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ブックマーク / www.naotoyamamoto.jp (16)

  • ライフネット生命はアタマが良すぎたのか?|from_NY 山本直人のブログ

    が20歳になった。 あの事件は選挙結果を変えたのか?【青学講義覚書】 『数学的に話す技術・書く技術』というを書いた理由。 小池都知事と国防婦人会と、広告的なもの。 裏からあぶりだす戦後の中東。『イスラエル諜報機関暗殺作戦全史』 月別アーカイブ キャリアのことも (142) マーケティング (128) メディアとか (62) 世の中いろいろ (190) 広告など (49) 未分類 (18) 見聞きした (130) 読んでみた (119) 遊んでみた (14) 雑記 (25) べてみた (8) 2013年 CM facebook グリー テレビ テレビ局 ネット フジテレビ ベルリンフィル マーケティング メディア ヤルヴィ ヤンソンス ラトル リクナビ ワークショップ 内閣支持率 制作費 博報堂 営業 大学生 大相撲 宝塚 就活 就職 広告会社 感想 投票率 採用 新入社員 新聞 書店

    ライフネット生命はアタマが良すぎたのか?|from_NY 山本直人のブログ
    haiji505
    haiji505 2016/02/09
  • 燃えたルミネCMと、想像力の罠。|from_NY 山本直人のブログ

    が20歳になった。 あの事件は選挙結果を変えたのか?【青学講義覚書】 『数学的に話す技術・書く技術』というを書いた理由。 小池都知事と国防婦人会と、広告的なもの。 裏からあぶりだす戦後の中東。『イスラエル諜報機関暗殺作戦全史』 月別アーカイブ キャリアのことも (142) マーケティング (128) メディアとか (62) 世の中いろいろ (190) 広告など (49) 未分類 (18) 見聞きした (130) 読んでみた (119) 遊んでみた (14) 雑記 (25) べてみた (8) 2013年 CM facebook グリー テレビ テレビ局 ネット フジテレビ ベルリンフィル マーケティング メディア ヤルヴィ ヤンソンス ラトル リクナビ ワークショップ 内閣支持率 制作費 博報堂 営業 大学生 大相撲 宝塚 就活 就職 広告会社 感想 投票率 採用 新入社員 新聞 書店

    燃えたルミネCMと、想像力の罠。|from_NY 山本直人のブログ
    haiji505
    haiji505 2015/03/23
  • 首から上の不調|from_NY 山本直人のブログ

    haiji505
    haiji505 2010/06/17
    その新人くんとまったく同じ状況になったわ。。。
  • リポート vol.1 twitterの価値構造

  • 正月に思い出すこと。(下) - 広告って、なに?

    東京に戻って、間もなく異動希望を出す機会があった。結果として約半年で、希望通りに研究開発セクションに移った。 もともと僕は、PRかマーケティングをやりたかった。大学時代に選挙理論と予測モデルを先行していて統計などの知識もあったし、もともと分析することが性にあっていたのだ。 もちろん制作で学んだことはいろいろあったけれど、「そもそもやりたいこと」に取り組みたいというのが希望の理由である、 だが、それは理由の半分、というより3分の1くらいかもしれない。 あとの3分の1は「どう考えても広告制作では一流になれない」という直感的確信である。当時の仕事仲間は2つ上に谷山雅計さん、2つ下に前田知己君がいた。現在二人とも独立して活躍されているのは周知の通り。一緒に仕事をしたデザイナーには1つ上に永井一史さん。 周囲がすごいので、とにかく自分に見切りをつけるには絶好の環境だったのである。 一方、

  • 制作時代に学んだこと②「長い文章の大切さ」 - 広告って、なに?

    広告関係者の人は当然ご存知だろうが広告コピーには「キャッチコピー」と「ボディコピー」がある。 このボディコピーと言うのが、コピーライターにとってはなかなかの重労働だった。「だった」と過去形で書いたのには理由があって、最近は広告会社のコピーライターが長々とコピーを書くことが著しく減っているからだ。 一つには新聞や雑誌で「文字ギッシリ」のコピーが減少してきたと言うことがある。 もう一つは、カタログなどの制作が外部のプロダクションに任されるようになったので、広告会社の若手がそうした制作作業に携わることが減ってきたと言うこともある。 それは今に始まったことではなく、僕が会社に入ってまもなくバブルの頃に起きたように思う。ところが、その頃に僕は転勤したこともあって、結果的に長いボディコピーを書く文章が多かった。 ボディコピーはいかんせん地味な仕事である。ポスターに一行、で仕事が完結すればあり

  • 残酷な善意~派遣と地震と。 - 広告って、なに?

