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*referenceとdisabilityに関するhatayasanのブックマーク (2)

  • いやいやいや、これはこれは、あれだあれ - リツエアクベバ

    ■[society][think]配慮を強制されるときに感じる違和感とは〜障害者とのコミュニケーションをめぐって/忘却防止。 ふむ、まあもっともだ。もっともなんですけどね。ふと思い出して、自分の過去記事を検索。 知的障害があることが、事件・事故の原因ではない。 知的障害があることからくるコミュニケーション不足が「出来事」を「紛争」化させる。 知的障害を持つが故にコミュニケーションがうまくいかないことが原因なのである。 (笹瀬健児弁護士を尊敬します/S嬢のPC日記) ↑では知的障害について語っているけれど、障害とその背景、なんてことに対してのコミュニケーション不足というか、情報不足ってのがあるんだろうなと思った。 もともとの話題としてのリンク、<車椅子転倒>TOTOのショールーム−−問われるユニバーサルデザインですが。この報道、かなり印象論をかきたてていくような書き方をされているな、と。特に

    いやいやいや、これはこれは、あれだあれ - リツエアクベバ
    hatayasan
    hatayasan 2006/08/30
    「言い方」「書き方」ひとつで心象に与える影響が大きいということ。残念だけど「色の付いている情報」を僕自身いつも意識できているわけではないことに気づかざるを得ませんでした
  • 遠慮は美徳にあらず - 新しいTERRAZINE

    TERRAZINE - 被害者意識が強い障害者自身が、障害者を排除させる このエントリを読んでいて、1年以上前にはてブで人気エントリーになった記事を思い出した。「席を譲らなかった若者」の話である。 (中略) ルールを守ることを当然のように要求される、不利であるがゆえの権利を振りかざしてこられた場合、僕は戸惑うだろう。 来自発的になされるべきであることを押しつけられることで、これまで自分が配慮してきたつもりでいたことを反故にされるような心境になるのだ。 なるほどなー。ワシも目の前に大きなおなかを抱えた妊婦さんが立ってれば、自発的に席を譲るだろうけど、女連れでいい気になってるジジィに嫌み言われたら、グラサン兄ちゃんみたく論殺しちゃうだろな。ちなみにワシはこの話を「ケンカだ!ケンカだ!」って楽しんだんだけど。 ただ、ワシは人に「やって」と言われることを「強制」とはあまり感じない。何でかっていう

    遠慮は美徳にあらず - 新しいTERRAZINE
    hatayasan
    hatayasan 2006/08/30
    障害者と向き合うにあたって「「配慮」は必要だ。だが「遠慮」は無用だ。自分のペースを乱されてまでつきあう必要はない。」明快。
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