タグ

ブックマーク / www.automesseweb.jp (25)

  • 車重600キロ切りまであとわずか! 超軽量スズキ「アルト」をDIYで仕上げて13キロもダイエット…狙うは「東北660選手権」での優勝です

    TOP SPORT 車重600キロ切りまであとわずか! 超軽量スズキ「アルト」をDIYで仕上げて13キロもダイエット…狙うは「東北660選手権」での優勝です 大学生のときにモータースポーツ参戦を開始 毎シーズンのように新しいヒーローが誕生する、新規格NAエンジンの軽自動車で争われるレース「東北660選手権」の3クラス。経験豊富なドライバーが延々と居座り続けることのないよう、表彰台を獲得した回数が規定に達したら参加できないルールがあります。そんな入門クラスで頭角を現した、HA23型スズキ「アルト」を駆る大堀斗夢選手を紹介。山形大学の自動車部に所属しながら大学院へ進学し、今年から社会人となった彼のモータースポーツ人生と、開幕戦で最軽量を記録したクルマ作りに迫ります。 軽量化に徹底的にこだわる 東北660選手権の開幕戦が行われたスポーツランドSUGOはギヤ比の面でダイハツが有利といわれ、とくに最

    車重600キロ切りまであとわずか! 超軽量スズキ「アルト」をDIYで仕上げて13キロもダイエット…狙うは「東北660選手権」での優勝です
    gui1
    gui1 2024/08/05
  • 「限定300台」「世田谷まで来ないと売らん」! 超強気だったのに爆売れだったロードスター「M2 1001」秘話

    世田谷のM2社まで足を運ばなければ買えなかった 今でこそトヨタのGRシリーズや日産のNISMOシリーズのように、メーカーが自社の車両をベースにカスタマイズしたコンプリートカーを販売するというのも珍しくなくなってきている。その昔、道路運送車両法の規制緩和がなされる1995年以前は、改造車全般に対してまだまだディーラーからの風当たりは強かった。 そんな時代の真っただ中であった1991年12月に、「M2」がリリースしたロードスターがベースの特別仕様車「M2 1001」は、300台の限定台数に対し、800件以上の応募が集まるほどの人気となっていた。 このロードスターを作り上げた「M2」とは、マツダの商品企画の実験工房として設立されたもので、“第2のマツダ”を意味していた。 ロードスターを硬派なライトウェイトスポーツに仕立て直した 当時は世田谷区に立てられたM2ビルを拠点としており、ここにはマツダ

    「限定300台」「世田谷まで来ないと売らん」! 超強気だったのに爆売れだったロードスター「M2 1001」秘話
    gui1
    gui1 2024/01/31
  • 軽トラ・軽バンをアゲるならタイヤがキモ! いま続々登場の泥系「ボコボコタイヤ」とは

    投稿日:2020.05.18 TEXT: 佐藤知範 PHOTO: K-STYLE編集部,Auto Messe Web編集部 軽トラ・軽バンに人気上昇中の2大ブランドに注目 四駆の世界で長きにわたり支持されているヨコハマ・ジオランダーと、ここ数年で急激に勢力を広げているトーヨー・オープンカントリー。どちらもいわゆる「ボコボコタイヤ」のブランドだが、ランクルやジムニーといった格クロカン系だけに止まらず、リフトアップすることで「SUV風に仕立てたクルマ」にも人気が高い。 例えば軽トラ・軽バン。商用、農作業用などのイメージが強いいわゆる仕事クルマであるが、軽く車高をアゲてオフロードタイヤを履かせるだけで、不思議と今どきのアウトドアっぽいクルマになる。それに気付いたユーザーたちが、今ジオランダーやオープンカントリーを選んでいるのだ。 しかし軽自動車の中でもタイヤハウスの狭いジャンルだけに、装着可能

    軽トラ・軽バンをアゲるならタイヤがキモ! いま続々登場の泥系「ボコボコタイヤ」とは
    gui1
    gui1 2022/03/28
  • セリカの心臓をカローラにぶちこむ! 超希少な「TRD2000」を新車購入したオーナーの愛

