の厳密な吟味や十分な原稿チェックがおろそかになっていた」結果、「あまりに常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現」を掲載してしまったことについて「深い反省の思いを込めて」の休刊である。 海外メディアもこの事件を取り上げた。英紙『ガーディアン』は発端を作った杉田水脈衆院議員をこう紹介している。 「安倍晋三首相の同盟者である杉田はまだ記事について公式には謝罪を行っていない。安倍は先週、『彼女はまだ若い』のだから、辞職圧力は加えていないと述べた。杉田は51歳である。(...)彼女は第二次大戦前、戦中の日兵による性奴隷利用を韓国の捏造だと主張してきた人物である。」

  • 夏時間について - 内田樹の研究室

    8月末に「サンデー毎日」に夏時間についての原稿を寄せた。 今朝の毎日新聞によると、さいわい五輪前の夏時間導入は各界からの反対によって、見送りになったようである。 よかった。 というわけで夏時間導入反対の論は速報性を失ってしまったけれど、せっかく書いたことなので、「歴史的文献」としてご笑覧を請うのである。 ここから↓ 東京五輪組織委員会が「酷暑」問題で追い詰められて、迷走している。 開催は2020年の7月24日から8月9日までの17日間。今年の同時期の東京の暑さは尋常なものではなかった。23区内の熱中症による死者数は120人に達した。この時期に炎天下で運動競技を行うことがアスリートの健康によいはずがないことは誰にもわかる。最も心配されるのがマラソンで、朝7時スタートを予定していたが、今年はその時間ですでに30度を超す日があった。 五輪期間中の暑さ対策としてこれまで提案されたのは「打ち水、浴衣

  • 編集者への手紙(その2) - 内田樹の研究室

    おはようございます。内田樹です。 メールありがとうございます。 こんどの事件がきっかけになって、編集者たちが自分たちの出しているものの社会的な意味を点検し、その結果新潮社の出版物のクオリティが高いものになるようになれば、豊かな教訓になったと思います。 私見によれば。今回の事件の最も深刻な点は、問題を起こしたのが「総理とりまき」の人物たちだったということです。 彼らは5年余にわたる安倍政権下で、「どれほど非道なことを言っても罰されない」という特権を享受していると思い込んで、あのような暴言を発するに至りました。 非常識な意見、狭隘な偏見をあえて口に出す言論人は他にもいますが、多くは「マジョリティに理解されず、嫌われ、孤立するリスク」を代償にしてそうしています。 今回問題を起こした書き手たちは、リスクを取る気がないどころか、自分たちが「リスクを冒している」という警戒心さえなく、あのような文章を発