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書評に関するharuharu36のブックマーク (16)

  • 「マックス・ウェーバーの日本」書評 ドイツ以上になぜ読まれたのか|好書好日

    マックス・ウェーバーの日 受容史の研究1905−1995 著者:ヴォルフガング・シュヴェントカー 出版社:みすず書房 ジャンル:社会・時事・政治・行政 マックス・ウェーバーの日 [著]ヴォルフガング・シュヴェントカー 書は、日のウェーバー研究の内容を、大正時代から現在にいたるまで詳細に検討するものである。実は、ウェーバーは日で、ドイツで以上によく読まれてきた。にもかかわらず、日人のウェーバー研究はドイツでほとんど知られていなかった。したがって、書がドイツの読者にとって役立つことは当然であるが、日人にとっても、いろいろと考えさせる事柄を含んでいる。 日は、非西洋圏で唯一、近代資主義国家となった。その理由を問うために、日人は特に、ウェーバーの理論を必要としたといえる。しかし、ウェーバーが広く読まれるようになったのは、1930年代、天皇制ファシズムが席巻し、マルクス主義運動

    「マックス・ウェーバーの日本」書評 ドイツ以上になぜ読まれたのか|好書好日
    haruharu36
    haruharu36 2014/08/27
    日本におけるマックス・ウェーバーの受容史。「ウェーバーは日本で、ドイツで以上によく読まれてきた。にもかかわらず、日本人のウェーバー研究はドイツでほとんど知られていなかった。」
  • https://yasuist.info/archives/1544

    haruharu36
    haruharu36 2014/08/14
    講談社選書メチエ。
  • 【書評】三島憲一「ニーチェ 力の意志のモルフォロギー」『現代思想の源流』(講談社)

    [ニーチェ] ブログ村キーワード 講談社の「現代思想の冒険者たち」シリーズの第0巻にあたる『現代思想の源流』は4部構成になっており、それぞれ19世紀後半から20世紀初頭の哲学者を取り上げ、各部で別の著者による解説などが加えられている。 各著者によってトーンが異なり、各哲学者の思想の解説に力点をおいている著者から、それを所与の前提として発展的な議論を展開している著者まで幅広い。 ここでは第2部のニーチェに関する章について、率直な感想を書いておく。 現代思想の源流 (現代思想の冒険者たちSelect)posted with amazlet at 14.04.22今村 仁司 三島 憲一 鷲田 清一 野家 啓一 矢代 梓 講談社 売り上げランキング: 213,005 Amazon.co.jpで詳細を見る 第2部「ニーチェ 力の意志のモルフォロギー」は三島憲一が担当している。アマゾンのレビューなどで

    【書評】三島憲一「ニーチェ 力の意志のモルフォロギー」『現代思想の源流』(講談社)
    haruharu36
    haruharu36 2014/07/25
    現代思想の冒険者たちシリーズ
  • https://yasuist.info/archives/1738

  • 『ゲーム理論と共に生きて』鈴木光男(ミネルヴァ書房) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋ウェブストアで購入 「ゲーム理論にかけた人生ゲーム理論はいまや経済学に限らず他の社会科学や自然科学でも広く使われるようになっているが、書(『ゲーム理論と共に生きて』ミネルヴァ書房、2013年)の著者(鈴木光男・東京工業大学名誉教授、1928年生まれ)が若い頃はそうではなかった。鈴木氏の人生はひとえにゲーム理論の発展と普及に捧げられたといってもよいが、ミネルヴァ書房の「自伝」シリーズの一冊として著されただけに、単に分析手法の解説に終始するのではなく、鈴木氏の人生とのかかわりがどのようなものであったかに重点が置かれた興味深いである。 私の学生時代は、鈴木氏の初期の著作『ゲーム理論』(勁草書房、1959年)がまだ版を重ねていたが、いま思い出しても、学問的水準を落とすことなくゲーム理論がどのようなものなのかを丁寧に解説した名著であったと思う。ゲーム理論の先駆的な業績は、例えば、1

    『ゲーム理論と共に生きて』鈴木光男(ミネルヴァ書房) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
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    haruharu36 2013/04/18
    根井雅弘先生が書評空間で書評していたとは知らなかった。
  • 自己紹介 (人間学ブログ NINGENGAKU Blog)