    TRD気の限定販売コンプリートカー! 3S-GEエンジン搭載 ラグジュアリーからコンパクトまで、チューニングしたスポーツ系車両が隆盛を極めた90年代。週末ともなると夜な夜な埠頭や峠、首都高速にと腕自慢が集結。そこには愛車を魅せる“ドレスアップ的なカスタム”はまだ少なく、走りを楽しみたい走り屋たちがしのぎを削っていた。 各自動車メーカーの直系ワークスチューナーブランドも、自社のイメージを高めるべくレースで培った技術を惜しみなくフィードバックしたパーツや、実際にマニア垂涎の台数限定のコンプリートカーを販売するなど、今のスマホを手放せない世代と同じように、スポーツカーは当時の若者を虜にしていた。 そんな中、1994年に2台のコンプリートカーが登場する。1台はNISMO創立10周年を記念したS14シルビアK’sをベースにした「NISMO 270R」で、エアロや強化した足まわりやパーツを装着。エン

    セリカの心臓をカローラにぶちこむ! 超希少な「TRD2000」を新車購入したオーナーの愛
    gui1
    gui1 2022/02/23
  • バブルを謳歌したデートカー御三家「ソアラ」「シーマ」「プレリュード」!「六本木ナンパ戦争」の無敵艦隊だったワケ

    TOP CLASSIC バブルを謳歌したデートカー御三家「ソアラ」「シーマ」「プレリュード」!「六木ナンパ戦争」の無敵艦隊だったワケ バブル時代、国産「デートカー」御三家はガイシャ勢にどう対抗したのか 80年代から90年代にかけてのバブル期には、遊び人の三種の神器としてクルマがバカ売れした。ガイシャ(当時は輸入車ではなくそう呼んだものだ)では六木のカローラことE30の2代目BMW3シリーズ、黒限定のサーブ900、メルセデス・ベンツをより身近にしてくれた、現在のCクラスの源流とも言える190E。さらに女子大生が、隣ではなく自分で運転し、キャンバスに通うためにこぞって買い求めたVWゴルフカブリオなどがその代表格だった。 流行語まで生み出した「シーマ」 しかし一方で、ガイシャに負けじとバブル時代を象徴した、国産モテグルマがあったことを忘れてはいけない。そう、まずは80年代後半のハイソカーブー

    バブルを謳歌したデートカー御三家「ソアラ」「シーマ」「プレリュード」!「六本木ナンパ戦争」の無敵艦隊だったワケ
    gui1
    gui1 2021/12/09
  • 懐かしの「ボボボボボ」「ドコドコドコ」排気音! ゲンコツが余裕で入る「大口径マフラー」を最近見かけなくなったワケ

    チューニングの規制緩和で多くのモデルが登場 1990年代は国産スポーツカーの絶頂期。1995年に車検制度の規制が緩和され、チューニングの自由度が大きく広がったこともあり、サスペンションやマフラーなどを交換するユーザーが一気に増えた。 このころ流行ったのが、大口径テールパイプのマフラー。ターボ車では115φ、120φ、130φと太いものが好まれた。当時のノーマルマフラーは日常の使いやすさを優先し、低速・低負荷時のレスポンスを優先。また280ps自主規制に合わせるため、あえてマフラーのパイプを絞ってパワーを抑えていた事情もあり、マフラー交換によるパワーアップの伸びしろも大きかった。 エンジンの性能を最大限に発揮するために採用 ゆえにエンジンチューンの第一歩は、排気効率のいいマフラー=ストレート構造でメインパイプの太いマフラーへの交換だった。その抜けのいいマフラーの象徴として、テールパイプの太い

    懐かしの「ボボボボボ」「ドコドコドコ」排気音! ゲンコツが余裕で入る「大口径マフラー」を最近見かけなくなったワケ
    gui1
    gui1 2021/10/28
  • 「いすゞ」懐かしの名コラボ! クルマ好きをワクワクさせた「イルムシャー」と「ハンドリング・バイ・ロータス」とは何だったのか?

