ブックマーク / garage-sale.hatenablog.com (4)

  • 合法性が正当性を虐殺するとき 永野潤 - garage-sale

    法と公共性 愛知万博開幕の2ヶ月前の2005年1月、名古屋市中区の白川公園で、名古屋市による野宿生活者のテントの強制撤去が行われた。あるスポーツ新聞は、それを次のように伝えた。 愛知万博控え名古屋市、ホームレス “青い小屋” 強制撤去 公園をわがもの顔で不法占拠するホームレスの “青い小屋” 。愛知万博開幕を2ヶ月後に控えた名古屋市は24日、市中心部の公園で施設移住を拒否する5棟を撤去するため行政代執行に踏み切った。ピーク時には約250棟がひしめき真っ青だった公園もこれですっきり。ブルーシートの中は床を張り、発電機でテレビも楽しみ、暖かい布団…こんな不法占拠は東京や大阪などで今も続く。〔写真:撤去を代執行するため不法占拠の小屋わきでホームレスを説得する市職員ら=24日朝、名古屋市中区〕 (……)作業冒頭で市側は、ハンドマイクで「行政代執行法に基づいて撤去します」と呼びかけたが、ホームレス

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    haruhiwai18 2018/02/14
    "人間を無力化するシステムとしての暴力である。またそれは、人間を「孤立化」し「分離」するシステムそのものとしての「暴力」""この「平和」は、いわば暴力としての平和なのである" →構造的に暴力(こなみ
  • モダニズムの擁護(アドルノ) 田辺秋守 - garage-sale

    モダニズムを理論的にもっとも精妙に擁護したのは、T・W・アドルノ(1903-69)であろう。アドルノの遺作となった『美学理論』(1970)〔邦訳『美の理論』〕は、ボードレール以降の歴史的なモダニズム芸術を範にとる、モダニズム美学の批判的集大成となっている。ドイツ語ではモダニズムという芸術上の潮流を、それよりもやや広義な概念である「モデルネ」(Moderne)という語で表現するのが普通である。後にハーバーマスのところで見るように、モデルネは「美的モデルネ」や「文化的モデルネ」ばかりでなく、「社会的モデルネ」、すなわち社会の近代化論にまで拡大することのできる概念である。 a 〈新しさ〉のカテゴリー アドルノがモデルネの芸術(モダニズム)に特徴的なカテゴリーとして考えるのは、〈新しさ〉(das Neue)である。ボードレールが抵抗を示した社会は技術進歩と功利性ばかりを追求する社会であったが、アド

    モダニズムの擁護(アドルノ) 田辺秋守 - garage-sale
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    haruhiwai18 2017/05/13
    "モダニズムの芸術は…狭い通路を通り抜けてゆかなければならない""「宥和の仮象」による安易な感動を拒絶すること、厳密な形式意識によって作品自身が一個の現実批判になること" →アドルノのモダニズム。
  • 関係性としてのポリフォニー 小田亮 - garage-sale

    0.はじめに バフチンがポリフォニー論で展開している〈声〉の複数性――「1つの言葉に2つの声」――ということを、発話や語りということを離れて、〈声〉と同様に主体の固有性や単独性・直接性を示すものとされる「固有名」や「身体」に適用して、個の固有性と考えられているにもかかわらず、そこに「反復」や「模倣」によって他者の声が浸透しているというバフチンの議論の射程を広げて、固有性・一回性・単独性の反復や模倣による複数性の現われということを考えてみたいというのが、私の発表の趣旨である。まず、そのことを、災因論の事例によって考えてみよう。 1.災因論の物語と個の単独性 柄谷行人氏は、代替不可能な〈個〉の「単独性 singularity 」と、一般性による類のなかの比較可能な違いである「特殊性 particularity 」とを区別している。「特殊性」と区別された「単独性」とは、属性や個性に還元できない「

    関係性としてのポリフォニー 小田亮 - garage-sale
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    haruhiwai18 2017/03/05
    "文体模写やパロディや隠された対話のように、指示対象と他者の言葉の両方へ同時に向かう、第3のタイプの言葉(複声的な言葉)がポリフォニーの核となるというのである。" →ポリフォニーについて
  • 講義 「アフリカン・アメリカン文化」 小田亮 - garage-sale

    1.アフリカン・アメリカ文化の成立 ●16世紀に始まる奴隷貿易 16世紀に始まる大西洋間の奴隷貿易は、西ヨーロッパの製造品(綿製品、真鍮の腕輪などの金属製品、ジンなどの酒類、鉄砲など)を積んだ船がアフリカ西海岸でそれらを奴隷と交換し、代わりに奴隷を積んだ船は西インド諸島やアメリカ大陸へ渡り、そこで、積んできた奴隷との交易によって砂糖や綿花やタバコを手に入れ、それらの商品を積んで、西ヨーロッパの母港にもどるという「三角貿易」の形をとっていました。16世紀に大西洋奴隷貿易を始めたのはスペインでしたが(最初の奴隷が船荷として西アフリカ海岸部から出航されたのは1518年)、17世紀にはスペイン・ポルトガルに代わって、イギリスとフランスが西インド諸島に植民地を築き、18世紀からは、産業革命をいち早く迎えたイギリス(産業革命によって奴隷と交換する製品を大量に作ることが可能になった)が、海上覇権をオラ

    講義 「アフリカン・アメリカン文化」 小田亮 - garage-sale
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    haruhiwai18 2016/01/20
    "スラムに住む犯罪者のようなごろつきたちの音楽と見なされ""ところが、1930~40年代には、カーニバルの主役となったサンバは、ラジオを通じてブラジル全体の国民的音楽に" →他の国でも似た事例が見られる(こなみ
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