タイムラグこそが物語をドライヴさせるのだという当たり前を改めて気付かせてくれた まずはカズマについての物語が、もっとも身近にあるタイムラグかもしれない。彼の言葉が「勝ちたい」から「守りたい」にいつの間にか変わっているのはぐっときてしまった。「家族(一人前)として認められる」ことと「家族であると自覚する」ことの訪れはいつだったのだろう。もちろん「徐々に」というのが答えだろうけど、彼は自分の変化をその始まりには気付けなかったはずだし、また私たちが目撃する変化は始まりであるのか経過であるのか知るはずもないのだ。つまりこの微かな時間差の断層こそが、成長譚あるいは通過儀礼の物語なのではないかということ。タイムラグによる摩擦こそが葛藤であり成長であるということ。 侘助についての物語はどうか。それは「過去に意志が出発したまま、現在に遅れて行動が辿り着く」というタイムラグだ。「家族である」という意志がとっ
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