    いすゞブランドを支えたスペシャルなクルマたち イルムシャーとハンドリング・バイ・ロータス。そう聞いて、往年のいすゞ車ファンなら「おお!」と(今なら感染対策の不織布マスク越しに)声を上げるに違いない。ここ最近、何度か取り上げたいすゞ車の記事でも触れたとおり、いすゞが乗用車の生産から撤退したのが1993年のこと。その少し前、いすゞ車のラインアップで、当時「おっ!」と思わせられたのが、このイルムシャーとハンドリング・バイ・ロータスだ。 イルムシャーはご存知のとおり1968年創業のドイツのチューナー。もともとオペルと深い繋がりを持ち、レース、ラリーの競技用車両を手がけたほか、マンタ、オメガなどをベースにイルムシャーの名を冠したコンプリートカーも製作している。 一方のロータスは、アンソニー・コーリン・ブルース・チャップマン(1928〜1982年)謂れのイギリスのスポーツカー・メーカー。市販車ならスー

    「いすゞ」懐かしの名コラボ! クルマ好きをワクワクさせた「イルムシャー」と「ハンドリング・バイ・ロータス」とは何だったのか?
    gui1
    gui1 2021/10/28
  • いすゞ「最初で最後」の乗用車!「イルムシャー」にも心躍ったセダン「アスカ」を振り返る

    いすゞの乗用車の歴史はアスカで幕が下りた いすゞの4ドアセダンの系譜といっても、ベレル、ひいてはヒルマン・ミンクスというと“昔々”の話になる。だが、1967年登場のフローリアン(デザインはイタリアのギアだったが、G・ジウジアーロではなかった)の後継モデルとして1983年に登場したのがアスカだった。 フローリアンは結局1982年まで15年のライフを全うする。1977年に行われた終盤のマイナーチェンジは、117クーペとともに(!)角目4灯が与えられるなどしたものの、さすがに寄る年波には逆らえず1982年10月に生産を終了した(未確認だが“三角窓”があった最後の日車だったかもしれない)。半年ほど間を空けた1984年4月、フローリアンの後継モデルとして登場したのがアスカだった。当初“フローリアン・アスカ”を名乗った。 GMのグローバルカー戦略の一翼を担う形でデビュー 当時いすゞはGMとのアライア

    いすゞ「最初で最後」の乗用車!「イルムシャー」にも心躍ったセダン「アスカ」を振り返る
    gui1
    gui1 2021/10/28
  • 「アッシーくん」御用達の「六本木カローラ」! 狂乱のバブル時代、クルマは「ナンパの最終兵器」だった

    投稿日:2021.10.25 TEXT: 並木政孝(NAMIKI Masataka) PHOTO: Auto Messe Web編集部 クルマさえあればモテた!? バブル時代の自動車文化を振り返る 遡ること約30年前、日は「バブル景気」に踊らされイケイケの時代を迎えていた。バブルと呼ばれた期間は1986年の12月から1991年の2月とされ、バブル景気の恩恵に与れたのは現在の50歳以上の人々ということになる。今となっては懐かし思い出であり、若い世代には「負の遺産」として語り継がれる黒歴史だが、バブル景気によって日の自動車文化も大きな頂点を迎えたことは確かである。 名刺代わりに自慢の愛車で女子大生をナンパ! 当時、若者たちの間には「クルマ=アイデンティティ」という公式が成立し、顔面偏差値が多少低くとも女性ウケするクルマに乗っていれば通用する時代でもあった。そのため、若者たちはカッコいいクル

    「アッシーくん」御用達の「六本木カローラ」! 狂乱のバブル時代、クルマは「ナンパの最終兵器」だった
    gui1
    gui1 2021/10/28
  • もはや動く「カプセルホテル」! スズキの「マー坊」を自力でキャンパー仕様に改造してみた

    そうだ、愛車のマイティボーイをキャンピングカーに改造しよう! 軽キャンパーはいいなーと思う。限られたスペースを最大限に利用する工夫の数々がたまりません。1BOXの車内を改造するのも面白いと思いますが、私としては軽トラの荷台にキャンプキャビンを作り付けるスタイルに憧れます。キャビンを降ろしてしまえば普通の軽トラで、いざキャンプに出かけるときには即座にキャンピングカーに変身という、一台二役の使い分けができるのが素敵です。 中古車屋さんで激安軽トラなどを見かけると衝動買いしたくなったりしますが、なかなか踏み出せないのも事実で困りものです。何故かといえば、軽トラをすでに1台所有しているからです。軽トラとはいえ、荷物をあまり積載できないピックアップトラックの「スズキ・マイティボーイ(愛称・マー坊)」です。手に入れてから早くも25年ほどとなり、最近では出番も少なくなりましたが、私の大切な原寸大のオモチ

