コンテンツの購入は、それを見たり聞いたり読んだりする権利を買うということだ。ところが、その感覚はなかなか理解されにくい。だからこそ、音楽はCD、映画はDVD、小説は書籍といったカタチあるものになって店頭に並んでいる。つまり、方便にすぎない。それにしても、この、ちょっとおかしな状況はいったいいつまで続くのだろう。 ●CDは消耗品でも音楽はそうじゃない 大量の音楽CDをパソコンに取り込む作業の途中、CDを一枚破損してしまった。ディスクをプラスティックのケースから取り出すときに、堅かったので、ディスクの端っこを持って無理に引っ張ったら、ディスクが割れてしまったのだ。買ったことさえ忘れているようなCDだったのが救いだが、廃盤でもう手に入らないお気に入りのCDだったらと思うとゾッとする。 CDの購入は、本来的には、その中に収録されている曲を聴く権利を購入することだ。でも、その権利は実に儚い。ちょっと
話はこれ⇒はてなダイアリー - はてな年間100冊読書クラブとは ちょっと複雑な気持ち。 黙っているが吉かもだけど、ざらっと。 割だと三日に一冊。一週間に二冊。それって、フツーじゃん、っていうと嫌がれるか。というか、本のかたちをしたものを一週間に二冊というのは、選びようによってどうってものでもない。 新書なんかでも最近はれいの「バカの壁」がブレークスルーだったか、口述本も多いから、こういうのは、なんというか、読むというよりは聞いているというもの。それで悪いわけでもない。 古典を読めとか、難しいものを読めとも思わない。 本というは楽しくなくてはというか、どう本の楽しさを見つけるか。だから、推理小説が好きならそれでもいいし、どうこういうことでもない。 教養というのはちょっとひっかかることはある。中国や日本の古典教養が新聞なんかでもすこんと抜けているかなと思うことがある。しかし、中国古典ヲタみた
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