この手の事故や災害、犯罪での死者は、その人が性質的に善であるかどうかに関わらず命を落とした勘定になる、もちろん善も悪も人間が人間同士生きていくうえでの決め事として作り上げた仕組みに過ぎないから、善人であるから事故に遭わず息災で長生きし、悪人であるから天罰が下って悔い多き死に至るとは限らない。 自然法派である私としては、そもそも人間の叡智など限りがあり、特定の人間が個として如何に聡明で善良であったとしても、自然の営みすべてを予測し食い止めることなどできない。自然に限らず、人間対人間、社会対社会であっても、思い違いも不慮の事故も起きうる。 そればかりか、いまここに私があって、回線の向こうに貴兄貴女がいる理由も分からぬ。生きている理由もなければ、死ぬ理由さえないのかも知れぬ。ただ、誰かは誰かと関係を持って、それが有機物を人間たらしめているのであれば、その人が私のそばにいる意味もその理由も分かって