ブックマーク / nezu3344.com (5)

  • イージス艦「きりしま」の快挙

    「きりしま」の放った迎撃ミサイルは、6発の大陸間弾道弾にすべて命中。 弾道弾を、宇宙空間で迎撃してしまったのです。 これは世界初の快挙です。 世界で初めて、大陸間弾道弾がミサイルで撃墜させられた。 日の海上自衛隊は、試験開始前から、「100発100中ですよ」とケロリとしていたといいますが、対する米国のミサイル防衛庁(MDA)は、びっくり仰天。 むしろ日側よりも、有頂天といっていいくら大喜びしてくれています。 高速で飛来するミサイルを、宇宙空間で撃ち落とすというのは、飛んでくるピストルの弾を、ピストルの1発の射撃で撃ち落とすよりも尚、むつかしいといわれています。 どうしてかというと、なにせ宇宙空間には大気がない。 ですから、迎撃ミサイルの軌道を、途中で羽を使って変えることができないのです。 大陸間弾道弾は、一基のミサイルに、複数弾頭を搭載したり、核を搭載したりできるミサイルです。 射程距

    hanchouyoroshiku
    hanchouyoroshiku 2013/03/27
    大陸間弾道弾の迎撃を百発百中で成功させたそうです アメリカもびっくり!!
  • 正しい報道と売れる報道

    ■三ケ根山殉国碑への個人カンパご協力のお願い 詳細は→http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1721.html ↑ ↑ 応援クリックありがとうございます。 昨日の記事で、やまと新聞のことを書いたのですが、せっかくですので、今日は新聞について書いてみたいと思います。 実は、GHQが日にはいってきたときに、日国内にある大手新聞社に、一定の色分けをしました。 その色分けがおもしろいのですが、 朝日、毎日、読売=報道新聞 日経=経済新聞 やまと=思想新聞 と分類したというのです。(注:全国紙の新聞社は戦後GHQによって数社に統合されました。終戦時、東京日々とナニナニ新聞等と細かく分けて書くと話がややこしくなりますので、単純化しています) けれどみなさん、ここでひとつおもしろいことに気付かれると思います。 戦前から戦時中にかけて、「鬼畜米英」だの、「スス

    hanchouyoroshiku
    hanchouyoroshiku 2013/01/11
    やまと新聞というまともな新聞が戦前にあったというお話
  • 対馬丸事件

    ちなみに、先般、友人のFacebookサイトでご紹介いただいたのですが、 〜〜〜〜〜〜〜 全体は部分の総和以上である 〜〜〜〜〜〜〜 という言葉があります。 これは、ホーリズム(Holism)をひとことにまとめたもので、ある系(システム)全体は、それの部分の算術的総和以上のものである、とする考えのことです。 あるいは「全体を部分や要素に還元することはできない」とする立場でもあります。 戦後の教育や学問は、部分部分をバラバラに分解して理解しようとすることを是としてきたように思います。これを「還元主義」といいます。 歴史はジグソーパズルに似ています。 何が起こったのか(どんな絵が書かれているのか)、後世の我々には見えるけれど、歴史の断片(ジグソーパズルの切片(ピース))を、いくら細かくしていっても、その全体像はみえてきません。 そして全体がひとつにまとまって一枚の絵が完成したとき、そこに感動が

    hanchouyoroshiku
    hanchouyoroshiku 2012/10/28
    アメリカはここでも国際法を守らないな これだから力は正義なんだろうな・・・
  • 磨製石器と相沢忠洋

    上の写真、何だと思われますか? 実はこれ、昭和24年に発掘された「槍先形尖頭器」と呼ばれる石器です。 長さ約7cm、幅約3cmのこの石器は、薄緑色に透き通る黒曜石で出来ています。 中心部に白雲のようなすじが入っていて、神秘的な美しさです。 この石器は、日で発見されたものです。 群馬県みどり市笠懸町にある岩宿遺跡(いわじゅくいせき)で出土したものです。 時代は、いまから約3万年前の旧石器時代のものです。 そして、人の手によって磨きがかけられた石器としては、これが「世界最古」の石器です。 そしてこの石器は、単に旧石器時代の石器というだけでなく、「人の手による加工技術の産物」として「世界最古の道具」でもあります。 日の磨製石器は、それよりも5千年も古い。 それ以外の石器となると、ロシアのコスチョンキ(約1万4000年前)、アフォントヴァゴラ(約2万年前)、オーストラリアのナワモイン(約2万1

    hanchouyoroshiku
    hanchouyoroshiku 2012/01/15
    泣ける話や戦後の大学は最低になってしまったんだな・・・
  • 寺子屋と筆子塚

    上の図は何かというと、川崎喜久男さんという方が、昭和47(1972)年から平成4(1992)年まで、20年かけて調べた千葉県下の「筆子塚」の分布図です。 川崎さんは、これをご自身のバイクに乗って、県内の村落をくまなく調査し、なんと全部で3350基の筆子塚を確認しました。 上の図は、その分布図です。 「筆子塚」は、別名を、筆塚、筆子塔、筆子碑、あるいは師匠塚などといいます。 多くが、筆の形をした石で建てられています。 主にお寺の境内などにありますが、古い旧家などでは、自宅の敷地内や門前に、この塚があるケースもあります。 では「筆子塚」とは一体何か。 地元で世話になった寺子屋のお師匠さん(先生)がお亡くなりになったとき、教え子たちが自分たちで費用を出し合って供養塔を建てた。 それが「筆子塚」です。 寺子屋というと、時代劇などのイメージで、なにやら書道とむつかしくてわけのわからない漢文の素読ばか

    hanchouyoroshiku
    hanchouyoroshiku 2011/12/19
    最初に礼儀作法を教えるなんて初めて知った 私が考えてたことを昔の人はもう行なっていたんだな
  • 1