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ブックマーク / www.newsweekjapan.jp/newsroom (2)

  • ニュースにならない被災者の本音(その2)

    *ニュースにならない被災者の音(その1)はこちら ある被災者が「ニュース」になるとき、そのニュースは彼らの日常的な素顔を置き去りにしたまま一人歩きすることが多い。ニュースというのは、被災者の体験で一番ドラマチックな部分だけを取り上げて報じることがほとんどだからだ。 宮城県名取市内の避難所で、「ニュース」になった被災者家族に出会った。避難所の近くには、津波をかぶって泥まみれになった小学校がある。この小学校に通う児童の家は、小学校より海側の地区に多い。津波が来たとき、小学校の児童はほぼ全員が校舎の3階に避難して無事だったが、仕事などで海側にいた親だけが死亡したり、行方不明になっているケースが複数ある。その日に訪れた避難所は、こうした家族が多いと教えられていた場所だった。 体育館に足を踏み入れ、受付にいた保育園の園長だという女性に話しかけると、「この避難所には親を亡くした子供が多い」と言う。そ

    hatayasan
    hatayasan 2011/04/07
    「ニュースが勝手に作り上げて行く「被災者像」が被災地から発せられる小さな生の声を押しつぶしてしまう危険性」
  • ニュースにならない被災者の本音(その1)

    「ありがとうございます」「お疲れ様です」――先週末から5日間、仙台を拠点に被災地を取材した際、幾度となく言われた言葉だ。タクシーに乗ったとき、ホテルの受付で、県庁や市役所、そして避難所を訪れたとき。 話を聞いた被災者のなかには、家族を失った人、大切な人がまだ見つからない人、家も職場もすべて失った人もいる。自分が彼らの立場だったらと考えると、そんなときに東京からやって来たというその日初めて会う記者に、極めて個人的なことを話す気になど到底なれない。それなのに、今回の取材で出会った方々は「取材なんてお断り!」と罵倒するどころか、こちらの目をまっすぐに見据えて1つ1つの質問に真摯に答えてくれた。 彼らと話すうちに思い知ったのは、目の前にいる「被災者」が、3月11日のあの瞬間まではどこにでもある日常を送っていた、ごく普通の、一般的な人たちだという極めて当たり前の事実だ。テレビや新聞で繰り返し被災者の

    hatayasan
    hatayasan 2011/04/07
    「当時見られたのが、親たちの精神的なダメージに子供たちが巻き込まれるケースだ。親が混乱すると、子供の心にも影響が出やすい。」
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