    もはや動く「カプセルホテル」! スズキの「マー坊」を自力でキャンパー仕様に改造してみた
    gui1
    gui1 2021/09/19
  • 日産は「決して諦めない」と言うけれど! 名車スカイラインが売れなくなった「4つの理由」

    投稿日:2021.06.28 TEXT: 山崎真一(YAMAZAKI Shinichi) PHOTO: 日産自動車/Auto Messe Web この記事をまとめると ■誰もが納得の圧倒的魅力が薄れた ■歴代の名物開発陣のような人が見えない ■経営陣の刷新で立ち位置が変わった 「スカイライン開発中止」とならないために何が必要か 6月12日の日経済新聞による「スカイラインの開発中止」の報道、読者諸氏の皆さんはどう感じられただろうか? 個人的には驚きはあったが、冷静に考えると世界的に見てもセダンの販売台数は低迷している。さらに、国内を見ても同世代生まれの伝統的ブランドであり、スカイラインよりも販売台数が堅調なトヨタ・クラウンですらセダンを生産終了し、SUVにカテゴリーチェンジというニュースが出る(編集部注:真偽は不明)のだから、スカイラインの生産を止めるという話はあってもおかしくない(日産は

    日産は「決して諦めない」と言うけれど! 名車スカイラインが売れなくなった「4つの理由」
  • 「イギリスの名門」が本気を出し過ぎた! 「スバルの軽」ベースのスポーツカー「P2」とは

    投稿日:2021.05.11 TEXT: 井元貴幸(IMOTO Takayuki) PHOTO: プロドライブ,SUBARU GT-Rも真っ青!?だったスバル軽自動車ベースのプロドライブ「P2」 イギリスの名門レーシングチームであるプロドライブは、レースやラリーで得たノウハウを活かし、コンプリートカーを製造しているメーカーでも知られる。初代インプレッサをベースとしたプロドライブP1はまさにそれにあたる。スバルとタッグを組み、スバル・レガシィを皮切りにインプレッサでのタイトル連覇を遂行したWRCでの大活躍の経緯もあり、プロドライブとスバルの関係は深い。そのプロドライブからなんと恐るべき市販スポーツカーの動きがあった。もちろんスバル車をベースにしていた「あのマシン」を振り返る。 スバル孤高の軽自動車「R1」がベース 2006年のことである。構想からわずか9カ月で完成させたというユニークな二人乗

    「イギリスの名門」が本気を出し過ぎた! 「スバルの軽」ベースのスポーツカー「P2」とは
    gui1
    gui1 2021/05/12
  • キャリイかハイゼットか? 燃費からカスタムまで7番勝負で軽トラ王座を決める!

    投稿日:2020.05.24 TEXT: 佐藤知範 PHOTO: K-STYLE編集部,スズキ,ダイハツ,ホンダ 価格勝負! コストパフォーマンスで比べるならどっち? かつて軽トラといえば新車でも100万円以内で乗り出せるイメージだったが、装備の向上や機能性の進化により、価格に幅が出てきた。昔ながらのシンプルな廉価グレードはもちろん残っているが、乗用軽自動車並みの最上級グレードも存在する。主なところを比較するとこんな感じだ。 〈キャリイトラック〉 ◆最廉価 キャリイKC:73万5900円~88万7700円 ◆中上級 キャリイKX:105万8200円~129万3600円 ◆最上級 スーパーキャリイX:117万2600円~141万3500円 〈ハイゼットトラック〉 ◆最廉価 スタンダード(エアコン・パワステレス):69万3000円~94万6000円 ◆中上級 エクストラ“SA Ⅲt”:105万

    キャリイかハイゼットか? 燃費からカスタムまで7番勝負で軽トラ王座を決める!
    gui1
    gui1 2021/04/14
  • キャリイかハイゼットか? 燃費からカスタムまで7番勝負で軽トラ王座を決める!