    宮 﨑 裕 助 (みやざき ゆうすけ) 専門は、ヨーロッパの現代哲学・思想です。20世紀フランスの哲学者ジャック・デリダの思想(とくにその言語哲学・政治哲学)と、18世紀末ドイツの哲学者イマヌエル・カントの美学を中心に研究をしてきました。 現在の主な研究関心 拙著『判断と崇高』では、『判断力批判』の崇高論を焦点としながら、カント美学における反省的判断力の現代的な意義とその政治的な射程を探究しました。現在さらにこのプロジェクトを拡張し、「崇高なもの」一般の系譜学を辿り直すことを通じて、「美的=感性的(エステティック)なもの」の歴史のなかで作動してきた「情動のポリティクス」の問題系をいっそう広範に洗い出す研究に着手しています。 それと並行して、デリダ研究を進めており、90年代以降にデリダが提唱していた「来たるべきデモクラシー」の検討を通じ、現代民主主義論の新たな方向性を明確にできないかを

    haruharu36
    haruharu36 2013/02/06
    デリダやカントを専門としているらしい研究者の宮﨑裕助氏の著作、翻訳、書評等のリスト。専門誌掲載の書評がPDFで読めるようになってるのが嬉しい。
  • 『罪と監獄のロンドン』スティーブ ジョーンズ

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    haruharu36 2013/02/03
    ヴィクトリア朝ロンドンの参考資料。
  • 『茶の世界史 緑茶の文化と紅茶の社会』角山栄

    [茶] ブログ村キーワード 角山栄『茶の世界史 緑茶の文化と紅茶の社会』(中公新書)を読了。 茶の世界史―緑茶の文化と紅茶の社会 (中公新書 (596)) 今から30年以上前に茶を社会史の主題として取り上げた先見性といい、 茶という商品をめぐって展開する世界史のダイナミズムを感じさせる叙述といい、 中公新書を代表する名著だと言っても過言ではない。 ヨーロッパがどのように茶と出会いそれを愛飲するようになったのかという単純な疑問が、 これほど大規模な影響関係を解き明かすことになるとは思わなかった。 これぞ社会史研究の面目躍如という感じだ。 また、開国後の日茶の輸出を巡る歴史を描いた後半部分も、 当時日が置かれた状況をイメージするのにとても役に立つ。 開国当初から日茶が重要な輸出品目として考えられていたことや、 紅茶との競合による苦境、アメリカ・カナダでのシェア確立と崩壊など、 知らなかっ

    『茶の世界史 緑茶の文化と紅茶の社会』角山栄
  • Daily Life:内井先生からのコメントと伊勢田のリプライ

    September 19, 2009 内井先生からのコメントと伊勢田のリプライ 先日のメモに対して内井先生からお返事をいただきました(ありがとうございます)。許可をいただいたので、私信部分をのぞいて転載するとともに、わたしからのお返事をそのあとに書きます。 『単なる「多様性増加」ではなく「分岐」の原理である以上、ここまでふくめて「分岐の原理」のような気もするし、内井先生のイラストレーションも実質はそうなっているわけであるが、他方ダーウィン自身の定式化には中間的な変種の絶滅は含まれていない。 あと、現代のフィンチの研究の例がダーウィンの分岐の原理の実例だというのは疑問がある。内井先生の分析では、分岐の原理の大前提はある種が生息可能な上限を超えて増えようとしている、という状況設定だったはずだが、フィンチの例は単にそれぞれの環境にあわせて自然選択が働いた例ではないか(だったらウォレス流の形質分岐

  • Daily Life:ダーウィンの思想

    September 17, 2009 ダーウィンの思想 学期がはじまって大変な事になる前にということで読み進める。 ダーウィンの思想―人間と動物のあいだ (岩波新書) 著者:内井 惣七 販売元:岩波書店 発売日:2009-08 おすすめ度: クチコミを見る 第三章までは「ダーウィンのデモン」という視点が出ている以外は、スタンダードな解説だが、第四章でダーウィンの分岐の原理の概念の分析という内井先生のオリジナルな研究が展開されはじめる。 ダーウィンとウォレスの「分岐」の違いというのはわたしがM1のときに先生が講義でされてた話で、そのときに論文にもなっているが、一般向け書籍に書かれるのははじめてではないか?「種の起原」を読んでも「種の大著」を読んでも何を言っているのかよくわからない箇所が大変あざやかに解説されていて、書の読みどころの一つ。 ここの箇所で疑問点があったのでメモ。 分岐の原理と中

