タグ

ブックマーク / jun-jun1965.hatenablog.com (12)

  • いじめっ子だった保坂和志 - jun-jun1965の日記

    保坂和志の『書きあぐねている人のための小説入門』というのは、 (活字化のため削除) 保坂は最初のほうで、いじめられっ子のような人間こそ小説を書くべきだが、自分などはそれどころかいじめっ子だった、と書いている。私は保坂の小説に感心したことがなく、何かほっとした。いじめっ子だった奴の書いた小説になど感心したら、情けないしね。 保坂は執拗に、ネガティブな経験などを描くな、と繰り返している。私はむしろ、ネガティブなことを進んで書くべきだと思っている。最後の方になると、「自分をいじめた小学校の同級生へのうらみつらみ」などを小説にすることを批判して、それは「小説という形式を利用しているだけではないのか」と書いている。利用して何が悪いのか。小説というのは、何でも書ける形式である。古来、数多くの作家が、小説という形式を使って、政治や社会を諷刺したり、批判したりしてきた事実を、保坂は無視している。だが、保坂

    いじめっ子だった保坂和志 - jun-jun1965の日記
    hasenka
    hasenka 2008/07/07
    いす取りゲーム
  • ■ - jun-jun1965の日記

    (活字化のため削除) - 私は近所の区立図書館で予約しておいて見に行くという日々なのだが、先日、15冊くらい予約しておいたら、出してきた図書館員が「ああ・・・多いですねえ・・・二週間ですが大丈夫ですかぁ」などと呟くように言った。この図書館員には、「」というのは「読む」ものとして認識されていて「調べる」ためのという概念がないんだなあと思った。何しろ閲覧のための予約というのがないから、全部借り出して図書館内で見て、必要なところはコピーをとり、必要な情報がないはすぐ返すのだ。

    ■ - jun-jun1965の日記
    hasenka
    hasenka 2008/06/03
    売れる商品に手を出せないという事ですかね
  • 「大根」の本義 - jun-jun1965の日記

    『週刊文春』で青木るえかが、大河ドラマを評していた。仲代達矢の演技がうまいとは思えない、というところから始まるのだが、同じことを北大のMさんも言っていた。仲代の演技は、仲代が稽古をしているようにしか見えないとか。まあ、いつも同じ演技、というようなことを青木は言っていたが、私はあまりそうは思わないな。古いが、メリル・ストリープが、いつもうっすらと涙を浮かべた同じ演技、と言われていて、それには同意したけれど。『ソフィーの選択』を途中で見るのをやめてしまったのも、そのせい。 青木は、今年の大河ドラマの、いかにも劇的な演技が気に入らないらしいが、大河ドラマで小津とか平田オリザみたいな演技をされたらたまらんから、それはいいのである。あとガクトについて「演技は大根」として、女子高生が男役をやっているみたいだが、魅きつけられる、と言う。私は別にガクトが特に下手だとは思わない。歌手にしてはよくやっているし

    「大根」の本義 - jun-jun1965の日記
    hasenka
    hasenka 2007/09/29
    語源と言うのは忘れ去られる運命なのよ。で余り振り回すと薀蓄爺とか言われて嫌われる。
  • 子供を叱って何が悪いか! - jun-jun1965の日記

    神奈川県のほうで、ふざけていた高校生を殴った巡査長が逮捕されて、しかし世間では巡査長を支持する声が多く、その後、拳銃型のライターを乗客に向けていて、巡査長はいきなりびんたしたとか、さらには、車内には乗客はいなくて、車内からプラットフォームにそのライターを向けていただけで、車掌に注意されてしまったところ、隣の車両から見ていた巡査長が、出てきていきなりびんたしたとか、情報が二転している。 ところで昨年2月23日のことだが、私は読売文学賞の贈呈式パーティに行ってきた。その帰りの電車内で椿事が起きた。明大前から永福町までは、一駅間が長い。やや混んでいて、私のすぐ脇で小学校四、五年くらいの男児が二人、ふざけている。その向こうに年長らしい女児が一人で、これも連れらしい。男児二人は、ばたばたたたきあって、こちらにも当たる。それが続くので、「ばたばた動くんじゃない!」と叱りつけた。子らはたちまちしゅんとな

    子供を叱って何が悪いか! - jun-jun1965の日記
    hasenka
    hasenka 2007/09/08
  • 天皇制的なもの - jun-jun1965の日記

