****************************** 1関門トンネル 2青函トンネル 3丹那トンネル 4生駒トンネル 5本四架橋 6瀬戸大橋線 HOME 丹那トンネル貫通す――苦闘16年――(長大鉄道トンネルの建設3) (証言私の昭和史第1/東京12チャンネル 星野茂樹、石川九五 [解説] 昭和8(1933年6月19日11時40分、当時の鉄道大臣三上忠造が大臣室で押したスイッチによって、丹那トンネル(長さ7,804m)は貫通した。 7年間で貫通される予定で大正7(1918)年4月着工してから16年という長い歳月が流れていた。 この項の証言者の2人は、トンネルの貫通現場で、この歴史的瞬間を押さえ切れぬ喜びで味わっていた。 思えば長い16年であった。 そもそもこの丹那トンネルが完成するまでは、東海道本線は今の御殿場線を経由していた。 国府津から箱根を迂回して御殿場を通り
****************************** INDEX Ⅰ Ⅱ Ⅲ Ⅳ Ⅴ Ⅵ Ⅲ 路面電車のスタイルの変遷(高松吉太郎の路面電車の歴史3) (路面電車70年のあゆみ 鉄道ピクトリアルNo79-80 1958/2-3) 1 全体構造 2 台車 3 車体側面と正面・窓・扉など 4 運転台と踏段 5 車内のあちこち 6 屋根と集電装置 7 外部塗装 8 電動機・制御器・制動器 9 信号装置 10 救助器と警報器 11 ヘッドライトとテールライト 12 方向幕・系統幕右の写真:アメリカから輸入したスプレーグ式電車。二段式屋根、上部に庇(ひさし)付きの解放運転台、2軸電車、ポール式集電の単車 (明治23年に日本で初めて上野公園で走った電車) 1 全体構造 top 建築物と同様に電車のスタイルも時代の流れと共に、進歩し変化してくる。 見方によっては電車も一つの動く建築物
濃尾地方の大地震で長良川の鉄橋は大損害を受け 機能を失った 明治24年11月 関東大震災――無惨に焼け落ちた汐留駅 貨車の骨組みだけが残っている 昭和2年2月26日 大阪・城東線で転覆事故 当時としては大がかりな復旧作業が行われた 山陽線河内駅東の椋無川鉄橋で東京行急行が 脱線転覆 5両の客車は河中に転落 死者7名 スピードの出し過ぎが原因 昭和6年1月12日 ガソリンカー転覆 昭和15年1月29日 大阪・西成線(桜島線)で最後部車両が脱線 死者180人を超えた 原因は信号掛が転てつ器の途中転換を行ったため 昭和23年6月28日 福井地方に大地震がおこった レールは曲がり 車両は横倒しになった 三鷹事件 昭和24年7月15日 三鷹駅構内で無人電車暴走 死者6名 昭和24年4月24日 桜木町駅構内で下り電車が たれさがった架線にバンタグラフをひっかけ切断 1両目が全焼 2両目半焼 106名が
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