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2008年11月18日のブックマーク (4件)

  • http://www.ne.jp/asahi/kisakura/earth/

  • asahi.com(朝日新聞社):ピアノ曲「光るクラゲの踊り」 音大生、下村さんへ捧ぐ - 社会

    ピアノ曲「光るクラゲの踊り」 音大生、下村さんへ捧ぐ2008年11月17日11時16分印刷ソーシャルブックマーク ピアノで「光るクラゲの踊り」を演奏する下川和己さん=11日、米ボストン、勝田敏彦撮影 【ボストン=勝田敏彦】クラゲの蛍光たんぱく質の発見でノーベル化学賞の受賞が決まった下村脩さん(80)に、思いがけないプレゼントが贈られた。それは「光るクラゲの踊り」というピアノ曲。ボストンの名門・バークリー音楽大で学ぶ下川和己さん(19)が作曲した。 下川さんは子どものころから「この世のものではないような」クラゲが好き。たまたま9月、「真っ暗な海底で何万個ものクラゲが光りながら音もなく踊っているところ」をイメージし、2週間ほどで仕上げた。フランスのロマン派ドビュッシーやラベルを思わせる4分ほどの小品だ。 作品が完成したあとの10月初め、下村さんのノーベル賞の発表があった。下村さんの自宅がある保

    halca-kaukana
    halca-kaukana 2008/11/18
    聴いてみたい。
  • 演奏会批評に存在意義はあるのか - think two things

    僕も勝手なことを頻繁に書くので人のことは言えないのだけど、クラシックのいわゆる演奏会批評というものに存在意義はあるのだろうか、と疑問に思っている。 書評なら、どんな酷評であれ、批評を読んだ人間がその書籍を手にし読みさえすれば、批評に反論したり共感できたりする。美術批評を読んだ人間は、評の対象となった作品にまた出会い、鑑賞者として参加することが出来るだろう。CD批評なら、自分自身で身銭を切って同じ立場で何かを語ることが出来るはずだ。ほか映画批評も、単発の公演でない演劇興業への批評でも、批評に接した人間が作品にアクセスする可能性は残されている。 それではクラシック*1の演奏会批評はどうだろうか。 演奏会批評の対象となるクラシックの演奏会は、他の分野の芸術やエンタテインメントとは成り立ちが大きく異なり、音楽誌や新聞に掲載される頃には既に終わってしまっている。再現不可能なものなので、存在がなくなっ

    演奏会批評に存在意義はあるのか - think two things
    halca-kaukana
    halca-kaukana 2008/11/18
    クラシックの演奏会は同じ演目でも、その演奏は一度きりしかない。二度と同じものを聴く事は出来ない。確かにそうだ。
  • 繰り返される話題に変化や広がりをみる - 北の大地から送る物欲日記

    はてブで話題になった記事をときどき発掘してみるんだけど、同じことがネタを替えて繰り返し言われ続けているような印象を受けますね。 https://twitter.com/hatayasan/statuses/884240755 まあ、はてブに限らずWebのあちこちがそうだろうし、ネットだけじゃなくて雑誌の特集記事なんかも同じことが毎年似た様なローテーションで回ってたりとかするように、話題ってのは同じことが手を替え品を替えなんども繰り返されるものなんですよね。 そういってる私自身も、このブログで数千記事書いてるうちで、同じようなことを書いてる記事ってのはたぶん過去記事読んだらもりもり出てくるだろうな、と実感してます。記事を書きつつ、「あ、これ前にも書いた気がする・・・」なんてのはよく感じるからw この「話題は繰り返す」ってことに対して、「同じことを何度も何度も繰り返すなんて意味ないし。くだらな

    繰り返される話題に変化や広がりをみる - 北の大地から送る物欲日記
    halca-kaukana
    halca-kaukana 2008/11/18
    ブログを書いていて「前にも書いた気がする」「前にも書いてた」と思うことがあるが、こういう見方もあるんだ。なるほど。