割りと一般的感想だろうと思うのでRTコメントでお返事します。1/4世紀ほど昔に都区内で近所に留学生用の寮があって中の人達と付き合っていたことがあるのですが、地域社会のルールを有効に教える公的な回路といいうものは特に用意されていなく… https://t.co/p69QJcvnyw
三浦さん、この去年の記事の中ではスリーパーテロの最大のターゲットは「原発」といっていたのだが、年明けたらなぜ大阪になったんでしょうね。そんなコロコロ変わるのか? https://t.co/cCUm7Cx40D
一緒に平昌五輪観てた6歳児 「なんでメダルのことが終わったあとに日本の選手の絵ばっかりなの?他の国のメダルの選手をたくさんほめてあげないの?みんながんばってるんだから、どこの国とかないよね!」 メディアの方へ。オトナの事情は子ども… https://t.co/mA7TYf3qUH
橿原神宮できたの1890年だよ、フェイクじじい。 https://t.co/v6tpEFUmOi
礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。 ◎教育者は最も陰湿なやりかたで人を殺す 昨日は、戦時中、大日本青少年団の「少年団員」用に作られた「われらは大君のもの」という「問答」を紹介した。典拠は、長浜功氏の『教育の戦争責任』(大原新生社、一九七九)の二五七~二五九ページである。 長浜氏によれば、大日本青少年団の「問答」には、三種類のものがあった。男女青年団用の「大東亜戦争」、女子青年団用の「銃後の誓」、そして、昨日、紹介した少年団用の「われらは大君のもの」である。長浜氏の『教育の戦争責任』には、これら三種の問答の全文が紹介されている。 昨日は触れなかったが、長浜氏は、これらの「問答」を、矢川徳光の論文「『戦時教養問答』について」(『青少年指導』一九四二年三月号)から引用している。 矢川徳光(一九〇〇~一九八二)と
『磯崎新と藤森照信の「にわ」建築談義』(六耀社)を読む。二人の建築家が毎年対談を行っていて、『〜の茶室建築談義』『〜のモダニズム建築談義』に続く3冊目。藤森は建築史が専門なので、前2冊については、藤森が歴史を語ることが多かったが、本書では磯崎の出番が目立つ。磯崎の博識が建築に限らず歴史、哲学に及んでいることがうかがわれる。しかも対談なので、著書における磯崎の難解さがやわらげられ、わかりやすく面白い内容になっている。 春日若宮おん祭から始まって伊勢神宮や沖縄の御嶽が語られる。ついで称名寺の浄土庭園と瑞泉寺の石庭が比較される。瑞泉寺の石庭は夢窓礎石が臨済の庭として作った。浄土庭園では州浜が重要だと藤森が言う。州浜は日本独特なのだと。瑞泉寺の石庭は岩窟で、雪舟の描いた達磨の『慧可断臂図』と同じような場所ではないか。 龍安寺の石庭を盆石や盆景だと言っているのもおもしろい。「昔の絵巻の坊さんたちが勉
損料屋で大人気レンタル商品はふんどしだった 現代ではレンタル業が非常に盛んですが、実は江戸時代にも「損料屋」と呼ばれるレンタル業者が存在しました。 現代人は、レンタルをする商品というとクルマや成人式の着物など高価なものをイメージすると思いますが、江戸時代の損料屋の主力商品は、なんと「ふんどし」でした。 そもそも下着をレンタルするという感覚は、いまの人には理解不能だと思います。 他人のはいたパンツをレンタルしても、誰も借りる人などいないはずです。 江戸時代のふんどしは高額商品でした いまどきパンツなんて、スーパーのセールなどで購入すれば、3枚セットで980円ほどの値段で買えてしまいます。 スポンサーリンク よほどブランドにこだわっている人でもなければ、パンツが高いというイメージを持つ人はあまりいないでしょう。 ところが江戸時代のふんどしは、想像以上に高価だったのです。 当時は、ごく一般的な6
人生100年時代、最晩年をどう生きるかは日本国民の大きな課題。けれども、そんな人生の終盤になって、熟年離婚を経験する人も少なくありません。タレントのヨネスケ氏(69歳)も、そんなひとり。長年連れ添った妻と別々の人生を歩む今、「最晩年」について感じていることを語ってもらいました。 ご飯はコンビニですませる 3年前の3月に長年連れ添った妻と離婚しました。原因は、率直に言えば、僕が家庭を顧みなかったから。ほぼ家に帰らなかったからね。 ウチの子どもは全てカミさんが育てたようなもんで、僕はカネだけ送ってたような関係だったから、そりゃ怒るわ。 きっかけは、カミさんに何か愚痴られたときに「分かったよ、それなら別れてやるよ」なんて言ったもんだから、カミさんも長年、積もり積もっていたものが爆発したのか、「あたぼうよ!」と。それで離婚です。 以前は食事もカミさんが作ってくれたもんですが、離婚してからというもの
