死者を悼む気持ちや、亡くなった者と会いたいという心情を否定するつもりはない。 しかしながら、凄惨な事故の現場に立ち会って動揺している人間や、身内の死に直面して打ちひしがれている遺族に対して、「口寄せ」だの「浄霊」だのといった話題を持って近づいてくる人間がいることには、やはり嫌悪の念を禁じ得ない。 儀式化された葬儀には、それなりの意味があるのだと思う。 残された者の喪失感を軟着陸させる意味でも、追悼の気持ちを目に見える形で表現するためにも、格式張った葬儀や宗教儀礼は、必要なものであるのだろう。 しかし、浄霊、除霊、口寄せ、スピリチュアルカウンセリング、といった霊能者の個人能力に乗っかった作業は、人類文化の伝統に根ざした追悼や慰霊の儀式とはかなり意味が違う。これらは、詐欺ないしは、恐喝だ。 詐欺、恐喝でないにしても「霊魂が見える」ということを主張している人間は、自我狂ではあるはずだ。 彼らの心