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鉄道と歴史に関するhanemimiのブックマーク (5)

  • 天王寺駅の怪と阪和電気鉄道の歴史 前編【昭和考古学】 - 昭和考古学とブログエッセイの旅

    目次: 序章:天王寺駅の素朴な謎 伝説の私鉄、阪和電気鉄道 阪和電鉄時代の天王寺駅舎 阪和のエヴァンゲリオン、超特急 南紀直通列車、「黒潮号」 阪和間の料金に見る戦前の物価 阪和電気鉄道、開業早々に事故る 阪和線、真の秘密兵器 阪和電鉄 vs 南海鉄道の仁義なき戦い 涙ぐましい必死の経営努力 阪和電鉄、時代の大波に消える そして国鉄へ・・・ 「東羽衣線」の謎 阪和線、売ります 序章:天王寺駅の素朴な謎 好奇心のアンテナを限度いっぱいに広げていると、身近な場所や物でもさりげなく「???」と思う謎があったりします。 そして、それを掘り下げてみると意外なものが見つかったりすることがあります。 例えば、大阪にあるJR阪和線の天王寺駅。 阪和線の天王寺駅は、他のJRの路線とは少し離れた所に位置しています。 「同じJRなのに他の路線とホームが違うの?」 という疑問を持たれてもおかしくないですが、その答

    天王寺駅の怪と阪和電気鉄道の歴史 前編【昭和考古学】 - 昭和考古学とブログエッセイの旅
  • (勝手に関西遺産)この色以外ありえへん:朝日新聞デジタル

    阪急マルーン 茶色、えんじ、えび茶色。はたまた、栗色、チョコレート色、ビンテージワイン色、あずき色。阪急電車の色は、見る人それぞれの映りようをする。レトロで落ち着いているけど、いささか地味では? 鉄道ライターの土屋武之さん(50)にそう話すと、歴史を踏まえて反論された。「1910(明治43)年に開業して以来の色といわれています。一般的に車両の色が派手になったのは第2次大戦後で、当時は黒や茶が多かった。つやがあり、上品できれいな色。沿線住民の誇りです」。自身も沿線育ちの土屋さんは、地味などと言われると「胸ぐらをつかみたくなる」のだそうだ。ごめんなさい。 色名は「マルーン」。フランス語で栗を指すマロンから派生した英語で、JIS(日工業規格)にも規定されている色だ。日色彩研究所(さいたま市)によるとダーク・レディッシュ・ブラウン(暗い赤みの茶色)の範疇(はんちゅう)に入り、ダークな色の特性と

    (勝手に関西遺産)この色以外ありえへん:朝日新聞デジタル
  • くるくる羅針盤 - 丸いお鼻の新幹線は新たな使命を与えられたようです。

    ◆丸いお鼻の新幹線は新たな使命を与えられたようです。 その2 ◆丸いお鼻の新幹線は新たな使命を与えられたようです。 その3 1 :ローカルルール変更議論中@VIP+ [sage]:2009/07/11(土) 23:36:31.57 ID:RSyjhbjd0 (・○・)・・・なんだかさわがしいなぁ・・・ なんかあるのかな・・・? 2 :新幹線電車。[sage]:2009/07/11(土) 23:37:48.21 ID:RSyjhbjd0 (・○・)・・・ボク・・・どんだけねむっていたんだろう・・・? 3 :新幹線電車。[sage]:2009/07/11(土) 23:40:04.67 ID:RSyjhbjd0 (・○・)・・・ボクが生まれたのは昭和37年。今年は・・・何年なの・・・? 「今年は西暦2008年。平成20年だよ。」 (・○・)おじさん・・・あなたはだれ? 「俺は一介の整備士だ。君は

  • 可視化された帝国:みすず書房

    明治から昭和初期にかけて、全国各地をまわり、人々の前に生身の身体をさらした3人の天皇・皇太子。その足どりをつぶさに追うことを通して、全国規模で展開される「視覚的支配」の場に、一つの政治思想が浮かび上がる。 近代天皇制は、イデオロギーによる観念的な支配というよりは、むしろ、個別の天皇・皇太子の身体を前提とした大がかりな仕掛けによる支配とみるべきではないのか。たび重なる国家儀礼に動員される「臣民」たちは、天皇との一体感を身体ごと体験し、記憶に深く刻み込んだのではなかったか。だからこそ、象徴天皇制のもとでも、昭和天皇の戦後巡幸は熱狂をもって迎えられ、元号は平成に変わっても、1999年秋には現天皇の在位十年を祝う「国民祭典」が、2万5000の群衆と日の丸・君が代・万歳の儀礼空間を再現したのではないだろうか。 鉄道というテクノロジーへの注目など、行幸啓の光景のきわめてリアルな把握から、やがて大正期を

  • そして誰もいなくなった京浜急行電鉄黄金町駅高架下の元売春街を歩く - とれいん工房の汽車旅12ヶ月

    3年ぶりに京浜急行電鉄の黄金町駅へ行ってみた。 横浜駅から普通電車で3つ先の黄金町駅。京急の前身の1つである湘南電気鉄道が浦賀・逗子まで開業した1930年、横浜側の仮の起点駅となっていたこともある。その翌年、日ノ出町駅まで開通して横浜駅まで乗り入れを始める。横浜〜黄金町駅間には昭和ヒト桁に敷設された高架橋がそのまま残っていて、往年の面影を偲ばせている。 と、鉄道の話はここまで。 この黄金町。横浜、京浜地区の人たちの間では"別な意味"で有名な場所であった。 実は、黄金町駅から隣の日ノ出町駅にかけて続く高架線の下。この500mほどのエリアは、つい最近まで、売春するスペースを提供する小規模飲店が多数密集していた。いわゆる、「ちょんの間」。昔で言うと「青線」。終戦直後から、ずーっと非合法で売春が行われていたエリアだったのだ。その玄関口が黄金町駅になる。 (以下、今日の内容は18禁。) 黄金町 -

    そして誰もいなくなった京浜急行電鉄黄金町駅高架下の元売春街を歩く - とれいん工房の汽車旅12ヶ月
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