    年末辺りから、どのテレビも狂ったように「派遣切り」報道に熱心である。 今週になってダイヤモンドと東洋経済がこの問題を「対正社員」の切り口で捉えているけれど、やっと問題の所在を議論するようになって来た気もする。 問題なのは、浅薄なテレビ報道が「派遣vs.会社」のような二項対立を煽ったために、真っ当な議論までに時間がかかるし、ほとんどの人はテレビ報道の内容から先を検討しないということにあるんだうな。 じゃ、なんでテレビはこんなに煽りの報道が多いのか。 それは、能的に「視聴者が見る」ことを知っているからだと思う。テレビの報道を見ている限り、あまりアタマのいい人が作っているようには思えないのだけど、視聴率に関する直感だけは鋭いのだろう。 じゃあ、なんで雇用問題を集中報道すると「みんなが見る」と思うのだろう?。 答えは単純。それは「自分は安心」という人が遥かに多数だからである。派遣切り

  • 熟年離婚。 - 広告って、なに?

    夫は商才があり、いわゆる「目端の利く」タイプだった。 の実家はかなりの土地持ちだったが、その土地を活かしてビジネスができると言い出したのは夫である。当時この土地は広大でも、旧市街からは外れていた。だが、やがて人の流れが変わるのだから、ここにいろいろな商店を誘致してその賃借料だけでもかなりになるぞ、と夫は言った。 戦後人口の急増に伴って、街は拡大した。夫の読みどおり人の流れは変わった。の家が持つ土地に出店を望む人は後を立たない。かなり、高値に設定しても後から後から店は増える。思い切ってビルを建ててみると、これがまた満杯となった。 夫は単に場所貸しをするのではない。飲店、物販などの店舗も時代の先をいく店を発掘していく才があった。そのため、賑わいは増し、出店希望者は増えて、土地の価値はますます上がっていった。 転機が訪れたのは90年代半ばからだろうか。街を行く人の高齢化が目について

  • 広告の作品性のお話② - 広告って、なに?

    「作品性が高い広告」が機能する時には次の3つの理由があるのでは、というのが昨日の話だった。 1.多くの消費者が「実現したい消費行動」をアタマの中に抱いている。 2.しかしその行動にいたる「合理的な理由」を自分では持っていない。 3.そうした行動をする「理由」を人から教わりたいと思っている 例えば「大きなクルマを買いたい」と思っているけれど、「ちょっと贅沢かな」と思い合理的な理由を自分に持っていない。そんな時 「となりのクルマが小さく見えます」 「いつかはクラウン」 「きっと新しいビッグカーの時代が来る」 という「合理的な理由」を広告に教えてもらっていた。クルマの広告に品質感が要求されていた時代には、そうした背景があった。 そういう意味で、ステップワゴンのアニメは構造は同じでも、方向性という意味では画期的だった。 「大きなクルマを買いたい」けど景気が悪い中で合理的な理由が

  • ドコモの型番は資産ではなかったのかなぁ。 - 広告って、なに?

    ドコモが携帯機種のシリーズ名を一新するらしい。この記事が大変詳しく背景を分析しているが、ライターの石川温氏が書かれている疑問と同じことを僕も感じた。 この記事を引用すると、新たなシリーズは『これまでの「90X/70X」シリーズという区分けを廃止し、「STYLE(スタイル)」「PRIME(プライム)」「SMART(スマート)」「PRO(プロ)」という4つのシリーズに一新した。』ということらしい。 この変更に対して石川氏はこう述べている。 『特に疑問なのは、ドコモが「90X」といういまや「ブランド」と化した型番を捨ててしまったことだ。若年層の間では90Xを持っていることはひとつのステイタスにもなっていた。まさに90Xシリーズはドコモのトップブランドでもあったのだ。 BMWが1シリーズから7シリーズと数字で格付けが決まるように、ドコモの型番も、ちゃんとユーザーに認知されていた。これはau

  • 広告=ラブレター論の陥穽。 - 広告って、なに?

    「広告はラブレター」という言説が若い人の間で話題になっていたようである。佐藤尚之氏の「明日の広告」で展開された議論が新鮮だったらしい。 一方で、私などの世代のように80年代からせいぜい90年代前半に広告業界に入った者にとっては目新しい話でもない。むしろ、懐かしさを感じる。当時は「広告は私小説」とか「メッセージはラブレター」みたいなことを言う人は多くいて、ただ今にして思えば戦前生まれの人々であった。 比喩は質を突くとは限らない。だが、この「広告=ラブレター」という議論をどのように捉えるから、その人が「何を生業にしているか」が分かる気がする。 この議論に共感し「ラブレターが届きにくかったり、興味を失ったいるのだ」という著者の議論に共鳴できる人は「広告業界」の人であると思う。 「ちょっと待てよ」と思うのは、マーケティングの世界で生きている人である。 今、私は広告業界の人と直接仕事をす

  • ポジショニングの視点で、BRAVIAのコピーを読むと。 - 広告って、なに?

