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lifeとdiscussionに関するhatayasanのブックマーク (2)

  • jkondoの日記 - 人間同士の問題を「議論」か「許容」で解決できるようになりませんか

    「あいつのここが我慢できない」とか「お前のこのやり方は嫌いだ」みたいな事が起こったときに、できれば「議論」か「許容」で問題が解決できるようになりたいものです。 人間は人それぞれ別々なんだから、色々と違う部分があるのは当然で、色々違うから不満とか対立とかいざこざとか好き嫌いとかが起こります。 そういう問題を解決する方法にはいくつかレイヤーがあって、 議論・許容 陰口 言葉のケンカ 暴力 みたいな感じになっている気がします。 暴力というのはこぶしの力で相手を打ち負かそうとする原始的な方法です。基的に力の強い方が勝ちます。 言葉のケンカは言葉を使っている分少し高度化しますが、ののしり合いとかになってその内容は大体があまり論理的ではありません。声が大きい人とかしつこい人が勝つように思います。 陰口とかいじめになるとより高度化してきて、人には直接何かを言ったりしないけれど、どこか別のところで自分

    jkondoの日記 - 人間同士の問題を「議論」か「許容」で解決できるようになりませんか
  • 「正しい」って何だろう

    人と議論をしているとよく「何が正しいのか」という事が問題になります。「その意見は正しいね」とか「君の言っていることは間違っている」みたいな話です。 議論というのは基的に最も「正しいらしい」と思われる結論を導き、それに全員が同意することを目的にするものだと思っているのですが、議論をしているとたまにこの「正しさ」についての認識が違うな、と感じることがあります。 基的に僕は、「正しさ」には個人的なレベルと全体的なレベルの2種類があって、個人レベルでは「人々の意見は全て正しい」のだと思っています。 例えば僕が「この部屋が暑い」と言えば、例え気温が5度しかなくてもそれは「正しい」わけです。「5度の部屋が暑いなんて間違っている」と言われても、暑いと感じた人にとっては「暑い」事は事実でしょう。 もし僕が「この部屋の温度は10度を超えている」と言えば、それは正しくはありませんが、こうやって科学的に証拠

    「正しい」って何だろう
    hatayasan
    hatayasan 2006/03/13
    自分の経験値に基づいて最適解を求める作業の果てしない繰り返し
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