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サイゴンでは高級将校たちのための日本料理亭まで開業させていた」 出典 戸田邦雄「外交官の耳,作曲家の眼」(「外交官の耳,作曲家の眼」刊行会,2009.7) 畳と女将を軍用機で運ぶ我らが日本軍,素晴らしい精神の腐敗ではなかろうか
戦時中,国立公衆衛生院の石川知福は,労働者にヒロポンを与えた時の労働能力を研究した日本の第一人者である 石川レポートは貴重な調査データだが,ふと思う 実験サンプルになった患者はどうなった? 実はよくわかっていないのだった 怖いですねえ
NHKから日本を守る党が足立区議会選に26歳司法書士の女性を立てた 居住実態がないと選管が指摘したが、カプセルホテル暮らしということで乗り切った 選挙公報には足立区のことは何も書かない 見栄えがいいポスターだが、いくら得票するかな
bioに祖父が海軍大臣という自称高校生なるアカウントを見つけた 海軍大臣がいたのは1940年代までだ その頃の閣僚の孫となると、六十代の安倍総理が浮かぶ この自称高校生、孫の世代に混じって通学しているのだろうか 彼の学生服姿を想像して吹いた
有職故実とプロトコールを学べばわかるが、マナー講師はものを知らない 平成天皇と書いてはいけない、と書いた君たちだ 帝に言及する場合、一マス開けるマナーを知らないのだから 例文 畏れ多くも 天皇陛下は これは戦前の新聞や公文書で確認できる
#あの日の大本営シリーズ 1944年3月,老人ホーム浴風園(東京都杉並区高井戸西1-12-1)に対して,陸軍中央特種情報部が明渡要求 日本女子大学一番ヶ瀬康子教授 「東京都に浴風園という,恩賜財団でできた有名な老人ホームがあります… https://t.co/1uf55eoCYM
よくある話 1945年3月9日,警視総監坂信弥は朝から東京に吹く強風に懸念を抱いた. 「私は不吉な予感がして河合警備隊長と青木消防部長を呼んだ.サイパンもすでに失陥していたころである.私は二人を午前と午後,防空司令部にさしむけて私… https://t.co/EQV9w5ZQAJ
監獄の話① 1940年10月に東亜研究所嘱託となった大山梓の回想 「東研の調書や雑誌は巣鴨刑務所で印刷した.思想犯の多かった時代,独逸語のスペルを訂正してくれた.校正に赤インクで「ダンケシェーン」と書いた職員がいた」 名もなきインテリ校正者,誰だったのだろうか
戦時中、京大の数学者園正造が「米の最適給付の決定」という問題を文部省の交付金で手掛けた 現実的な数字を算出する前に戦争は終わった 園は幸運であった 同じことを大学医学部の学生時代に手掛けた青年は、海軍将校になった後で警察が危険人… https://t.co/fRQEJiSMDe
@uchidahiroki @dankanemitsu 浅野部隊は、関東軍情報部の白系ロシア人部隊です 独ソ戦争以前から、関東軍は朝鮮人や白系や満人をソ連領内に潜入させ、情報収集や破壊工作をしていました 悲しいかな、浅野部隊はソ連… https://t.co/nQxMgd0kMO
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