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ブックマーク / kanjinai.hatenablog.com (4)

  • 移植を待つ親は、子が脳死になったら臓器を出すか? - kanjinaiのブログ

    あしたの採決の前に、書いておきます。 もし仮にA案、A’案が通ったとしたら、これまで子どもの移植を訴えてきた親の方々は、つらい状況に追い込まれるのではないでしょうか。 それは、移植を待っているあいだに、不運にも、子どもが脳死になってしまった、あるいは心臓死になってしまったときに、親は脳死・心臓死の子どもから臓器を摘出して移植し差し出すかどうかを問われることになる、ということです。(いまはそういうことは日では生じません) このとき、 ・ 親には、脳死・心臓死になった子どもから臓器を摘出する法的義務はありません。 これは確かなことです。 問題となるのは、 ・ 親は、自分の子どもには臓器をくださいと言っていたのだから、自分の子どもが脳死・心臓死になったときには、自分の子どもから臓器を摘出して差し出す、道義的義務があるのかどうか? という点です。言い換えれば、 ・ 「うちの子どもに臓器をください

    移植を待つ親は、子が脳死になったら臓器を出すか? - kanjinaiのブログ
    hatayasan
    hatayasan 2009/07/23
    「「他の親が同意するならその子どもからの提供は受け入れるが、自分の子どもについては同意しない」という考え方を簡単に「矛盾」として批判できるか」※。
  • 「女性専用車両の学際的研究」を公開しました - kanjinaiのブログ

    大阪府立大学大学院の、現代人間社会分野の院生たちによる研究レポート、『女性専用車両の学際的研究:性暴力としての痴漢犯罪とアクセス権の保障』居永正宏・川端多津子・寺野朱美・橋爪由紀著(2008年8月)が、大学サイトにて公開されました。 女性専用車両の成立経緯と、痴漢犯罪のとらえ方についての、現状でもっともまとまった研究レポートではないかと思います。インタビュー、アンケート結果は、学術的価値も高いと思われます。 以下に「はじめに」の一部と目次を載せておきます。 女性専用車両の学際的研究:性暴力としての痴漢犯罪とアクセス権の保障 居永正宏・川端多津子・寺野朱美・橋爪由紀 はじめに 報告書は、女性専用車両を中心軸とし、それに直接関係する痴漢 、さらに近年頓に社会的な関心を集めている痴漢冤罪を扱ったものである。「女性専用車両」とは、女性のみが乗車できる電車の車両のことであり、近年日各地の鉄道会社

    「女性専用車両の学際的研究」を公開しました - kanjinaiのブログ
    hatayasan
    hatayasan 2008/08/26
    「女性専用車両の成立経緯と、痴漢犯罪のとらえ方についての、現状でもっともまとまった研究レポートではないかと思います。」
  • kanjinaiのブログ

    トマス・アクィナス 肯定の哲学 作者: 山芳久出版社/メーカー: 慶應義塾大学出版会発売日: 2014/09/17メディア: 単行この商品を含むブログ (5件) を見る 2014年12月共同通信配信 トマス・アクィナスは、ヨーロッパ中世神学を大成させた哲学者だ。主著『神学大全』は、その圧倒的な分量と緻密な論理構成において、容易に人を近づけない荘厳さを帯びている。西洋哲学史にそびえ立つ最高峰のひとつなのだ。 書は、トマスが人間の「感情」をどのように捉えていたかに着目し、その思索の一端を私たちの目の前に展開したものである。これまで近づきがたかったトマスの哲学を、至近距離から検討することが可能になった。 トマス哲学の基礎には、世界をその根底から肯定する「根源的肯定性」の思想がある。たとえば、「愛」と「憎しみ」は同じくらいの力をもって対立する感情であると考えるのが普通であろう。しかしながらト

    kanjinaiのブログ
    hatayasan
    hatayasan 2008/01/19
    生命学の森岡正博氏のブログ。
  • 加藤秀一『〈個〉からはじめる生命論』 - kanjinaiのブログ

    〈個〉からはじめる生命論 (NHKブックス) 作者: 加藤秀一出版社/メーカー: NHK出版発売日: 2007/09/27メディア: 単行(ソフトカバー)購入: 8人 クリック: 97回この商品を含むブログ (44件) を見る 2007年10月28日熊日々新聞掲載 もしあなたに、生まれつき重い障害があったとしたら、あなたは「こんなことなら生まれないほうがよかった」と思うだろうか。世の中には、実際にそのように考えて、出産に立ち会った医師を裁判で訴える人たちがいる。彼らの言い分は、次のようなものだ。 もし医師が、妊娠中の親に、胎児に障害があることをきちんと伝えていたとしたら、親はきっと中絶することを選んだことだろう。すると、自分は中絶されてしまうから、この世に生まれることはなかったはずだ。障害をもって、こうやって苦しむこともなかったはずだ。障害をもって生まれることは、自分にとって苦痛であり

    加藤秀一『〈個〉からはじめる生命論』 - kanjinaiのブログ
    hatayasan
    hatayasan 2008/01/19
    「「生命」という言葉で思考を埋め尽くすことではなく、私の前で現に生きている具体的な人間を、単なる生命ではない「誰か」として捉え直し、その「誰か」の存在を守ることを倫理の核心とみなすような倫理学を発想」
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