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いすゞ「最初で最後」の乗用車!「イルムシャー」にも心躍ったセダン「アスカ」を振り返る
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いすゞ「最初で最後」の乗用車!「イルムシャー」にも心躍ったセダン「アスカ」を振り返る
いすゞの乗用車の歴史はアスカで幕が下りた いすゞの4ドアセダンの系譜といっても、ベレル、ひいてはヒ... いすゞの乗用車の歴史はアスカで幕が下りた いすゞの4ドアセダンの系譜といっても、ベレル、ひいてはヒルマン・ミンクスというと“昔々”の話になる。だが、1967年登場のフローリアン(デザインはイタリアのギアだったが、G・ジウジアーロではなかった)の後継モデルとして1983年に登場したのがアスカだった。 フローリアンは結局1982年まで15年のライフを全うする。1977年に行われた終盤のマイナーチェンジは、117クーペとともに(!)角目4灯が与えられるなどしたものの、さすがに寄る年波には逆らえず1982年10月に生産を終了した(未確認だが“三角窓”があった最後の日本車だったかもしれない)。半年ほど間を空けた1984年4月、フローリアンの後継モデルとして登場したのがアスカだった。当初“フローリアン・アスカ”を名乗った。 GMのグローバルカー戦略の一翼を担う形でデビュー 当時いすゞはGMとのアライア