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think two things - 誰のために音楽を・・・
何のための音楽をするのか。誰のために音楽をするのか。大き過ぎる問いだけれども、音楽に携わる者なら... 何のための音楽をするのか。誰のために音楽をするのか。大き過ぎる問いだけれども、音楽に携わる者なら常に自己に問いかけ続けなければいけないことだろう。誰に伝えるために音楽をするのか。伝えるものは何なのか。音楽の歓びか? 楽しみか? 陳腐に「音楽を好き」という気持ちか? 何にしろ、相手がいなければ実現不可能なものが音楽なのだと思う。同じ空気、同じ場所、同じ時間を、その場に居合わせた人間達が共有する。他の芸術や娯楽も同じように受け手の存在を欠くことはできないが、絵画や彫刻は時間の共有を強いることはない。詩や戯曲、オペラやミュージカルには言葉がある。時間の共有を強いる、いや、共有することをお願いする音楽。言葉のない音楽。その音楽の担い手たちこそ、貪欲に攻めの態度で、聴き手を呼び込み続けないといけないのではないか。 そういう意味では、オペラの存在は大きい。この日本でも、続けていく意義があると思う。音楽
2006/11/28 リンク