    ポジショニングについて、さらにもう少し。 ケラーのポジショニング論には、ちょっと分かりにくい概念が出てくる。「相違点連想」と「類似点連想」だ。 相違点については、分かる。差別化である。類似点連想、というのは「他のブランドと共通した連想」ということである。ケラーの言葉だと「ゲームに参加するための"プレイ料金"」ということになる。 ポジショニングの優れた例として、ケラーは「ミラー・ライト」(ビール)の例を挙げている。だが、面白いことにトラウトも著作の冒頭で、まず「ミラー・ライト」のケースを挙げているのだ。 ただしケラーのような理屈抜きに「ポジショニングの基条件をはっきり押さえた直球勝負のコピーである」と評している。こんなコピーだ。 「ミラーのライトビールには、あなたが求めているものがすべて入っている。でも、カロリーは控えめ」Everything you always wanted

  • ポジショニング馬鹿一代。 - 広告って、なに?

    ポジショニングというと、十字を切った4象限上にブランド名やらをプロットして、ああでもない、こうでもないとやることだと思われている方は結構多い。 別に間違っているわけではなく、競争的ポジショニングという観点では、「それもあり」なのだけど話はそう簡単ではなくなっている。 というより、今どき企画書にこういう十文字のマップを出して来て「ポジショニングでございます」というプレゼンテーションがあった場合は、そのプランナーとか代理店のスキルを一度疑った方がいいかもしれない。 なぜか?マップを作って空白を探すようなプランニングは、市場の成長期には結構効くのだけれど、成熟期になるとかえって危険だと思うからだ。 では、その危険な理由とは何か?ともう一段考えてみよう。 それは、「マップの空白は市場(つまり顧客ニーズ)の存在を意味するとは限らない」ということを忘れがちだからである。おそらくポジショニング

  • 広告志望学生との対話。⑤ - 広告って、なに?

    「ちょっと、表現が唐突だったかな?さっきは」 「デパートの中に100円ショップ...つまり、あんまり儲かりにくいモノを売る、ということですか」 「そうだ。かつ、あまり"差別化"できないものを売るということだ。デパートは世界中から一級の品を集めてきた。それを買い付ける人"バイヤー"のスキルとセンスがデパートの価値を支えてきたといっていい」 「はい、わかります」 「広告ビジネスも同じだ。それぞれのブランドにふさわしいメディアの展開プランと、クリエイティブを実行できるスキルとセンスがあるからこそ、事業主はお金を払う」 「でも、それ以外のことをして売上げを維持しているんですね。マス広告自体が何年か前から減っているのは知っています。でも、広告代理店は伸びている年もありますし、デパートみたいには、なっていません」 「それは、マスメディア以外の"プロモーション"といわれる分野で補っているから

    haiji505
    haiji505 2008/12/08
    ”クライアントや消費者が喜ぶアウトプットを作るために、現状を変えようと思う意志があるなら挑戦してみたら?”
  • 僕が就活中だったなら。 - 広告って、なに?

    学生から相談を受ける季節になってきた。 3年生は早くも就職活動である。こんな時期に動かざるを得ないような仕組みについては、書きたいこともあるのだけど、それは近著の方でいろいろ書いた。まずは今の学生を助けることが第一である。 大学の後輩や、青山学院の2年前の教え子、さらにはその友人など色々と会う。僕は、マーケティング・広告関連のコンサルティングだけではなく、キャリア論がもう1つの専門なのである。 とは言え、最も多いのは「広告業界に行きたい」という話だ。もっと分かりやすくなると「電通か博報堂に行きたい」と言うことになってくる。 これが結構困る。僕は20年以上前に博報堂に採用されたけど、20年も働かずに辞めている。立場としては微妙だ。 「なんで、広告に行きたいの?」とか気で聞いてしまう。自分がどうして広告業界に憧れていたのかとか、既に忘れているようである。 というか、当に忘れてい

  • Aから始まらない消費活動。 - 広告って、なに?

    マーケティングと広告との関係とか線引きについては、別に決まりがあるわけでもない。ただ、世の中には広告、特にマス広告をおこなわないマーケティング活動も山ほどあるので、広告を前提にして「マーケティングの変化」を論じると、質を見失うのではないか。 広告=ラブレター論に「陥穽」を感じたのはそういう理由である。 ところが日では広告業界がマーケティングについて発信している割合が多いために、広告を前提にした議論になるようだ。 近年の「AIDMAからAISASへ」というのも、その最たるものだろう。ネットの時代になってマス広告のような効果は変質する。それはそうだろうけど、AISASだって結局attentionを起点にしている。それは広告という「部分」からの発想である。 では、どんなモデルなのか? 消費者行動論で代表的な「購買プロセスの5段階」というのは、この図表のようになっている。スタートは広

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