臼杵の町並みが出来たのは1600年、慶長5年に美濃から移封された稲葉貞通公に始まる稲葉臼杵藩で、その歴史は明治維新までの約300年に渡っています。 町づくりは、お城を中心に端の丁、西の丁、中の丁、本丁というように道路を整備。そして町八丁と呼ばれる商業地区をつくり、美濃と臼杵の商人の交流などをして臼杵の町は明治に至るまで大分県でも一、二を争う繁栄ぶりでした。 明治に入って豊かな自然と水に恵まれた臼杵の町は醤油味噌製造が盛んになり、富士屋も明治16年に創業しました。裸一貫より身をおこした創業者、渡邉甚七は自らも杜氏となっておいしい醤油味噌づくりに日夜努力しました。 隠居して名を甚兵衛と改めた甚七は、そのたゆまぬ努力と意志を後人にたくしました。 富士屋甚兵衛の名を受け継いだ富士甚醤油は、 創業以来、 伝統と信頼の味を今なお、現代に受け継いでいます。 久々に食べる、実家の味をおいしいと思う。小さい