今から69年前の3月10日。 東京下町は焼き払われました。 たったひと晩で約8万から10万人の非戦闘員が殺されましたが、数字が明確でないのは、戸籍を役場ごと消失したり、死体すら見つからなかったケースか多かったからです。 この夜、私の大叔母が死んでいます。家は全焼し、大叔母の骨すら見つかりませんでした。骨壺には自宅があった辺りの石が入っているそうです。 大空襲は、まさしくジェノサイドと呼ぶにふさわしい計画的的、かつ冷血なものでした。 その夜、米軍は非戦闘員の居住する人口密集地帯の風上に焼夷弾を投下し、そして時間をおいて人々が逃げる方向の風下を焼夷弾で遮断しました。 そして逃げ場を封じた上で、焼夷弾の業火で包囲し10万人余を生きながらにして焼き殺したのです。 このような所業を単純な軍事作戦と呼ぶのは当たらないでしょう。目標は民間人大量虐殺であるからです。 言い逃れようもなくこれは戦争犯罪です。
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