タグ

関連タグで絞り込む (2)

タグの絞り込みを解除

革命と思想に関するgruza03のブックマーク (5)

  • 中沢新一「レーニン礼賛」の驚くべき虚構

    「諸君」 1997.1 お粗末な学究か安手のデマゴーグか。 麻原を擁護しレーニンを礼賛する男の「ペンの詐術」 中沢新一「レーニン礼賛」の驚くべき虚構 冷戦が終結した89年からすでに7年、91年末のソ連崩壊から数えても5年も経つのに、日の政界はいまだに余震と残響の中にある。冷戦の終結とソ連の崩壊という世界史的な地殻変動がいかにおおきなものであったか、改めて思い知らされる。 冷戦体制の、日国内における投影である55年体制が崩れたのは、ソ連崩壊から2年後の93年だが、それから約3年の間に、内閣が変わること5たび。そして今回の選挙では、ついに旧社会党が事実上、消滅した。なし崩しの自滅といってしまえばそれまでだが、それにしても、半世紀の歴史を有する旧社会党が泡のようにあっけなく消滅してしまった光景を見ると、いささかの無常感と、それに倍する腹立たしさを覚えずにはいられない。死ぬなら死ぬで、死に方

    gruza03
    gruza03 2011/10/09
    こんどは「緑の党」。
  • In Deep: 無慈悲化のもとでの革命と暴動

    gruza03
    gruza03 2011/02/24
    世界中で革命とか民主化運動などの言葉で大変動しているものが、ギリシャのように「無慈悲な精神性(暗黙事項「テロで人を死なさない」の喪失、殺意の正義」の中で拡大しているとすると空しさを感じないではないです
  • なぜ革命はいまも可能なのか(改訂) 佐々木中「切りとれ、あの祈る手を」 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    1 佐々木中「切りとれ、あの祈る手を」概要 1)「革命とは暴力ではなく、文学である」 2)「「テクスト」は「文書」であることを必要としない」 3)データベース化できる世界からの革命 2 ポストモダンニストへの反論 4)東浩紀界隈の動揺 5)マルクスの亡霊に取り付かれている思想家たちよ、歴史が終わったなどと嘆くな 3 近代のリズム 6)「文学」とは「リズム」である 7)データベース化された近代環境の「重さ」 4 ニッポンの再−文学革命は可能か 8)日近代文学革命 9)ニッポン人は新たな「革命」を生み出せるか 1 佐々木中「切りとれ、あの祈る手を」概要 1)「革命とは暴力ではなく、文学である」 佐々木中「切りとれ、あの祈る手を---〈〉と〈革命〉をめぐる五つの夜話」(ISBN:4309245293)が好評である。ボクの近所の大型店でも、最初は哲学コーナーにあったが、最近店頭の話題のコーナ

    なぜ革命はいまも可能なのか(改訂) 佐々木中「切りとれ、あの祈る手を」 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    gruza03
    gruza03 2011/01/12
    マルクスの亡霊に取り付かれている思想家たちよ、歴史が終わったなどと嘆くな。現代思想はマルクス主義の情報、経済中心主義の影響下にある。この現代思想=マルクス主義の情報、経済中心主義そのものへの反論にある
  • なぜ革命はいまも可能なのか 佐々木中「切りとれ、あの祈る手を」 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    「革命とは暴力ではなく、文学である」 佐々木中「切りとれ、あの祈る手を---〈〉と〈革命〉をめぐる五つの夜話」(ISBN:4309245293)が好評である。ボクの近所の大型店でも、最初は哲学コーナーにあったが、最近店頭の話題のコーナーでも置かれるようになった。前書「永遠と夜戦」は(立ち読み程度だが)ラカン、フーコー解説書のようで、よく勉強している程度の印象だったが、書はインタビュー形式ということもあり、読みやすく言いたいことがよくわかり面白い。 内容をボクなりにまとめてみると、「革命とは暴力ではなく、文学である」ということを近代史を通じて現代へと語っている。ここでも「文学」は、小説ということではなく、もっと広義だ。決して理解出来ない書物を読むこと、そして読みかえるという決死の覚悟。ラカンでいえば現実界へ近接する狂気に陥る危険をおかすこと、だろうか。 またデリダに近く、「他者性」とい

    なぜ革命はいまも可能なのか 佐々木中「切りとれ、あの祈る手を」 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    gruza03
    gruza03 2011/01/12
    佐々木の言説は、このような東の終末論的な戦術であり、さらには「それは否定神学だ」というによるテクスト批判などのデリケートさを、直撃する。そして東の戦術がとてもこざかしいものとしてあぶり出されてしまう。
  • 世界革命を目指す独裁者 - hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)

    去る21日のエントリで紹介したすき家のゼンショー社長の小川賢太郎氏ですが、 http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/post-6e9f.html(「アルバイトは労働者に非ず」は全共闘の発想?) ネット上にはまだインタビューの後編は載っていませんが、雑誌『日経ビジネス』には「革命家の見果てぬ夢 牛丼に連なる運命」という記事が載っていますので、そちらから興味深いところをご紹介しましょう。 吉野家を辞めて自分の会社を立ち上げたところから、 >「資は小川賢太郎100%、意思決定も小川賢太郎100%。専制君主制でやる。なぜなら議論している時間はないからだ」 牛丼という武器を手に革命を目指す独裁者が生まれた瞬間だった。 ・・・ >小川はゼンショーを設立したとき、創業メンバーにこう語っている。 「俺は民主主義教育を受けてきた人間。東大全共闘の

    世界革命を目指す独裁者 - hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)
    gruza03
    gruza03 2010/09/24
    世界革命がなった暁にはお前たちにも民主主義が与えられるであろう。革命戦争のまっただ中の今民主主義を求めるような反革命分子は粛清されなければならない!まさしく、全共闘の闘う魂は脈々と息づいていたのですね
  • 1