    天皇制そのものをなくしても、日人には天皇制的な心性が残るとか、そういうことを言う人がいる。しかし、そんなものが学問的に、たとえ擬似科学的にでも証明されたことはない。 たとえば「水戸黄門」が天皇制的だという説は、同じような話型が世界中にあることから、成り立たない。朝鮮の「暗行御使」しかり、ゴールドスミスの「ウェイクフィールドの牧師」しかりである。勲章をありがたがるのなど、どこの国でも同じことだし、おのおのの世界にカリスマ的なボスがいるなどというのも、どの国にもあることだ。 日人の心性に天皇制的なものがあるなどというのは、むかし流行った非科学的な日人論のひとつで、僻論に過ぎない。 (小谷野敦)

    天皇制的なもの - jun-jun1965の日記
    hasenka
    hasenka 2007/08/06
  • やって来い! - jun-jun1965の日記

    私が高校生の頃、朝になると、体育教師数名が校門のところに立っていて、登校時間が過ぎそうになると門を閉めて、遅刻した生徒を集めて罰を与えていた。私は一時間半かけて通っていたから、時々遅刻した。 体育教師は、どこでもそうだが、バカで野蛮だ。うち一人は、長島といったが、狼のような、蟹江敬三顔をした男で、いつも白衣を着て、そういう時は竹刀を持っていた。遅刻した生徒は、前庭でゴミ拾いをさせられる。 ある日、私がゴミ拾いを終えて長島の前へ行き、2メートルほど離れたところで、終わった、と意思表示したら、長島は、 「やって来い!」 と言った。 は? 何をやって来るのだろう、と私は思った。一瞬の間があって、長島は「何やってんだ、ここへ来いっ、つってるだろ」 と言った。「やって来い」というのが「ここへ来い」の意味だとは、とんと気づかなかった。 言うまでもないが、体育教師は、どこでも、バカで野蛮である。私は体育

    やって来い! - jun-jun1965の日記
    hasenka
    hasenka 2007/07/16
    つぼを押さえる
  • 新聞の自業自得→自滅 - jun-jun1965の日記

    大橋洋一先生が無事復帰されたようだ。 ちゃんと読まずに何か言ってはいけないと、森見の小説を読もうと思うのだが、あの、アレがアレしてアレした文体がつらくて、二ページも進まない。誰か、「普通語訳森見登美彦」やってくれないかな。と思ったらはてなのキーワードを自分で書いていた。何やらヨコタ村上のようだ・・・。 - どうも先日から、ウィキペディア編集にはまっている。というのは、検索していて「東京大学の人物一覧」に奇妙な現象が起きているのに気づいたのがきっかけである。これは東大出身者の一覧なのだが、なぜか、拓殖大学、高知大学、神戸大学、京大の助教授や教授、電気通信大学名誉教授の名がやたらと書き込んであったのだ。中には、私が知っていて、著書など一冊もない人もいたので気づいたのだが、調べてみると、とてもそこに載せるほどの人物とは思えないので、適宜削除した。あるいは「教育学」の欄に、代々木ゼミナール講師の名

    新聞の自業自得→自滅 - jun-jun1965の日記
    hasenka
    hasenka 2007/07/10
    余裕が無くなったんでしょうね。あの頃は王者で向かう所敵なし状態で安泰だったから批判なんて痛くも痒くもなかったからそれを聞く余裕というか馬の耳に念仏だった
  • 「逆ギレ」の濫用 - jun-jun1965の日記

    最近、「逆ギレ」という言葉が濫用されている。まあ、といっても「逆ギレ」自体が流行語なのだが、これは来、AがBを叱責したりしている時に、当初は、すみません、などと低姿勢だったBが「なんでそこまで言われなきゃならないんだ」と怒り出すといった状況で使われる言葉だった。 ところが最近では、別にそういう状況でもないのに、誰かが、人から何か問われて、いくぶん攻撃的な口調になるだけで「逆ギレ」というようになってしまった。 たとえば、全面禁煙などとバカなことになっている地上駅のプラットフォームで私が喫煙していて駅員が注意しても、私は最初から「なんでいけないんだ」と怒るから、「最初は低姿勢」という条件に当てはまらないが、まあ駅員としては「逆ギレ」と言ってもおかしくはあるまい。 - 似た例で、往年の「根クラ」がある。これはタモリが言い出したもので、「見た目は明るいが根が暗い」の意味だったのに、たちまち、見た

    「逆ギレ」の濫用 - jun-jun1965の日記
    hasenka
    hasenka 2007/06/21
    言葉の意味は単純化されるのだ
  • 女が・・・とき - jun-jun1965の日記