1.「人づくり革命」・「無償化」と大学の教育・人事への介入 2017年12月8日、安倍内閣は「人づくり革命」の原案を含む「新しい経済政策のパッケージ」を閣議決定した。直前の10月に実施された衆議院総選挙で、政権側は幼児教育無償化とともに高等教育無償化を公約に掲げていた。多くの有権者は、標準修業年数(4年制大学であれば4年分)の国立大学授業料に相当する程度の金額が、一部高額所得者を除いて一律に無償化されると考えたのではないだろうか。 ところが「新しい経済政策のパッケージ」では、授業料無償化や返済不要の給付型奨学金の受給条件について、年収約260万円未満の住民税非課税世帯に限るという所得制限が設けられた。所得制限については、筆者も社会科学研究者のひとりとして一定の考えをもつが、この点は本稿では議論しない。本稿がとりあげるのは、もうひとつの大きな問題である。すなわち、「人づくり革命」のアジェンダ
法と公共性 愛知万博開幕の2ヶ月前の2005年1月、名古屋市中区の白川公園で、名古屋市による野宿生活者のテントの強制撤去が行われた。あるスポーツ新聞は、それを次のように伝えた。 愛知万博控え名古屋市、ホームレス “青い小屋” 強制撤去 公園をわがもの顔で不法占拠するホームレスの “青い小屋” 。愛知万博開幕を2ヶ月後に控えた名古屋市は24日、市中心部の公園で施設移住を拒否する5棟を撤去するため行政代執行に踏み切った。ピーク時には約250棟がひしめき真っ青だった公園もこれですっきり。ブルーシートの中は床を張り、発電機でテレビも楽しみ、暖かい布団…こんな不法占拠は東京や大阪などで今も続く。〔写真:撤去を代執行するため不法占拠の小屋わきでホームレスを説得する市職員ら=24日朝、名古屋市中区〕 (……)作業冒頭で市側は、ハンドマイクで「行政代執行法に基づいて撤去します」と呼びかけたが、ホームレスら
国家が合法的暴力を独占している近代国家において、政治闘争から暴力の要素を還元できると考えるのは、全くの幻想というものである。政権は、しばしば合法的暴力のみならず無法な暴力(秘密警察、治安機関、暴力団、極右団体、自警団…)にも依存せざるを得ないというのは常識であろう。 この最大の要因は、帝国主義の植民地政策が、植民地と本国とでは異なる統治原理で統治せざるを得なくなることである。植民地の統治では、現地住民の人権を制限し、とりわけその独立運動を弾圧するために差別的暴力に訴えざるを得ない。植民地出身者も、宗主国での雇用を求めて移住してくるので、宗主国における政治運動を制圧する必要から、宗主国市民を統治する憲法的原理とは違う暴力装置が必要になるのだ。 それが、およそ近代政治哲学の諸原理とは全く違った暗黒の諸イデオロギー(人種差別主義、反ユダヤ主義、自民族中心主義など蒙昧なデマゴギー)を装う理由であり
三浦瑠麗「北朝鮮スリーパー・セル潜伏」の情報源は“ネッシー”スクープの英タブロイド紙! 公安も失笑したフェイク 国際政治学者の三浦瑠麗氏が、2月11日放送の『ワイドナショー』(フジテレビ)で「北朝鮮のテロリスト分子が日韓に潜んでおり、とりわけ大阪が危険だ」との差別助長発言を口にして大炎上している。 三浦氏はこの炎上について、12日、自分のブログと『ハフィントンポスト』の取材に応じ反論したが、これがなんの反論にもなっていないひどいシロモノ。正直、もう少しマシな言い訳をするだろうと思って原稿を出すのを待っていたのだが、反論を読んで、三浦氏が公安警察の実態も北朝鮮の工作員の現状もまったく知らず、公安プロパガンダの資料や書籍すら読んだことのないまま、ネトウヨ並みの妄想を垂れ流していただけであることがよくわかった。 三浦氏の反論のいったい何がひどいのか、その問題点を指摘する前に、まず三浦氏のそもそも
今、ネットで誰かを引きずりおろそうと思った時は「この人は差別主義者だ」というのが一番効く。それが一番、周りを巻き込んで攻撃しやすく、ネットでの可燃性が高いからです。だから「童貞を差別してる」「LGBTを差別してる」等と「強者が弱者を差別してる」構図が無理やり作り上げられる。
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