セスクにはスピード、並外れたテクニックはないが、バルセロナでプレーするのに必要な知性を備えている【Getty Images】 バルセロナの「4番」は、新加入ながら何年もチームの中心としてプレーしていたような風格を漂わせている。それも当然のことだろう。なぜなら、セスク・ファブレガスはバルセロナのカンテラ(下部組織)で育ち、リオネル・メッシやジェラール・ピケとともにプレーしていたのだから。つまりセスクは、幼少期からバルサスタイルをたたき込まれ、「バルサのサッカーをする上で必要なこと」を身につけているのだ。 セスクがバルセロナのカンテラでプレーしていた時のコーチが、カルレス・ロマゴサである。彼は現在、バルセロナのメソッド部門の責任者を務めるジョアン・ビラとともに、「サッカーサービス」という組織を立ち上げ、カタルーニャサッカー協会やヨハン・クライフスポーツ大学などで、選手育成、指導者養成に携わっ
シャルケ04が2−1とバレンシアをリードしていた。アウエーでの第1戦は1−1だったから、2−2になるとバレンシアの勝ち抜けが決まってしまう。第4の審判が4分のロスタイムを知らせると、ベルティンス・アレーナ(シャルケの本拠地)に「ピー」という非難の口笛が鳴り響いた。 ロスタイムの攻防は、バレンシアがシャルケゴール前に殺到し、シャルケがこれをしのぐとカウンターからビッグチャンスを作ることの繰り返し。シャルケの攻撃がいったん途切れると、バレンシアのベンチは「上がれ! 上がれ!」、シャルケのベンチは「戻れ! 戻れ!」とピッチに指示を送る。要は両チームの選手とも目指すポジションは、シャルケ陣内奥深くだった。 大味かつ濃厚なロスタイム。その時間が4分経とうとしたころ、GKノイアーからのロングキックを受けたFWファルファンがとどめのループシュートを決めて、とうとうシャルケが3−1としベスト8進出を決
【ドーハ時事】サッカーのアジア・カップで、2大会ぶり4度目の優勝を目指す日本は27日、当地でオーストラリアとの決勝(29日=日本時間30日)に向けて調整した。 25日の準決勝、韓国戦で右足小指付け根を骨折したMF香川(ドルトムント)はこの日チームを離れた。所属クラブのあるドイツで治療する。DF長友(チェゼーナ)は「魂を置いていくと言っていた。あいつの分まで一つになって戦いたい」と話した。 世界ランキングは日本が29位、豪州は26位。対戦成績は日本の5勝7敗6分け(日本のPK戦1勝は引き分け扱い)。 28日(同29日)は3位決定戦が行われ、韓国とウズベキスタンが対戦する。 【関連記事】 ・ 【サッカー今むかし】"世界王者"のまま決勝へ進め! アジア杯決勝T展望 ・ 〔写真特集〕ザックジャパン アジア杯優勝へ ・ 〔写真特集〕アジア杯、美女サポーター〜W杯に負けない〜 ・ 香
「ゴールは一番自分を落ち着かせてくれる」 ゴールだけは良かったと思います。ほかは全然(ダメ)だと思います。ミスも多かったですし、動きの質もだし、重たかったですし、4試合目ということで日程的にもきつかった中でホントに厳しかったので、ゴールが唯一の救いかなと思います。ゴールというのは一番自分を落ち着かせてくれるというか、なかなか点を決められなかったんで、ほっとしたというのはありましたけど、内容に関しては全くだったと思います。 (1点目は)ごっつあんでしたけど、人とボールの動いた形としてはいいゴールだったと思います。(岡崎に入ったところで)ボールが来ると信じて走っていたので、ゴール前に走って行くという自分のプレーが出たんじゃないかと思います。(後半は)前の3人で崩さない限り、点は入らないというのは分かっていたんで、多少のリスクを背負うという意味ではうまくやれたんじゃないかなと思います。 あ
日本代表初のイタリア人指揮官、アルベルト・ザッケローニ監督の本格始動ということで大いに注目された10月の2試合。8日のアルゼンチン戦(1−0)で歴史的勝利を収め、12日の韓国戦はスコアレスドローに終わったが、今年2度の日韓戦での敗戦に比べると守備の意思統一や攻撃の迫力という意味で大きな前進が見られた。ザックジャパンの第一歩はまずまずの成功を収め、キャプテン・長谷部誠も「若い選手たちが自信をつけているし、日本サッカーの未来は明るい」と前向きに発言している。そんな選手側の目線で、あらためてザックジャパンを見てみたい。 ■ザック流の「完全分業制」トレーニング 新生・日本代表のトレーニングは「完全分業制」で始まった。初日はフィジカル強化からスタート。フィジカルコーチのエウジェニオ・アルバレッラがすべてのメニューを実践し、ザッケローニ監督は黙って見守っていた。これも過密日程の時期にしてはハードで、中
激しい闘志を見せなければ批判されるのがスコットランドである。独特の文化の中で学んだこともあった。07年に現役引退するまで中村の隣でプレーしたニール・レノンは練習でも、試合でも中村を叱咤激励した。紅白戦で何気なくアウトサイドでパスを出すと、隣のロイ・キーンが「丁寧にインサイドで出せ」と激怒したこともあった。 現在チームのコーチを務めるレノンは言う。 「ナカは自分が一緒にプレーした中でも最高の選手だった。手本となるようなプロ選手だ。もうセルティックを去ることになるのだろうが、ヤツのプレーは忘れられないね。(06−07年シーズンの)チャンピオンズリーグ、マンチェスター・ユナイテッド(マンU)戦のFKに、リーグ優勝を決めたキルマーノック戦のFK。セルティックというクラブの歴史において欠かせない選手だった」 セルティックパークの一室には、マンU戦で決めた中村のFKの写真が飾られてある。昨季終了
――今日は中盤でボールを取られることが多かったが、それは相手が良かったからか? それともこちらが未熟だったからか? チャンスの数がどちらに多かったか、考えてほしい。得点ではなく、チャンスの数は、日本とサウジ、どちらに多かったと思う? ――日本の方が多かったと思う 試合の内容を表す意味で(その数字は)雄弁だ。残念ながら相手には数少ないチャンスで得点を奪われてしまったが、全体的な内容としては悪くはなかった。中盤のボールについては、試合なのでいろいろなことがある。特にサウジは中盤に人数をかけてきて、それぞれの選手もうまかった。こちら側としては左サイドに問題があった。しかし問題はそこにあったのではないと思う。最大の問題は前半15分くらいの間に、奪ったボールをすべてプレゼントしてしまったことだ。精神的なプレッシャーとか、疲れとか、そういう問題がないところで、持っているボールを簡単に相手に渡してし
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