    投稿日:2020.05.24 TEXT: 佐藤知範 PHOTO: K-STYLE編集部,スズキ,ダイハツ,ホンダ アクティトラックの生産終了で軽トラは2択時代へ 2021年6月現在、新車で買える軽トラは、スズキ・キャリイ、ダイハツ・ハイゼットトラック、の実質3車種のみ。「サンバートラックとかミニキャブトラックもあるじゃん」と思われる人もいるだろうが、前述の2車種以外はすべてOEM(エンブレム等が違うだけで中身は同じクルマ)。まとめると以下のようになる。 〈キャリイ系〉 スズキ・キャリイ、ミツビシ・ミニキャブトラック、マツダ・スクラムトラック、ニッサン・NT100クリッパー ※2019年4月~2020年3月の新車販売台数は合計7万5042台(全軽自協調べ) 〈ハイゼット系〉 ダイハツ・ハイゼットトラック、スバル・サンバートラック、トヨタ・ピクシストラック ※2019年4月~2020年3月の新

    キャリイかハイゼットか? 燃費からカスタムまで7番勝負で軽トラ王座を決める!
    gui1
    gui1 2021/04/14
  • アクセルオフ時の「プシュー音」は憧れだった! チューニングカーのお約束「ブローオフバルブ」が消えたワケ

    TOP CUSTOM アクセルオフ時の「プシュー音」は憧れだった! チューニングカーのお約束「ブローオフバルブ」が消えたワケ さまざまな「音」がクルマの魅力だったあの頃 「ブゥオォン」「プシュー」「ヒュルルル」…etc。思えば昔のクルマはさまざまな音を発していた。たとえば信号待ちでボボボ…と低音を響かせていたスポーツカーが、発進から「ブゥオオ」と唸りをあげて力強く加速し、シフトチェンジでひと息つくようにプシュー。そんな光景がそこかしこにあった。 ハイブリッドカーなんてまだ遠い未来の乗り物で、エコカーという言葉すら使われていなかった時代だ。具体的には各自動車メーカーが競い合うようにスポーツモデルを開発していた、1980年代後半〜2000年ぐらいまでだろうか。 なかでもターボ車に装着されたブローオフバルブが放つ「プシュー」という音は強烈なインパクトがあった。当時まだ免許すら持っていなかった筆者

    アクセルオフ時の「プシュー音」は憧れだった! チューニングカーのお約束「ブローオフバルブ」が消えたワケ
    gui1
    gui1 2021/04/04
  • 昭和の人気レース「スーパーシルエット」 源流はポルシェやBMWが参戦した欧州のレース

    投稿日:2020.03.29 TEXT: 原田 了(HARADA Ryo) PHOTO: 原田了、ポルシェジャパン、Auto Messe Web編集部 より多くのメーカーに参戦を促す目的で誕生 日産のターボ三兄弟(スカイライン、シルビア、ブルーバード)など、70年代の終盤から80年代序盤に、国内のレース界で高い人気を誇っていたスーパーシルエット。市販車をベースに大きく張り出したフェンダーやウイングを装着したマシンは若者の憧れで、それを模した街道レーサーと呼ばれる改造車が登場しました。 その源流といえば、当時は国際自動車連盟(FIA)の下部組織だった国際スポーツ委員会(CSI)が、1976年により多くのメーカーに参加を促す目的で、グループ5というクラスのレース車輛規定を立ち上げたことにあります。今回は、日で大人気だったスーパーシルエットの基となった海外レースに参戦したマシンを振り返ってみま

    昭和の人気レース「スーパーシルエット」 源流はポルシェやBMWが参戦した欧州のレース
    gui1
    gui1 2021/03/15
  • 昭和の魔改造マシン「シルエットフォーミュラ」 日産ターボ3兄弟を取り巻く縁者とライバル車たち

    投稿日:2020.04.01 TEXT: 原田 了(HARADA Ryo) PHOTO: 原田了,富士スピードウェイ,ニッサン,マツダ,Auto Messe Web編集部 トヨタ、マツダなどのライバル迎撃へ ポルシェがリリースした935の独走を阻むべく、BMWが立ちはだかり、さらにランチアやフォードといった個性的なライバルも登場。1970年代後半に人気を博していたグループ5(Gr.5)マシンのレース、いわゆる「シルエットフォーミュラ」は、ここ日にもやって来ました。 舞台となったのは富士スピードウェイの人気シリーズとなっていた「グランチャンピオン(GC)」シリーズの、サポートレースとして行われていた『富士スーパーシルエット(SS)』でした。 79年、シリーズ当初はツーリングカー(Gr.2)の「サバンナRX-3」とGTカー(Gr.4)の「ダットサン240Z」が主役。その後、トムスがドイツから

