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日本で最初にヒットしたロックンロール・ナンバー「ダイナマイトが百五十屯」の破壊力
日本で最初にヒットしたロックンロール・ナンバーと言われているのが、1958年11月に発売されたシングル... 日本で最初にヒットしたロックンロール・ナンバーと言われているのが、1958年11月に発売されたシングル盤の「ダイナマイトが百五十屯」である。 歌ったのは当時23歳の映画俳優だった小林旭、作詞は脚本家でもある関沢新一、作曲したのが後に演歌の大御所となる船村徹だった。 1958年9月にコロムビアからデビュー・レコード「女を忘れろ」(作曲・船村徹)を出した小林旭は、シングル第2弾となったこの曲のヒットをきっかけにして、”爆弾男”すなわち”ダイナマイト・ガイ”のニックネームが付けられていく。 それを短く縮めて”マイトガイ”と呼んで、日活が一気に売り出したのは翌1959年からのことである。 主演した映画『二連銃の鉄』のなかで「ダイナマイトが百五十屯」が挿入歌に使われたのは4月、続いて7月にも”マイトガイ”が活躍する映画『爆薬(ダイナマイト)に火をつけろ』が作られた。 ”マイトガイ”が定着した小林旭の
2015/08/21 リンク