
響け!ユーフォニアム論②です。 主に二期の内容について書いていきます。ブログのアイコンになる画像の選出、悩みました。一番エモく感じた1話冒頭と最終話ラストの久美子にしました。 最高に好きなシーンです。 正直、ユーフォ二期は毎週毎週エモかった気がする。事あるごとに「アァッ…」とか「かっ……はっ…」とか擬音語が勝手に出まくってました。 なんというか、勝手に分かったつもりになって過剰反応してしまう所が感傷マゾ男の悪いところで、ある意味ビョーキなのかもしれませんが、その気持ち悪さも含めて仕方のないことなんだなぁとユーフォニアムおじさんになってから気づきました。 一期と比べても、更にエモく、死にたいシーンが多かった。 因みに著者は年々(社畜になってから)語彙力が無くなってきており、感情表現が乏しいです。ですから、大抵「エモい、社会、時代、分かる、死にたい、優勝」とかで文章を締めてしまいますが許してほ
このブログ はサイコソーシャルに生きる社畜奴隷が分かり手(このワードの意味は後で追記)にならざるを得ない作品についてただただ独白し続けるブログです。 記念すべき一発目はつい最近放送が終わったTVアニメーション「響け!ユーフォニアム」シリーズから。(まずは一期の振り返りから。二期は次の記事で書きます。) ・青春部活モノを被ったリアリスティックソーシャルリフレクション=ユーフォ 一期、二期と見続けて改めて思ったのが 「あっ、社会」 といった所感でした。(日々精神をすり減らし奴隷のように働く悲しい生き物としての切実な答。) 相変わらず京都アニメーションの原作モノ調理はズルくて、現代社会を反映させる、させてしまっている(作者の意図はとりあえず排除)作品をアニメーション化する才能の塊集団だと思ったのです。そもそも京アニは作画の美しさもさることながら、シーンに合わせた雰囲気作り、演出、カメラワーク、セ
『響け!ユーフォニアム』・『響け!ユーフォニアム2』は、何かを決めるとは、選ぶとはいかなることなのか、それはどのような意味を持つのか、そのような問いを提起した。その問いに対する回答の輪郭を粗描することが、さしあたってのこの文章の目的である。 「なんとなく」決めること 私たちが何事かを選ぶとき、そこにどのような機制をが働いているのか。それをおおざっぱに整理するならば、「なんとなく」選ぶか、「決然と」選ぶか、という両極を想定することができるだろう。私たちはたぶん、食事を選ぶとき、何か身近なものを買うとき、ぼんやりとテレビのチャンネルをザッピングしているとき、等々、おそらく「なんとなく」なにかを選び取っている。一方で、例えば自分の将来の進路を選ぶとき、高価な買い物をするとき、重大なことを他者に告げるとき、私たちは「なんとなく」は決めないだろう。そこに賭けられる感覚のことを決然さとここでは名指し、
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