ブックマーク / darjeelingmama.hatenablog.com (28)

  • 夏はこれ。 目をむいてかっこんだ。 - ダージリンママ介護日記

    冷や汁もどき。 冷ご飯と、水・味噌・白だし・ねり胡麻・さば缶・きゅうり・豆腐。 紫蘇・茗荷・七味唐辛子をトッピング。 おいしいに決まってるとは思ったが、想像を越えてきた。 さばの旨味と練りごまの調和。 冷えて固くなったご飯の粒々感。 パリパリ胡瓜が涼風のごとく口の中を吹き抜け、 偉大な味噌がすべてをまとめ上げている。 お店の人にトッピングはひとつだけと言われたら、紫蘇です。 (どこの店じゃ) 今年も、暑い、いや、熱い。 夏なればこその美味しいもの、作りましょう。 そして同年代のお友達と、 「昭和の夏はよかった」と、しつこく語り合いましょう。 昭和の夏@沼津三津浜。 わたし、2歳くらい? 半世紀以上も前です。 手足がちぎりパンやん。 かわいいな。 ランキングに参加しています。よかったらクリックお願いします。

    夏はこれ。 目をむいてかっこんだ。 - ダージリンママ介護日記
    harienikki
    harienikki 2024/07/26
    可愛いです(๑˃̵ᴗ˂̵)私らが小中学生の時は学校にエアコンはなかったはず。暑かったけど、昭和はそれで過ごせていた時代だったのですね。(^。^)
  • 私の昭和⑥ 今日は亡父の誕生日 - ダージリンママ介護日記

    「86年前の今日、私の父が生まれました」 なんだか、違和感のある文章です。 86年前、もちろん私は存在していなくて、父がやっと生まれたわけで、 だから、86年前に私の父が生まれた、というのは、時制が混乱しているような気がします。 母国語ならではの、皮膚感覚でしょうか。 山梨の勝沼。ぶどう狩り。 父はまだ20代。私はやっと2歳、くらいかな。 Qちゃんのシャツだ。 父は8年前に、78歳で亡くなりました。 昨日、今日と梅雨明けの狂暴な日差しで、梅干しを土用干ししてます。 約20年前、初めて漬けた梅干しを実家に持って行ったら、 「ばあさんが梅干しを漬けなくなったら、娘が漬けだした」と父が言いました。 そしたら母が、 「よっちゃん、ありがとね」って、ニコってしました。 母はとっても忙しい人でしたから、漬物まで手が回らなかったんです。 すっごく嬉しかったなあ。 お父さん、お母さん、 今年の梅干しは、横

    私の昭和⑥ 今日は亡父の誕生日 - ダージリンママ介護日記
    harienikki
    harienikki 2024/07/24
    オバQですね。とても懐かしい感じの素敵なお写真ですね。(^。^)
  • 妹と実家 1日目 - ダージリンママ介護日記

    実家に着いたらまず、母の山アジサイに挨拶。 咲き始めていました。 母が死んで1年後にやっとみつけた、両手鋏。 鋭利な刃先と長い持ち手のこの鋏は、思いがけないところに収納してありました。 庭全体に群生した西洋タンポポをバッサバッサと切り倒し、 梅の伸びすぎた太い枝をのこぎりでゆっくり断ち切り、 我が物顔で領土拡張する笹を尻をつきながら抜去。(腰注意!) 今回の滞在でできることはほんの少しだけど、なんだか楽しいぞ。 まだ明るい、夜7時少し前。 濃淡大小、いろいろな雲がぐんぐん流れていく。 これは確かに、嵐の予感。 ゆっくりとお風呂に浸かってから、お夕飯です。 きゅうり・水菜・もやし・アボカド・焼いた鶏モモ肉・無花果。 ドレッシングは、コーン+紫蘇みじん切り+ネギみじん切り+塩+胡椒+鶏ガラスープの素+白ごま+にんにく少し+ゴマ油+レモン汁。 無花果が甘くておいしかった。 慣れない庭仕事で心地

    妹と実家 1日目 - ダージリンママ介護日記
    harienikki
    harienikki 2024/06/22
    姉妹で温泉❗️楽しんできて下さいませ。(๑˃̵ᴗ˂̵)v
  • 私の昭和⑤ わたしには弟と妹がいます - ダージリンママ介護日記

