― お父さまは、ザ・ピーナッツの育ての親であり、「宇宙戦艦ヤマト」をはじめとする数々の名曲を作曲した宮川泰さん。残念なことに今年の3月に亡くなられました。 宮川 踊る指揮者という異名を取ったくらいに元気な人でしたから、家族をはじめ、周囲のみんなが長生きすると思っていたんですよ。まったく苦しむことなく「じょうずに」逝ったことや、75歳でしたが最後まで現役のままだったことを考えると、それはそれで幸せだったのかもしれません。 実は、ちょうどその頃僕はすごく忙しくて、「このままのペースだったら死んじゃうかも…」と思っていました。妙な言い方ですが、父が亡くなったお陰で少しばかりお休みが取れたんですよ。とは言え、その後すぐにギックリ腰になったり、カラダの具合がしっくりこなくて、仕事をお休みせざるを得ない状況にもなったんですけどね。今思うと、父は僕を休ませてくれたのかもしれません。 宮川 壁と言っ
(拉致問題・イラク人質自己責任論・ハンセン病・731部隊等に言及して) 僕たちのこの国はなんと鈍感で、なんと他人の痛みに平然としていることか。 その国で、多くの人たちが笑いながら、幸福を謳歌し、子供を育てている。その景色の明るく、陰鬱なこと。 目の前の危機を助けるのはそんなに偽善でもない感じかな。 ボランティア活動というのは「自分がやれる事をやれる時間の中でやる」ので良いと思っています。 「最近の若者のなんと他人の痛みに敏感なことか」 って思うんだよねぇ。痛みを知ろうにも、現状を見ることも出来ない、聞くことも出来ない、そして助けようにも手も届かない、声をかけることも出来ない所に居る人のことまで気にするような、大きな人間にはワシはなれんなぁ。ワシに出来る範囲ってのは、実際に手を握り声をかけて励ましたり、うんうんとうなずいて悩みを聞いたりできる距離に限られる。どう背伸びしたって、外国の名前も顔
何のための音楽をするのか。誰のために音楽をするのか。大き過ぎる問いだけれども、音楽に携わる者なら常に自己に問いかけ続けなければいけないことだろう。誰に伝えるために音楽をするのか。伝えるものは何なのか。音楽の歓びか? 楽しみか? 陳腐に「音楽を好き」という気持ちか? 何にしろ、相手がいなければ実現不可能なものが音楽なのだと思う。同じ空気、同じ場所、同じ時間を、その場に居合わせた人間達が共有する。他の芸術や娯楽も同じように受け手の存在を欠くことはできないが、絵画や彫刻は時間の共有を強いることはない。詩や戯曲、オペラやミュージカルには言葉がある。時間の共有を強いる、いや、共有することをお願いする音楽。言葉のない音楽。その音楽の担い手たちこそ、貪欲に攻めの態度で、聴き手を呼び込み続けないといけないのではないか。 そういう意味では、オペラの存在は大きい。この日本でも、続けていく意義があると思う。音楽
・映画タイトルと、影響されてしまったシーン ・実際にやってしまった恥ずかしい行動 を書いちまえこの影響されまくり野朗!
この手の話題でいつも疑問に感じるのが、 新しいメディアがテレビなど既存メディアの時間を奪う かのような考え方。 たとえば携帯がゲームの時間を奪う、PCがテレビの時間を奪う、などなど。 ○http://blog.japan.cnet.com/nakajima/archives/003268.html この二つの資料からだけでも、はっきりとした「若い人たちのテレビ離れ」のトレンドは見て取れる。つまり、テレビを見たり据え置き型のゲームマシンでゲームをするよりも、mixiで友達とのコミュニケーションを楽しんだり、YouTubeで話題になっているテレビ番組の面白い場面だけをつまみ食いする方がずっと楽しいと感じている人たちが増え続けているのである。 (強調は引用者) 上記の記事はかなり強引にそういった方向に話を持って行こうとしていますが、まず資料とされている調査結果「国民生活時間調査報告書(PDF)」
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