2015年8月21日のブックマーク (2件)

  • 甲本ヒロトが大好きで、バド・パウエルとセロニアス・モンクに憧れる14歳の少女MAPPY

    小学生の頃から始めたインスタグラムでファッション・センスが話題になっているMAPPY(マッピー)は、2001年5月24日生まれの中学2年生。 インスタグラムで公開している古着を取り入れたレトロでポップな私服が、「懐かしくて新しい」「中学生に見えない」と広まって、現在のフォロワー数は8万人を超えている。 そんな彼女の夢は、ジャズ・ピアニストになって音楽で世界の人を魅了すること。 だから今はピアノを弾いている時が一番楽しいそうだ。 この夏にはニューヨークに渡って1か月の短期留学を実現、英語を学んでピアノのワークショップに通い、夜はジャズ・クラブに足を運んだ。 ニューヨークではみんなが親切で、ごく自然に伸び伸びと過ごせて、ゴキゲンだったという。 ジャズとの出会いはピアノの発表会で、年上のお姉さんが演奏したジャズっぽい曲の表現に興味を持ち、それを母親に話したところ、図書館からたくさんのジャズCDを

    甲本ヒロトが大好きで、バド・パウエルとセロニアス・モンクに憧れる14歳の少女MAPPY
    gosan503
    gosan503 2015/08/21
    レトロで独特なファッションがInstagramから発信されて知られるようになり、日本だけでなく海外でも注目を集めるMAPPY(マッピー)。
  • 日本で最初にヒットしたロックンロール・ナンバー「ダイナマイトが百五十屯」の破壊力

    で最初にヒットしたロックンロール・ナンバーと言われているのが、1958年11月に発売されたシングル盤の「ダイナマイトが百五十屯」である。 歌ったのは当時23歳の映画俳優だった小林旭、作詞は脚家でもある関沢新一、作曲したのが後に演歌の大御所となる船村徹だった。 1958年9月にコロムビアからデビュー・レコード「女を忘れろ」(作曲・船村徹)を出した小林旭は、シングル第2弾となったこの曲のヒットをきっかけにして、”爆弾男”すなわち”ダイナマイト・ガイ”のニックネームが付けられていく。 それを短く縮めて”マイトガイ”と呼んで、日活が一気に売り出したのは翌1959年からのことである。 主演した映画『二連銃の鉄』のなかで「ダイナマイトが百五十屯」が挿入歌に使われたのは4月、続いて7月にも”マイトガイ”が活躍する映画『爆薬(ダイナマイト)に火をつけろ』が作られた。 ”マイトガイ”が定着した小林旭の

    日本で最初にヒットしたロックンロール・ナンバー「ダイナマイトが百五十屯」の破壊力
    gosan503
    gosan503 2015/08/21
    大瀧詠一氏曰く、「監獄ロック」と「16トン」などをブツ切りにして熱湯のナベにぶち込んで、16トンというケチな量ではなく、100屯の大根や山芋を一緒に煮込んで50屯の味噌で味付けをしたような、とにかく豪快さと爽快さ