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ひなぎくはてなに関するgrittiのブックマーク (6)

  • Pray for Japan(日本のために祈る)地震で生まれた心に残るつぶやき

    人の良き精神、大和魂という璧(宝物)を損なうことなく次の世代へ完うしたい!そんな願いを込めたブログです。 ここに素晴らしい動画がある。 今回の大震災に関して、twitter等でつぶやかれたコメントを、震災の画像と、奥華子さんの歌声にのせて紹介している。 NHKの男性アナウンサーが被災状況や現況を淡々と読み上げる中、「ストレスで母乳が出なくなった母親が夜通しスーパーの開店待ちの列に並んでミルクが手に入った」と紹介後、絶句、沈黙が流れ、放送事故のようになった。 すぐに立ち直ったけど泣いているのがわかった。目頭が熱くなった。 外国人から見た地震災害の反応。 物が散乱しているスーパーで、落ちているものを律儀に拾い、そして列に黙って並んでお金を払って買い物をする。 運転が再開した電車で混んでいるのに妊婦に席を譲るお年寄り。 この光景を見て外国人は絶句したようだ。 当だろう、この話。 すごいよ日

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  • 津波に飲まれる前の最後のメール

    人の良き精神、大和魂という璧(宝物)を損なうことなく次の世代へ完うしたい!そんな願いを込めたブログです。 南三陸職員の遺体発見 遠藤未希さんの親友 母親「亜梨沙お帰り」 産経新聞 宮城県南三陸町の防災対策庁舎で津波に流され行方不明になっていた同町職員、三浦亜梨沙さん=当時(24)の遺体が1月に町内のがれき置き場で見つかっていたことが6日、分かった。DNA型鑑定を終え、今月に入り無言の帰宅をした。 亜梨沙さんは、防災無線で町民に避難を呼び掛け続けて亡くなった同町職員、遠藤未希さん=当時(24)と高校の同級生。剣道を通じて小学生時代からの知り合いで、役場でも仲の良い親友同士だった。 警察庁のまとめでは、大震災犠牲者の遺体発見は今年に入って2人だけ。母、悦子さん(54)は「もう遺体は戻ってこないと思っていた。『お帰り、遅くなってごめんね』と迎えてあげました」と涙を浮かべた。 以上引用終わり

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  • 震災の遺体を今も探し続けるボランティアダイバー

    人の良き精神、大和魂という璧(宝物)を損なうことなく次の世代へ完うしたい!そんな願いを込めたブログです。 今も三陸の海に潜り、津波に流された遺体を探し続けている人達がいる。 特定非営利活動法人『DSP災害支援プロジェクト』の方々だ。 遺体が見つからない遺族の悲痛な思いに応える為、彼らは潜り続けている。 今年6月。長面浦に沈む車を発見した。中に人の足が見えた。この地区に暮らす高齢の夫婦と分かった。車が引き揚げられ、娘が遺体と対面する場面に立ち会った。「2人一緒にいられたんだね」。ほっとしたように語り掛ける娘。まだ家族が見つからない人たちが集まり「ほんとに良かった」と声を掛けていた。 「ありがとうございました」。娘から深く頭を下げられた。言葉が見つからなかったが、ほっとしたと同時に続けていかなければと強く思った。 東日大震災:1年半 捜し続けるボランティアダイバー 毎日新聞 日人にとっ

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  • 被災した15歳、涙の「答辞」(全文) 階上中学校卒業式

    人の良き精神、大和魂という璧(宝物)を損なうことなく次の世代へ完うしたい!そんな願いを込めたブログです。 東日大震災直後の3月22日、気仙沼市の階上(はしかみ)中学校で卒業式が行われた。 例年であれば、恩師や在校生との別れ、母校からの旅立ちの日である卒業式は、いつもと様相を異にしていた。 それもそのはずである。 震災によって、家族、友人、街を失った子どもたちが、旅立とうというのだから。 そのような中で、卒業生を代表して答辞を述べることになった、梶原裕太君。 悲痛な状況の中で、彼は、大人でも及びもつかない答辞を述べたのだった。 日は 未曾有の大震災の傷も癒えない最中 私たちのために卒業式を挙行していただきありがとうございます ちょうど 十日前の三月十二日 春を思わせる暖かな日でした 私たちは そのキラキラ光る日差しの中を 希望に胸を膨らませ 通いなれたこの学舎を五十七名揃って巣立つは

  • 被災地に響いたトランペットの音色

    人の良き精神、大和魂という璧(宝物)を損なうことなく次の世代へ完うしたい!そんな願いを込めたブログです。 震災から1ヶ月たった4月11日、ガレキで覆われた陸前高田の町で、トランペットを吹く少女がいた。 佐々木瑠璃さんは「私は元気。心配しないで」との思いをのせて、吹き続けた。 曲はZARDの「負けないで」。失った母、祖父母への鎮魂のメロディだ。 吹き終わりじっと立ち尽くす、佐々木瑠璃さん。 「私はホルンを吹いていたのよ」。瑠璃さんが9歳で小学校のバンドに入ってトランペットを始めると、母、宜子さんはうれしそうだった。今も使う楽器はその時、祖母の隆子さんが「ずっと続けてね」と買ってくれたものだ 「母さん用意してくれた舞台…」負けないで、東京で吹く 朝日新聞 この光景を朝日新聞で見た東京フィルハーモニー交響楽団のトランペット奏者安藤友樹さんらが、被災地支援のチャリティーコンサート「故郷(ふるさ

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  • もう一人のトモダチ

    人の良き精神、大和魂という璧(宝物)を損なうことなく次の世代へ完うしたい!そんな願いを込めたブログです。 4月23日、オーストラリアのギラード首相は、外国の首脳として初めて、被災地・南三陸町を訪問した。 海外では放射能汚染に関して、日中が危険なような不正確なデマが流れている中、真っ先に訪問してくれたことに感謝をせずにはおれない。 また、ギラード首相は今回の訪日に一枚の手紙を携えてきた。 一人のオーストラリア少年の手紙だ。 手紙を書いたのはアシュウィン・クレスウェル君(9)。 アシュウィン君は新聞で、避難所で家族を探す相沢寿仁(としひと)君(9)の事を知った。 寿仁君は車で避難中、津波に飲み込まれ、父親と母親、祖母、いとこ2人と逸れてしまった。 気を失い目を覚ましたら、服の一部が竹の枝に引っかかり、廃材の上に寝ていた。 まわりに家族はいない。 行方のわからない両親やいとこの名前を書いた

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