    昭和46年頃かな。 弟とわたし。 伊豆箱根鉄道に沿って広がる田んぼ。 春になると一面にピンクの蓮華が咲きました。 レンゲが田んぼの栄養になっておいしいお米ができる、と母が教えてくれたっけ。 カメラ越しに私たちを見つめる、片頬にえくぼを刻んだ母の横顔が浮かびます。 おなかには、妹がいた頃かな。 数年後。 妹もいます。 シロツメ草の原っぱ。 弟の面差しに妹の息子を見つけました。 母はよく、私たちを近場に連れ出してくれました。 修善寺のサイクルスポーツセンターに行き、長女の私は財布を持たされ、 閉園時間に母が門の外に迎えに来たりしてました。 母の入場料は節約です。 仕事と家族7人のおさんどんの段取りをいつも考えていたことでしょう。 自分が母になって初めて、母の情熱と多忙を知りました。 約40年後の今、 私と弟はかろうじて交流あり。 私と妹は緊密。 弟と妹はほぼ交流なし。 死んだらまた父母に会える

    私の昭和⑤ わたしには弟と妹がいます - ダージリンママ介護日記
    harienikki
    harienikki 2024/06/12
    お洋服の感じが懐かしいです。妹さんが履いていた赤いショートパンツ…同じような服を私も着たかもしれません。記憶は曖昧なのですが…。(๑˃̵ᴗ˂̵)
  • 私の昭和④ 夏みかんと塩むすび - ダージリンママ介護日記

    昭和42年(1967年)8月の或る日。 後列、父と2歳の私。 前列真ん中が父の父、私の祖父。 祖父の両脇は、たしか祖父のいとこの、お孫さん達。 静岡県沼津市の内浦湾にある三津海水浴場。 海水浴といえば三津でした。 駿河湾の中の内浦と言う湾にあり、波も小さく、水もきれいな場所。 一緒に住んでいたこの父方の祖父は、50代で脳卒中を起こし半身に麻痺が残りました。 子供だった私の頭には、 「おじいちゃんは、ノウイッケツで、チュウブウになった」と、刻まれました。 仕事ができなくなった祖父は、家まわりの雑用や、掃除、片付け、ゴミ燃やしなどをいつもセッセとしていました。 口うるさくて、我が強く、世話好きで、噂話が大好きな、働き者。 50代で息子の世話になることになった負い目があったのか。 商才も野心もある息子に、複雑な思いがあったのか。 とにかく、折り合いの悪い親子でした。 祖父の事を母が、 「一言居士

    私の昭和④ 夏みかんと塩むすび - ダージリンママ介護日記
    harienikki
    harienikki 2024/04/25
    私達の子供時代の夏みかんは本当に酸っぱかったですね。セピアのような風合いのお写真に昭和を感じました。(๑˃̵ᴗ˂̵)
  • どぶの匂いを胸いっぱい吸い込んだ いつも心に居てくれる母 - ダージリンママ介護日記

    富士市岩山公園から車で約30分。 母の実家があった今泉町に到着です。 歯を全開して、満面の笑みを浮かべ、がま口を握りしめた割烹着姿の祖母が向こうから小走りに近づいてきます。 「よっちゃん!」と私を呼ぶ声まで聞こえる… すぐ先に、 「ちょうだいおばさん」と呼んでいた駄菓子屋さんがありました。 子どもたちが、 「ちょうだい!」といって、お店に入るからだと思います。 ドキドキするくらい、楽しかったな。 丘の上の中央図書館から見える景色。 やっぱり、製紙工場の煙が見えます。 紙を作るには、たくさんの水が必要で、 ここには、田子の浦あり、富士山の湧き水あり、だから製紙業が発展したんだよ、と祖父が話してくれました。 きれいな緑色の水草が透けて見える、こんな「どぶ」もあります。 このどぶの匂いを胸いっぱい吸い込むと、昔の自分に会えます。 母から禁止されていた炭酸飲料と漫画。 ここに来ると、おばあちゃん

    どぶの匂いを胸いっぱい吸い込んだ いつも心に居てくれる母 - ダージリンママ介護日記
    harienikki
    harienikki 2024/03/15
    懐かしい風景が残っているのは羨ましいです。私の場合は再開発で跡形もなく見事に失われました。お写真のお母様がとてもお綺麗ですね😍
  • 私の昭和② おばあちゃんと甘酒 - ダージリンママ介護日記