    前にミクシィの日記で書いたんだが、 1972 女が外に出るとき 犬養道子 中央公論社 1974 女がそとで働くとき 来栖琴子 水曜社 1975 女がはばたくとき 桐島洋子 PHP研究所 1979 女が職場を去る日 沖藤典子 新潮社 女が自分と向きあうとき 吉武輝子 海竜社 1979.11 女が自分を見つめるとき 久保克児 PHP研究所 1979.7 女が別れを告げるとき 落合恵子 講談社 1979.3 1982 女が会社へ行きたくない朝 沖藤典子 主婦と生活社 女が辞表を書く日 (New life books) 朝比奈紀子 東京白川書院 1982.9 女が経理を盗む時―新・知的悪女のすすめ 神崎寿子 山手書房 1982.9 女が仕事に生きるとき 高橋瑞恵 同友館 1982.8 女が美的に見えるとき 楠憲吉 主婦と生活社 1982.7 1984 女が職場で悩むとき 沖藤典子 主婦と生活社

    女が・・・とき - jun-jun1965の日記
    hasenka
    hasenka 2007/02/20
    それが男性社会の。。。
  • 白川静は偉いか - jun-jun1965の日記

    (活字化のため削除) http://saruta.exblog.jp/2171999/ これも面白い。石原千秋ってだいぶおかしな人なんだなあ。でも「スタイル抜群の美人」なんて学生のことを書いてしまうあたり、なんか憎めないものがある。 −−−−−−−−−−−−−− 『日の話芸』で「六代目小さん」の「紺屋高尾」をやっていた。もう聴くのも不快だが、少しは上手くなったかと思って観て見たが全然ダメである。それはともかく、「こんや」と言っていたのはどういうわけか。「こんや」とやるのは浪曲の方で、落語では「こうや」に決まっている。紺屋を「こうや」と読むことを知らない現代人に媚びて変えたのだとしたら、そりゃあひどい。 −−−−−−−−−−−−−− 「いやん、ばかん」という表現はいつから始まったのかと思って、米川明彦『日俗語大辞典』を見たが「いやん」しかなかった。多分誰かが使い始めたのだと思うのだが、誰

    白川静は偉いか - jun-jun1965の日記
    hasenka
    hasenka 2007/02/10
  • 「バルバラ異界」とオカルト - jun-jun1965の日記

    SF大賞を受賞した萩尾望都の「バルバラ異界」四巻を読み終えた。「フラワーズ」連載だが、私は15年以上「プチフラワー」を毎回読んでいて、これがなくなって「フラワーズ」になってから、読むのをやめていたのだ。特に萩尾の前作「残酷な神が支配する」は辛かった。 さて「バルバラ異界」は、まあ、普通のSFで、「ドグラ・マグラ」の末裔のようなものだ。特に面白くはない。しかし気になったのは、その「オカルト風味」である。「サイエンス・フィクション」といっても、もともと、オカルト・フィクションとの区分は曖昧だ。常に科学的根拠が示されるわけではないし、ここでも、記憶が子孫に遺されるからくりは説明してあるが、夢の中に入るからくりは全然説明されていない。中でも、個人が消えてみなの心がひとつになる、というアイディアが出てくるのが気になった。 私は、1999年11月の「諸君!」に、売春をすると自我が融合するから危険で

    「バルバラ異界」とオカルト - jun-jun1965の日記
    hasenka
    hasenka 2007/01/21
    カルヴィーノは「むずかしい愛」を読みかけて、こんなくだらないものが岩波文庫に入るのか<酷い、男女の機微を描いた最高傑作を。多分
  • 書評暗黒話 - jun-jun1965の日記

    まだ大阪にいた、確か1998年のことである。広島に拠地のあるさる地方新聞から書評を頼まれた。ところがそのが、その地方新聞に連載されたものを纏めたもので、しかもその書いたご当人からの依頼だったので、私もさすがに変だなあ、とは思ったものの、まあ思ったとおり書けばいいや、と思って引き受けた。 ところが原稿を送ってほどなくそのお方から電話があり、受け取りました、と言う。そして、 「ざっくばらんに言ってですね」 と言う。 「これだと、どうもその、一部の読者にしか関心を持ってもらえないのではないかと、そう思いまして」 と言うのである。 私は「広告」を書けと言われたのではない。書評を書いたのである。しかしその頃は私も、ジャーナリズムの中にはとんでもない連中がうようよいることを知らなかったので、ややむっとしながらも、じゃあそちらでいいように書き直して下さい、と言ったのだが、いま思うと、何ともはや、厚顔

    書評暗黒話 - jun-jun1965の日記
    hasenka
    hasenka 2006/08/23
    確かにそれはあるな
  • 1