忠勝のように最強と畏怖されるでもなく。 政信のように知略を称えられるわけでもない。 されど徳川家康が江戸で武家政権を運営してゆくにあたり、絶対に欠かせなかった人物がいます。 伊奈忠次です。 この忠次、実に二度も徳川家から離れておきながら、三度目の正直で才能を開花させ、家康の政権運営を支えたとも言える重要な人物。 だからこそ大河ドラマ『どうする家康』にも登場した……かと思ったら一瞬で終わってしまい、『どんな実績があるのか?』と気になった方もいらっしゃるでしょう。 1610年8月1日(慶長15年6月13日)はその命日。 いったい伊奈忠次とは何者なのか、振り返ってみましょう。 三河に生まれて出奔伊奈忠次は天文19年(1550年)、三河国幡豆郡小島城主・伊奈忠家の嫡男として生まれました。 家康が天文11年(1543年)生まれですので、年代的にはほぼ一回り下。 しかし永禄6年(1563年)の三河一向