    朝、甘酒で暖をとります。 年に一度だけ入荷するこの酒粕を買ってきて、お湯でふやかしトロリとなるまでかき回してぐつぐつ言わせ、アルコールを飛ばします。 生姜の絞り汁と蜂蜜たっぷりを加え、容器に入れておきます。 豆乳やアーモンドミルク、時にはお湯だけで薄めて、熱々をいただきます。 甘酒で思い出す、父方の祖母のこと。 これは、弟が生まれた時の産院での写真。 55年前です。 左の濃い色の羽織を着た人が、亡き祖母です。 後ろにいるのは、たしか近所のおばちゃん。 一緒に来てくれたんですね。 看護師さんが抱いているのは、生まれたばかりの弟。 祖母の前でふてくされているのが、私です。 母が撮影したのかな。 大好きだった、ケロヨンのシャツと赤いひだスカート。 スカートの下にはズボンをはいています。 この日の記憶はなぜか鮮明です。 母が入院していてさみしくて不機嫌だった私は、ズボンとスカート両方はいていくと言

    私の昭和② おばあちゃんと甘酒 - ダージリンママ介護日記
    harienikki
    harienikki 2024/03/11
    私も子供時代は高度成長期。光化学スモッグがすごかったですね。お写真を拝見して懐かしい昭和の空気が蘇るような気がしました。(๑˃̵ᴗ˂̵)
  • オールタイムマイベスト映画④「恋に落ちて」 - ダージリンママ介護日記

    先週末、伊豆の実家に行ってきました。 いつもは東名高速でビューンと帰るのですが、 今回は横浜駅近くで用を済ませてからの帰省です。 第三京浜から東名にのるつもりが、途中で気が変わって、246で二宮あたりまで行き、 小田原厚木道路から箱根を越えて、4時間以上かけて帰ってきました。 7年前に父を、2年前に母を亡くして以来、 ひとり実家に向かう時の気持ちは、少しずつ変化しています。 毎回、両親のいろんな事を思い出しながら運転します。 彼らの死を咀嚼して少しずつ飲み込む。 泣いたり笑ったりの双極ドライブです。 毎回、好きな映画をかけてます。 今回は、「恋に落ちて」。 ロバート・デニーロとメリル・ストリープ。 まちがいない組み合わせ。 1984年のアメリカ映画。 純粋な、不倫の恋です。 ニューヨークのグランドセントラル駅の冒頭シーンは、アンジャッシュのコントみたい。 伏線もたくさん仕掛けられています。

    オールタイムマイベスト映画④「恋に落ちて」 - ダージリンママ介護日記
    harienikki
    harienikki 2023/10/15
    『恋に落ちて』は未見です。拝読して観たくなりました。メリル・ストリープというと、テーマは辛いし観ているのもキツいんだけど『ソフィーの選択』が印象的でした。
  • さようなら 私の脳動脈瘤 - ダージリンママ介護日記

    脳動脈瘤の血管内治療手術を受けました。 手術中はほぼ全裸です。 用意されていたのは、前開きの薄い服、おむつ、血栓予防下。 初めての全身麻酔。 酸素マスクがあてられ、名前を呼ばれ、 はい、と答え、次の記憶はもう手術後でした。 のぞき込んだ医師の顔が微笑んでいて、 自分の体が自分の物である感覚がしっかりありました。 ああよかった、だいじょぶだった。 夫が来ていて、ICUに持っていく荷物について話したような気がしますが、 あとで確認したら私の記憶はかなりあやふやでした。 ICUにストレッチャーで運ばれます。 わりにスピード出てました。 映画「カリートの道」の冒頭場面を思い出していました。 撃たれたアルパチーノが病院に運ばれるんですよね。 全身麻酔ってすごい。 有吉佐和子さんの「華岡青洲の」。 20代のころの読んだ気がしますが、覚えていません。 また読み返してみようと思います。 江戸時代に世界

    さようなら 私の脳動脈瘤 - ダージリンママ介護日記
    harienikki
    harienikki 2023/06/03
    順調で何よりです。ホッとしました❗️(^O^)
  • 明日は手術。 - ダージリンママ介護日記

    脳動脈瘤の手術は明日。 前日から入院して、採血(血液サラサラ薬の効果確認)、心臓エコー検査があり、手首の動脈に印が打たれます。 ここに針を入れ、手術中の血圧を監視。 そして動脈血の採取がすぐにできるように、だそうです。 普通の点滴もはじまりました。 前日のお夕飯です。 茹でたか、蒸したかした、鮭。 卵豆腐って久しぶりにべたなあ。 ゆっくりいただきました。 術後はICUに一泊の予定。これは持ち込み品。 なるべく少なくと言われ、他の荷物はスーツケースにまとめました。 術前まで飲んでいた内服薬・歯ブラシ・歯磨き粉・メガネ・コップ・ティッシュです。 読みやすそうなを持ってきました。 すぐに手術の事を考えてしまって、10ページくらいしか進みませんでした。 眠れるかなあ。 ランキングに参加しています。よかったらクリックお願いします。

