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2011年9月10日のブックマーク (7件)

  • 検証・大震災 - 毎日jp(毎日新聞)

    東電は原発の「安全神話」が崩れていく現実を直視できず、初動の対応を誤った。官邸は政治主導にこだわりながら東電や保安院との緊密な連携を図れず、結束して危機に立ち向かえなかった。それは「想定外」という言葉でけっして片づけられるものではない。続きを読む

    hatayasan
    hatayasan 2011/09/10
    単行本で出版して後世に残すべきクオリティ。
  • 事故相次ぐサイクリング道…自転車側に多い原因 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    健康志向の高まりでサイクリングが人気を集めるなか、茨城県の桜川、つくば、土浦の3市を通る自転車道「つくばりんりんロード」で、自転車交通事故が相次いでいる。 今年に入り少なくとも7件の衝突事故が発生し、5人が重軽傷を負った。安全確認が不十分のまま交差点に進入し乗用車にはねられるケースが多く、県警は利用者にビラを配るなどして交通ルールを守るよう呼びかけている。 8月27日の昼下がり。桜川市真壁町白井のりんりんロードでは仲間とおしゃべりを楽しみながら、スポーツ自転車を走らせる人たちが次々に通りかかった。車道との交差点に一時停止の標識があるが、止まることなく横断する。付近をよく通るという自営業男性(34)は「止まって左右を確認する自転車は半分ぐらい。あわやはねられかけた“事故未遂”は、いっぱいある」と指摘する。 この交差点では今年、自転車と車が衝突する事故が3件起きた。6月には水戸市の男性(46

  • 鉢呂経産相:「放射能つけたぞ」記者に防災服をすりつける - 毎日jp(毎日新聞)

    鉢呂吉雄経済産業相が東京電力福島第1原発の視察を終えた8日夜、東京都内で報道陣の一人に近寄って防災服をすりつける仕草をし、「放射能をつけたぞ」という趣旨の発言をした。不用意な行動と批判されるのは必至で、原発を所管する担当閣僚としての資質が問われそうだ。 鉢呂氏は防災服をすりつける仕草をした後、記者団に「除染をしっかりしないといけないと思った」と強調した。報道陣は、鉢呂氏の福島第1原発の視察後の見解を聞くため、取材していた。鉢呂氏は9日、仕草について「厳しい状況だったということを話した」と周囲に釈明している。 鉢呂氏は9日午前の会見で、福島第1原発の周辺市町村を「死の町」と発言。野田佳彦首相が訂正を求め、鉢呂氏は同日午後の会見で発言を撤回し、陳謝した。鉢呂氏は8日、野田首相に同行して福島第1原発や同原発から半径20キロの警戒区域を視察していた。

  • 福島第一原発に襲来した高さ10メートルの津波写真付き報告書まとめを東電が公開中

    東京電力が2011年9月9日19時過ぎに「福島第一原子力発電所 東北地方太平洋沖地震に伴う原子炉施設への影響について」という全565ページに及ぶ報告書PDFファイルをネットに公開しました。これは経済産業省原子力安全・保安院に報告するために作られたものなのですが、「これまでのまとめ」とでも言うべき内容になっており、非常に興味深い内容となっています。 福島第一原子力発電所における東北地方太平洋沖地震に伴う原子炉施設への影響に係る経済産業省原子力安全・保安院への報告について http://www.tepco.co.jp/cc/press/11090910-j.html 111ページ目、赤い部分は高さ10メートル以上の津波が来た部分。最高は地震発生後約51分で13.1メートル。 114ページ目、3月11日15時42分から、わずか2分後にはあっという間に高さ5.5メートルの重油タンクが水の底へ沈没。

    福島第一原発に襲来した高さ10メートルの津波写真付き報告書まとめを東電が公開中
  • 東北の鉄道400キロ今も不通 国支援の議論本格化

    Tweet 東日大震災の津波で駅舎や線路が流失した東北の鉄道は、計約400キロが今も不通だ。今後の津波対策でルートを変更する可能性もあり、大部分で再開のめどは立っていない。JR東日は国に復旧費用の支援を求めていく考えだが、国土交通省は自助努力が基と位置付けており、支援策をめぐる議論が格化しそうだ。 JR東の在来線では、青森県から福島県の海沿いを走る八戸、山田、大船渡、気仙沼、石巻、仙石、常磐の7路線で23駅が流失、線路など1700カ所以上が壊れた。清野智社長は、自治体の復興計画次第ではルート変更が必要との考えを示している。 このうち県内の八戸線種市―久慈間は、沿線の洋野町などが市街地を移転しないため、震災前と同じルートで復旧を決定。いち早く来年春に全線再開の見通しとなった。 ほか6路線の沿線ではまだ町づくりの議論が続く。宮城県山元町は8月、復興基方針の中で町内の常磐線を内陸側に

  • 「命懸けて。逃げても逃げ切れぬ」 前首相の東電訓示の記録全文

    鉢呂経産相、「死の町」発言撤回するも、前日には「放射能を分けてやる」と言いつつ記者に防災服なすりつける行為 280 users

    hatayasan
    hatayasan 2011/09/10
    [politician」
  • なぜ僕たちはプロ野球で通用しなかったのか…(週刊現代) @gendai_biz

    高校時代の名声と、未来への希望を胸に飛び込んだ、憧れの舞台。しかしそこで彼らを待ち受けていたのは、あまりに過酷で厳しい現実だった。元プロ野球選手11人が語る、一軍と二軍を隔てるもの。 契約金ドロボーと言われて 「プロに入ると決まったときは、高校時代にやってきたことを続けていけば必ず活躍できると思っていたんです。しかし高校時代なら多少甘くても打ち損じてくれた球を、プロは逃さずヒットにするし、ボール球は簡単に見極められる。 コントロールのない僕は、エースだった上原(浩治)さんの投球練習での球が寸分たがわずキャッチャーミットに吸い込まれるのを見て仰天しました。すべてにおいて僕の知っている野球とは違いすぎたんです」 北照高校から'05年、高校生ドラフト3巡目で巨人入りした加登脇卓真(24歳・現香川オリーブガイナーズ)は、入団当時をこのように回顧する。自信と期待を胸にプロ入りした加登脇が目にしたのは

    なぜ僕たちはプロ野球で通用しなかったのか…(週刊現代) @gendai_biz