ネイルで使う材料で、DIY時の木割れやネジ跡を派手にしたらかわいい OSB合板でちょっとしたボックスをつくりました。 ビス止め下手すぎて木を割ったり穴あけすぎたりした場所に、好きな派手色の樹脂を詰めてパテ代わりにしてみました。 ちょっと某HAYっぽみ出て可愛かったので、自分用にメモです。 手順 塗装 派手色グミジェルで失敗部分…
ネイルで使う材料で、DIY時の木割れやネジ跡を派手にしたらかわいい OSB合板でちょっとしたボックスをつくりました。 ビス止め下手すぎて木を割ったり穴あけすぎたりした場所に、好きな派手色の樹脂を詰めてパテ代わりにしてみました。 ちょっと某HAYっぽみ出て可愛かったので、自分用にメモです。 手順 塗装 派手色グミジェルで失敗部分…
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去年11月に亡くなった山田泉さんの著書 ラジオで何回か彼女の声は聞いていて、そのときのすごく気持ちいい感じを覚えている。 この間知ったのだが、ぼくと生まれた日が1週間程度しか違わない同世代。 知り合いが金沢での上映の話をmixiに書いていて、 彼女の映画があったことを最近知った。 『ご縁玉』 http://www.pan-dora.co.jp/goendama/ それから、彼女のブログ(それがあることも知らなかったんだけど)を見た。 http://yamachan.biz/ そこに、 『生きようよ』(2007年5月) 作詞 山田泉 作曲 李政美(い ぢょんみ/Lee Jeongmi) 唄 李政美 っていう歌もあった。(ブログから聞けます) で、区の図書館サイトで見たら、この本があったので借りて読んだ。 けっこう泣いた。 10日前くらい読んだと思うのだが、これを書こうとして読み返してまた泣
おやおや、どうしたことだろう。松永英明さんが「日本は加害者」史観をくさしておられる。 【絵文録ことのは】長野の戦争遺跡訪問【1】松代大本営象山地下壕 【絵文録ことのは】長野の戦争遺跡訪問【2】「信州松代 れきみちの家」 【絵文録ことのは】長野の戦争遺跡訪問【3】松代大本営・舞鶴山地下壕(1) 【絵文録ことのは】長野の戦争遺跡訪問【4】松代大本営・舞鶴山地下壕(2) 逆に一億総懺悔だのといった「日本はすべて加害者、中国朝鮮はみな被害者」というのも受け付けない おそらく、単純な「日本は加害者、朝鮮・中国は被害者」という史観では現代に対応できまい。逆に、「日本は何も悪くない」「日本が過去過ちをおかしたかのような記述が少しでもあれば、日本を貶めるものだ」というのも行きすぎだ。数々の史実は、そのような単純なものではないことでないことを伝えている。 どうも『「日本はすべて加害者、中国朝鮮はみな被害者」
【思いて学ばざれば】「日本は加害者」史観の別の言い方。 とりあえず固有名詞を入れかえてみて、まあ固有名詞そのものの歴史性なんかもからんでくるので一概には言えないんだけど、それでもなんかおかしいなって感じになったら、それはロジックの方がまちがってる可能性が高い。 http://www.kotono8.com/2008/07/15matsushiro1.html 確かにこの松代大本営を作るのに朝鮮人が強制連行されてきたという事実はあるが、そこでどれだけの虐待があったのかといえば疑問だという(この話は後でも記す)。たとえば、死者が出たという記録が数人分しか認められない。土屋先生もこの工事における死亡者を探そうと、長年にわたって必死で努力し続けてきたが、いくつかの事故の記録が見つかる程度だという。 強制連行されてきた朝鮮人はおよそ7000人。だが、それ以外に、3000人の日本人も労働していた。また
俺は沖縄の離島の出身でもちろん日本人なんだが、俺の中では在日琉球人なんてことを意識する時がるあるわけだ。 http://anond.hatelabo.jp/20090416222423 この増田と同じく沖縄人でさ、やっぱ上の世代の方が本土に反感持ってると思うんだよね。 戦争で直接えらい目にあったわけだし、仕事でのトラブルも相当あったんだとおもう。 だって半世紀前には言葉も中々通じない外国扱いでさ。まあ言ってみれば土人ですよ。ヤマトのシテーボーイ(おばあの訛りを再現)から見たら。 今で言うバンコクみたいなもんで、娯楽目的でネジ緩んだ日本人が相当いたんだと思う。 だから、そういう感情が生まれても仕方なかったと思うのよ。 反面、沖縄から都会に出るってのは中々難しくて、嫉妬、羨望入り混じって複雑な感情だったんだと思う。 そういう気持ちは、今でも40代50代の言葉の節々に感じる。 「やまとーは賢い」
織田信長 ぼちぼち、元気にやっています。少し薬にも慣れた...んかなぁ。相変わらず食べられないけど。朝、指がこわばって文字なんて入力できなかったけど、それはほぼなくなった。関節もどこも痛くない。薬効いてきたんやろな。 で、ブログを書こうと言う気がまた起きてきた。 …
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