    明日は手術。 - ダージリンママ介護日記
    harienikki
    harienikki 2023/06/02
    前日から入院していると、どうしてもあれこれ考えてしまいますね。不安だと思います。ゆっくり睡眠が取れますように。気休めのような事しか言えませんが、きっと大丈夫、成功すると信じています。(๑˃̵ᴗ˂̵)
  • 入院前のやっつけ料理 - ダージリンママ介護日記

    脳動脈瘤の手術の日が決まりました。 前日、野菜を使い切ります。 ひとつ鍋にギュムギュム押し込む。 下から、鶏むね肉・にんにくぶつ切り・新玉ねぎ・肉厚ピーマン・完熟不揃いトマト。 こんなに積み上げて、どうなるんだ。 点火。 少し沈んできたので、塩。 蓋を上からギュー。 2時間後。深鍋に移しました。 水は入れません。 6杯、いただきました。 さあ、まな板の上の鯉に変身いたします! ランキングに参加しています。よかったらクリックお願いします。

    入院前のやっつけ料理 - ダージリンママ介護日記
    harienikki
    harienikki 2023/06/01
    野菜の色が綺麗な事❗️(๑˃̵ᴗ˂̵)無水の野菜スープがとても美味しそうです。
  • 入院の夜 ひとりの夜 - ダージリンママ介護日記

    私の脳動脈瘤をより詳しく評価するために、脳血管造影検査を受け、安全のために1泊入院しました。 ひとりの時間。 好きなだけボーっとして、誰のご飯の心配もしなくていい。 真夜中。 寝ているベッドからドアの方をみると、廊下の明かりが漏れています。 ピーロン、ピーロン、という音は、なんでしょう。 笑い声が聞こえます。 夜中になに笑ってんだろ。 「ここは病院なので…」という、看護師さんのささやき。 認知の低下した患者さんの車いすを押しながら、かな。 控えめな、でも大きなしわぶきも聞こえます。 少し開いてるドアから、いろいろな気配が流れ込んできます。 ちょうどいい喧噪です。 この約8年、病院と縁が切れることはありませんでした。 夫が道がんになり、 父が胆管がんになり、 母が悪性リンパ腫になり、 母の介護を4年間。 夫は今は元気です。 父と母は亡くなりました。 次は妹か、と思ったら、私でした。 妹はめ

    入院の夜 ひとりの夜 - ダージリンママ介護日記
    harienikki
    harienikki 2023/05/25
    きっと手術もうまくいく。そう祈ってます。
  • 1/1の朝 - ダージリンママ介護日記

    1月1日の朝、両親にお茶を入れました。 父がいなくなって7年。 母がいなくなって1年。 ちょっと若めのふたりの写真。 母が亡くなる数時間前、娘が、 「じいじ来た?じいじくるよ」と優しく母にいいました。 医者である彼女だからもうすぐのサヨナラを覚悟したのか、 あんなに会いたがっていたじいじに会ってほしいと願ったのか。 あの世の存在を信じているわけではないけれど、 娘の言葉に導かれて、母は無事父に会ったんじゃないかしら。 母が元気だった頃のこと。 父とふたり、伊豆の家に暮らしていて、訪ねてきた私と、 いつものようにお茶を飲みながら、 ワタミの宅配をつまみながら、 とりとめのないおしゃべりをしていたら、 母が言いました。 「世の中に何が起きても、私とおとうさんはここでおんなじようにしている気がする」 庭の手入れに余念のない父の後ろ姿をみながら、 私はなんと答えたのか、覚えていません。 でも、ほん

    1/1の朝 - ダージリンママ介護日記
    harienikki
    harienikki 2023/01/06
    本年も宜しくお願い致します。娘様のエピソードに心打たれました。きっとご両親は再会して旅立たれたと思います。
  • 死の扉 - ダージリンママ介護日記

