島津忠良の菩提寺「日新寺」が建っていたが、廃仏毀釈後、 島津忠良をご神体として改宗した竹田神社。 竹田神社社殿。 竹田神社にある島津忠良(日新公)の墓全景。 島津忠良の墓にある説明文。 いろは歌歌碑がずらりと並ぶ「いにしえの道」(竹田神社内)。 「いろは歌」と「いにしえの道」説明文。 いろは歌歌碑がずらりと並ぶ様は圧巻。 いろは歌歌碑の一つ。 「聞くことも又見ることも心がら みな迷いなり みな悟りなり」 いろは歌歌碑がずらりと並ぶ鹿児島県加世田にある「いにしえの道」。 いろは歌の「い」の歌。 「いにしへの道を聞いても唱えても我が行ひにせずばかひなし」 「日新公いろは歌」とは、島津家中興の祖で、島津義弘の祖父でもある島津 忠良(ただよし)(号は日新斉・じっしんさい)が、5年余の歳月をかけ完成させたという薩摩藩の「郷中(ごちゅう)教育」の基本の精神となったとなったといわれる47首の歌です。義弘