    昭和の魔改造マシン「シルエットフォーミュラ」 日産ターボ3兄弟を取り巻く縁者とライバル車たち
    gui1
    gui1 2021/03/15
  • 昭和の魔改造マシン「シルエットフォーミュラ」 日産ターボ3兄弟を取り巻く縁者とライバル車たち

    投稿日:2020.04.01 TEXT: 原田 了(HARADA Ryo) PHOTO: 原田了,富士スピードウェイ,ニッサン,マツダ,Auto Messe Web編集部 インパルのシルビア・ターボもルックス進化 81年3月に行われた富士GCシリーズ開幕戦「富士300kmスピードレース」のサポートイベントであるスーパーシルエット(SS)レースには、「シルビア」と「ガゼール」(ともにKS110系の兄弟車)のシルエットフォーミュラがレースデビュー。 星野一義選手がドライブしたシルビアは、黄色い稲カラーですが、81年モデルと82年モデルは全くの別物。ムーンクラフト製のカウルを剥がしてみると、中からはベースモデルのモノコックが出てくるのです。 競争力はなかなかのものでデビューレースの開幕戦では星野選手のシルビアが優勝し、第2戦では柳田春人選手がドライブしたガゼールが優勝。82年シーズンの星野選手

    昭和の魔改造マシン「シルエットフォーミュラ」 日産ターボ3兄弟を取り巻く縁者とライバル車たち
    gui1
    gui1 2021/03/15
  • アクセル全開なのに追い越せない! 軽四オーナーが悩む「モタモタ感」が数万円で解消できた

    投稿日:2020.05.08 TEXT: 岡田幸一 PHOTO: 岡田 幸一、K-STYLE編集部 この記事をまとめると ■3万円程度の部品代でストレス解消 ■手軽にパワーが上がるサブコン ■アクセル開度を変更できるスロコン 人気のジムニーやN-VANをパワーアップして快適に 自動車メーカーの技術進歩により、ここ数年でとても力強く走るようになった軽自動車。しばらく軽四に乗っていない人なら、びっくりするかも知れないほど。ターボエンジンを搭載したスポーティなグレードに限らず、NAエンジンの標準グレードでも、街中を普段乗りする程度なら「まったく不満がないよ」という人も多いことだろう。 けれども高速道路だったり、中~長距離を移動する時には「もう少し力に余裕があればなぁ」と思う場面も出てくる。そんなときぜひとも試してほしいのが、チューニングコンピューター(以下チューニングCPUと略)やスロットルコン

    アクセル全開なのに追い越せない! 軽四オーナーが悩む「モタモタ感」が数万円で解消できた
    gui1
    gui1 2021/02/07
  • 「軽トラ」の本気レースが面白すぎる! 敷居は低いが勝てばワールドチャンピオン

    投稿日:2020.05.10 TEXT: 岡田幸一 PHOTO: 岡田幸一、GT CAR プロデュース 初心者~ベテランまで楽しめる立派なモータースポーツに発展 記念すべき第1回目の“軽トラ世界一決定戦”が開催されたのは2012年のこと。場所は愛知県のスパ西浦モーターパーク。翌年の2013年にも第2回が開催され、サーキットが軽トラックだけで埋め尽くされるレースに、参加者のみならず観客までもが大興奮。それまでにも軽トラをチューニングしてスポーツドライビングを楽しむユーザーは全国各地に存在していたが、十数台を超える軽トラックが、スターティンググリッドから一斉に飛び出し、チェッカーフラッグを目指してレースをする姿には、見たことのない新鮮さももちろんだが、歴史が動く予感さえした。 この軽トラ世界一決定戦(スプリントレース)を前身として、ついに、2015年から年間を通じてのシリーズ戦へとグレードアッ

    「軽トラ」の本気レースが面白すぎる! 敷居は低いが勝てばワールドチャンピオン
    gui1
    gui1 2021/02/07