    母が亡くなってもうすぐ1年。 友達が、 「時間薬っていうけどどう?少し落ち着いた?」 と、母の事を聞いてくれました。 「そうなのよ。最初のうちはお母さん楽になったんだな、ってほっとするような気持があったのね。最近は、いない実感が積み重なってくるのかな、前よりきついような気がする」 「でもね、いつか死の扉を閉じるときがくるよ。受け入れるってこと。私も父が亡くなってから毎日父のこと考えるし、泣きたくなるし、泣く時もあるけど、いつのまにか受け入れられた気がする」 「お父さん亡くなってどれくらい?」 「33年。今年最後の法事」 なが! 7年前に亡くなった私の父は、 「俺は死んだら石になる」 と言っていて、 「葬式はなし。墓もなし。お母さんを囲んで皆でおいしいものをべてください」 というメモを残した人です。 生前、元気な頃に墓じまいもしてくれました。 石になる、というのは、死んだら終わりその後はな

    死の扉 - ダージリンママ介護日記
    harienikki
    harienikki 2022/12/16
    綺麗なオレンジ色ですね。素敵なお母様ですね。
  • 悲しくても幸せなことがある。 - ダージリンママ介護日記

    折にふれて、 たらこ・お酒・パスタ・ガソリン、と買い物リストをつぶやきながら運転する時や、 消したと思っていたエアコンがついたままになっていた部屋に入ったときの後ろめたい爽快感に息をつく時や、 そういえば、昨日、電車の中で私のたるみ始めた目の下のまつげを3年ぶりに会った妹に取ってもらっていた時にも、 前触れなく、唐突に思い出すシーンがあります。 母が元気だったころ、ときどき小田原で会って事したり、 お気に入りのリサイクルショップをのぞいたりしたものです。 小田原は、母と私の中間地点。 母は新幹線。私は小田急線。 あれはたしか、父が亡くなってから初めての小田原デートの時です。 いつものように過ごして、夕方、さようならの時。 「じゃね、帰ったら電話するね!」とお互い言い合い、 別れて歩き出してすぐに、私が振り返ると母も振り返っていて、弾けるような笑顔で、 ほぼ垂直に腕をあげて、大きく振ってる

    悲しくても幸せなことがある。 - ダージリンママ介護日記
    harienikki
    harienikki 2022/08/27
    思い出のシーンが胸に沁みました。
  • うちはコロナにやられてます。 - ダージリンママ介護日記

    先月、アメリカのオレゴン在の友人に、 「そっちはコロナどうなん?」と聞いてみたら、 「感染者は増えているみたいだけど、人々の意識が、コロナは過去の事、重病化したら仕方ないという方向に進んでいる感じ。自己責任ってことかな。」 との返事。 そうかそうか、そうだよね。 これからはコロナと共に、だよね。 あんまり重症化しないみたいだし。 って私、のんきにしてました。 母と一卵性親子のようだった妹は海外住みで、母の最期は携帯の画面越しでした。 遠隔で私の介護を支えてくれた彼女が、この夏やっとお骨になった母に会いにやってくるのです。 妹の出発の3,4日前から、妹の夫がのどの痛みを訴え、盛大に咳をしまくり、 「せめてマスクしてくれ」と言ってみましたが、 モラハラのモラ夫ですから、 「そっちがマスクをすればいい、もうどうせうつってる!」とのたまいました。 その結果モラオの面目躍如、妹は出国前のPCR検査で

    うちはコロナにやられてます。 - ダージリンママ介護日記
    harienikki
    harienikki 2022/08/25
    妹様のトンボ帰りが気の毒ですね。姉妹でゆっくり話をしたかったと思います。3週間の日本滞在の中に祖父母の家で過ごした日もあり、甥っ子様にとっても印象深く楽しい夏休みになった事でしょう。(^。^)
  • 夫のいいところ - ダージリンママ介護日記

    昨日も泳ぎました。 15分550m。 五十肩から解放されつつありますが、痛くない左手の可動域を100とすると、 右手は70くらいです。 クロールの時、左手は優雅に弧を描く(思い込み?)のですが、 右手はパタンとすぐに水中に没します。 そこまでしか上がらないのです。 平泳ぎもしかり。 左手はアメンボみたいに水面近くを大きく回せるのに、 右手は約20㎝下方をヒュイっと掻くだけ。 それでも泳いだ後は爽快です。 お夕飯は、夫といつものとんかつ屋さんで待ち合わせ。 手前の私はコロッケ定。 夫は生姜焼き定ダイエットはおあずけなり。 「平泳ぎの時さ、ほら、こうして腕を回すとちゃんと両手同じ高さに伸ばせるのに、 プールんなかだと、右手が沈んじゃうんだよ!おかしくない?」 と、とんかつ屋さんの座敷で膝立ちになって平泳ぐ私。 そんな私をちらりと見た夫が言いました。 「それは、体に対して90度だろ。 泳

