ヒトは「頭の使い方」を覚えると賢くなる生き物だ。 かけ算九九しかり、元素記号の語呂合わせしかり、丸暗記してしまうことで思考をスピードアップできる。理系大学生のサイフは平均的に文系大学生のサイフよりも軽い。なぜなら彼らは数字に強く、「おつりのコインを最小にする計算方法」を身につけているからだ。それに加えて実験とレポートに追われてバイトができないという涙ぐましい事情がある。 私は学生時代に、ちょっとだけ英語ディベートをやっていた。その時に先輩に教えてもらった「ニュースの読み方」が今でも役に立っている。ニュースを読むにはトレーニングが必要で、読み慣れないうちは、「なにが問題なのか分からない」のが最大の問題となる。逆に「読み方のテンプレート」を覚えてしまえば、そのニュースの論点を即座に見抜けるようになる。かしこい人はこうやってニュースを読むのか! と当時は感心した。 今回のエントリーでは、その一部
間違った方法でいくらハードトレーニングをしても、スポーツ選手としての成長はないように、 間違った方法で何千冊読書しても、思考も見識も洞察もたいして深まらない。 最小の努力で最大の筋力を得られる筋力トレーニングがあるのと同じように、 最小の努力で最大の見識を得られる読書スタイルというものがある。 実際、たくさん本を読んでいるのに空回りばかりしている人はよくいるし、 ほんの数冊の本を読んだだけで、驚くべき成長をする人もいる。 その違いは、具体的にはどこにあるのだろうか? よく「文章の論理構造の理解が一番大切だ」と言う人がいるが、文章の種類によっては、この固定観念が癌になる。 論理構造の理解は確かに必要なのだが、それを優先して文章を読解しようとすると空回りして不毛な誤読をして、結局、一番肝心な部分が分からないままになってしまうことが多い。 最優先でやるべきは、作者や登場人物の情動回路を自分の脳内
不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 自分で物事を考えて答えを出すということができない人というのがいる。「思考停止」なんて言葉もあるけど、そういう人たちにとって「停止」は動いていた状態からの変化を示す"stop"ではなく、そもそものはじめから思考がスタートしていない場合が多く、最初から思考が働いていない。 そうした人たちに共通するのは、メタ認知ができないこと、抽象的な思考を苦手とすることだとだと思います。見たまんまのことしか考えられない。だから、手法を扱えないし、戦略的な話ができない。 そうした人びとは、抽象的な記述や理論的な話題に対する想像力が著しく欠けていて、それが世界の記述であることをイメージできずに、すぐに「具体的な事例がないとわからない」という。それが自分のメタ認知や抽象的思考力の欠如からくる想像力の
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