  • Daily Life:講義最終回

  • Daily Life:科学と実在論

    January 28, 2010 科学と実在論 科学と実在論―超越論的実在論と経験主義批判 (叢書・ウニベルシタス) 著者:ロイ バスカー 販売元:法政大学出版局 発売日:2009-11 クチコミを見る 書評をたのまれた関係で読んでいる。来の領域である科学的実在論論争の中でほとんど言及されることがないのに、その外ではこれを古典として崇めているグループがある、という奇妙な。 よほどとんでもないなのかと思って読み始めたが、自然主義の定着した今から見るとむしろ穏当な主張が多い。経験と独立に法則というものがあり、世界はわれわれと独立な階層構造をなしていて、われわれは背景知識という社会的な資を使いながらそれを読み解いていく。実在論の論拠は科学が可能だということそれ自体である。など。 いろいろつっこめるところはあるけれども、とりたてて無視されるようなでもない。開かれた系としての世界と閉じた系

  • 岡本裕一朗『ヘーゲルと現代思想の臨界―ポストモダンのフクロウたち』 - Repeat The Ending

    ヘーゲルと現代思想の臨界―ポストモダンのフクロウたち 作者: 岡裕一朗出版社/メーカー: ナカニシヤ出版発売日: 2009/03メディア: 単行購入: 2人 クリック: 42回この商品を含むブログ (4件) を見るヘーゲルの著作の誤読あるいは独自解釈に基づくヘーゲル神話という観点からいわゆる現代思想を解きほぐしていきませう、というのが書のアウトラインで或る。 大陸哲学といってもいろいろあるけどこの著者さんはヘーゲルの議論を仔細に検討することを通じてヘーゲルに影響を受けた現代思想を整理してる。でもこの著者は現代思想を無下に叩いているわけじゃなく、ここはさすがに「哲学は誤読上等」とかで看過するのはどうなの、と言わざるをえないような所を繊細に指摘しているというかんじ。 たとえば「主奴論」。これは1930年代にコジェーヴがヘーゲルの『精神現象学』を「歴史全体を主人と奴隷の闘争の歴史としてみる

    岡本裕一朗『ヘーゲルと現代思想の臨界―ポストモダンのフクロウたち』 - Repeat The Ending
    haruharu36
    haruharu36 2012/05/10
    このエントリー読んだら、読んでみたくなった。
  • クリストファー・チャーニアク『最小合理性』 - Repeat The Ending

    あと1回かそこらでちょっとブログ休みます。ぼくもねえ、トンボつかまえたりドッヂボールしたりして遊びたいわけですよ。 ・ ・ ・ 「人間は不合理」とかフツーに暮らしてたら当たり前だろJKといいたくなるハナシではあるが、この合理性というコトバはちょっと注意が必要だ。 社会主義に対して合理性が批判されてる時は、一人または数人が社会全体について最適な選択をすることは無茶だって言ってんだろうし、市場主義に対して合理性が批判されてるんだったら、個人が効用を最大にするために最適な選択をするのは無茶だといって経済人モデルとかいわれてるアレが叩かれてるのだろう*1。他にも生物学・進化学系の人が合理性という時は、生物の個体や種のための最適な選択をとることという意味合いも考えられる。 気をつけたいのは注釈無しの「人はそんなに合理的じゃない」という一文が社会主義批判の理由にも市場主義批判の理由にもなり得るし、「社

    クリストファー・チャーニアク『最小合理性』 - Repeat The Ending
  • 飯田隆「展望 言語論的転回の世紀の後で」(下): 分析哲学書評

    第三に、ウィトゲンシュタインをどうしたいのかという疑問が残る。私から見て、飯田の世代の日人哲学者たちがウィトゲンシュタインに対して示す畏敬の念は十分には実感しにくいものである。 以下はあくまで私見だが、一般の読者のために説明すると、日人の分析哲学者はおおよそ3世代に分けることができると思う。関東圏では、第一世代は戦後の日で分析哲学を築いた、石黒ひで(元慶大)、大森荘蔵(元東大駒場)、黒田亘(元東大郷)といった人たちである。第二世代はその弟子にあたり、現在の哲学界の主力部隊である、飯田隆(慶大)、丹治信春(日大)、野矢茂樹(東大駒場)など。さらにその人たちに学んだ若手の第三世代には、柏端達也(千葉大)、金杉武司(高千穂大)、松阪陽一(首都大)等がいる。私もこの中では第三世代に属する。(なお、ここにあげた人々は私がたまたま思い出しただけであり、あげなかった方々と何か比較したわけではない

  • ssview.net

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    haruharu36
    haruharu36 2011/03/16
    SSや二次創作小説、ウェブコミなどのおすすめを紹介しています。
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