    夫のいいところ - ダージリンママ介護日記
    harienikki
    harienikki 2022/04/17
    素敵なご夫婦ですね。私もいづれは親の介護で夫とは別居生活をする予定です。どのような流れでお互い暮らしていくか、最近話あっています。参考になりました。
  • 異人たちとの夏 からの 母との再会 - ダージリンママ介護日記

    山田太一さんの小説、異人たちとの夏。 1987年に発表されて、文庫になったのが1991年ですから、 20代で読んだ覚えがあります。 子と別れ、孤独な日々を送る40代の脚家の男性が主人公。 幼い頃に死別した両親とそっくりな夫婦に出会います。 ジャンルは、ホラーか、SFなんだと思いますが、 田辺聖子さんが、「これは親恋いの小説」と解説しています。 30年以上前に読んだこの小説を再読しました。 主人公は、浅草の寄席で、12歳の時に死別した父親とそっくりの男に出会い、その男の家についていきます。 そこには、父親と同時に自動車事故で亡くなった母にそっくりの女性がいました。 異界の二人との交流で主人公は衰弱していきますが、最後は両親(だったとしか思えない)の愛によって、生に引き戻されます。 3人ですき焼きをべに行き、「お前を自慢に思っているよ」と言いながら、両親は消えていきます。つらいけど、幸せ

    異人たちとの夏 からの 母との再会 - ダージリンママ介護日記
    harienikki
    harienikki 2022/03/14
    こんな再会があるなんて、偶然でしょうか?会いたいと思う気持ちが通じたのでしょうか?最後のお写真を拝見して、私まで目頭が熱くなりました。(^。^)
  • 母の教え③包丁を研ぐ - ダージリンママ介護日記

    うちには砥石が2つあります。 旋盤工の息子である夫が買ってきた大きなものと、母がくれた細長い砥石。 いつぞや実家に帰ったときに、 お母さんの包丁はよく切れるねえ、と言ったら、 時々研いでるからね、と。 料理の前にチャチャっと研いでるよね。 うん、でもそれじゃ足りないから、時々ちゃんと研ぐのよ。 「心が静かな時に研ぐの」 その時は聞き流したんですねえ。 あとから何かの拍子に思い出したんです。 ジジババもいる、わがままな夫もいる、子供は3人、自営業、という家庭を 自らもフルタイム以上に仕事をしながら運営する全方向にバリキャリの人でした。 その母が心静かな時を選んで包丁を研いでいた。 向田邦子さんのエッセイに包丁を研ぐ話がありました。 すこうし角度をつけるのが難しい。 10円玉が入るくらい、って書いてありました。 昨夜、ゆっくり包丁を研ぎました。 皆が寝静まった深夜、ひとり包丁を研ぐ母の形相を思

    母の教え③包丁を研ぐ - ダージリンママ介護日記
    harienikki
    harienikki 2022/03/03
    私もその向田邦子さんにエッセイを読んだ記憶があります。どの本だったかしら?母が向田さんのエッセイが好きだったのです。心静かな時に研いでいらした、そのお母様の凛としたお姿を想像しております。(^。^)
  • 母の教え②パンツは大きめ - ダージリンママ介護日記

    私は、164センチ58キロ。56歳。 (30歳のころは、54キロでした。あーあ。) 油断するとすぐ、60キロになります。 何が言いたいかって、「特に太ってはいない」ということです。 あと3キロ痩せたいと言い続けて早10年たちますが。 最近の私です。 スーパーのエレベーターで、材の入った段ボールを腰で支えて撮影。 バッグ、開けっ放しですやん。 下着を含め、Mサイズ、時々Lサイズです。 でも、パンツは3Lです! 優しく包み込んでくれて、心強いフィット感があり、 決して鼠径部などを締め付けることはなく、つい前後逆に着けたとしても違和感なく、何もかも尻も腹も、すべてゆだねて安全、そんなパンツ。 もっぱら、しまむらで買ってます。 2枚で税込み759円です。 股上ふかめ。くいこみにくい。 パワーワードですやん。 通販のフェリシモで、パンツを買ったことがあります。 からだにおいしい サラダみたいなふわ

    母の教え②パンツは大きめ - ダージリンママ介護日記
    harienikki
    harienikki 2022/02/27
    私もパンツはおへそが隠れないと落ち着きません。(^.^)