2015年5月9日のブックマーク (2件)

  • ジョー・ストラマーが自らの死の直前にキャッシュに捧げた歌

    2002年の4月、ジョー・ストラマーはロサンゼルス郊外のベルエアにあるジェリー・ハリントンの家で、イースターの休みを過ごしていた。 その時、偶然に旧友のリック・ルービンと再会した。 ルービンはそこでジョーに向かって、「まだジョニー・キャッシュに歌わせる曲を探しているんだ」と言った。 以前にジョーがルービンから頼まれて作った曲「ザ・ロード・トゥ・ロックンロール」は、「私のイメージとは違う」とキャッシュ人から却下されていた。 ジョーは敬愛するキャッシュに自分の曲を歌ってもらいたいと思い続けていたので、その場でひらめいた歌詞をガレージにあった段ボール箱に書き始めた。 あんたがた長い影を投げ それが人々に遺す言葉となる 俺の魂のどこかで いつもロックンロールが鳴っている 自らに迫り来る死を予感していたかのように、遺言という言葉を用いて作られた「ロング・シャドウ」は、ボブ・マーリィの「リデンプショ

    ジョー・ストラマーが自らの死の直前にキャッシュに捧げた歌
    gosan503
    gosan503 2015/05/09
    やっと原稿が完成しましたが、ジョー・ストラマーやジョニー・キャッシュについてだと力が入ってしまいます。一日中、同じ歌を聴き続けたこともあって、もう精も魂も使い果たした感じです。
  • ビートルズを世に出したブライアン・エプスタインとジョージ・マーティン、二人が初めて会った日

    Home TAP the DAY ビートルズを世に出したブライアン・エプスタインとジョージ・マーティン、二人が初めて会った日 - TAP the POP いくら天賦の才能に恵まれたアーティストであっても、それが人に認められなければ歴史に残る歌は生まれないし、後世に伝わっていくこともない。 そこには人と人との出会いがあり、いくつもの物語が存在している。 ビートルズが空前絶後の成功を収めて素晴らしい楽曲の数々を生み出したのは、ブライアン・エプスタインというマネージャーに出会ってからのことだ。 リヴァプールでレコード店を経営していたエプスタインは、ヘアースタイルや衣装からステージ・パフォーマンスに至るまでアイデアを出し、情熱を傾けてビートルズを売り出して最初の成功をものにする。 レコード・デビューを目指して奔走していたエプスタインがEMI傘下の弱小レーベル、パーロフォン・レコードの制作責任者だっ

    ビートルズを世に出したブライアン・エプスタインとジョージ・マーティン、二人が初めて会った日
    gosan503
    gosan503 2015/05/09
    ビートルズを発見したマネージャーのブライアン・エプスタインとプロデューサーのジョージ・マーティン。53年前の今日、この2人が出会ったことによってビートルズは世に出て行った。